街で見かけた幸せそうな家族が、なぜか心に刺さった日

街で見かけた幸せそうな家族が、なぜか心に刺さった日

家族連れとすれ違っただけなのに、妙に心がざわついた

その日、いつものように役所での打ち合わせを終え、帰り道に寄ったショッピングモール。何の気なしにエスカレーターを降りていた時だった。目の前にいたのは、ベビーカーを押す若い父親と、赤ちゃんを覗き込む母親。小さな手で風船を握りしめて笑っている子ども。たった数秒のことだったけれど、妙に心がざわついた。「ああ、これが“家族”ってやつか」と、思った。それだけのことなのに、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚があった。

休日のショッピングモールで見かけた風景

あの家族を見たのは、午後3時すぎ。人通りも多くて、子どもたちの笑い声やフードコートの賑わいに包まれていた。たまたま目が合った子どもが、ニコッと笑った。その笑顔が、何とも言えずまぶしくて、しばらく足を止めてしまった。両親のあいだには自然な空気が流れていて、何も特別なことはしていないのに、そこにあるだけで幸せそうだった。自分にはもうそんな風景は縁がないと、無意識に思っていたのかもしれない。

ベビーカーを押す父親と手をつなぐ母親

彼らは、ただ自然に歩いていた。夫婦であることが当然のように見えたし、何より安心しきった子どもの表情が印象的だった。父親は仕事帰りかもしれない、シャツに少しだけシワが入っていた。母親はカジュアルな服装で、髪を後ろでまとめていた。完璧な家族、というわけではない。ただ、あの空間に“温度”があった。こちらは一人、スーツ姿で仕事の電話を終えたばかり。比べることじゃないと分かっていても、心の中では何かがざわついた。

笑顔の子どもがまぶしすぎた

あの子どもの笑顔には、疑いや不安なんて微塵もなかった。守られていることを疑わない、そんな純粋さがあった。自分の小さいころも、あんな風に笑っていたのだろうか。ふと、自分には誰かをあんな風に笑顔にする力があるのだろうかと、思ってしまった。日々の業務で登記の書類は完璧に仕上げるけれど、人の心をあんな風に温かくすることは、もう随分していない気がした。

自分の休日はコンビニ弁当と仕事の電話

一方で、自分の休日といえば、大体がコンビニのカツ丼か焼きそばパン。食べ終えたあとも、机に置いたスマホが鳴るのを気にしてばかり。何かあれば対応しなければと、完全な休みなんてここ数年記憶にない。ゆっくり散歩したり、誰かと昼ごはんを食べたり、そういう“余白”のある時間はいつから失ったのだろう。あの家族の歩幅がゆっくりだったのが、なんだかうらやましくて仕方なかった。

なぜかその日だけ、虚しさが際立った

普段なら、見かけても何とも思わなかったはずだ。でも、その日はなぜか違った。たまたま案件が立て込んでいたせいか、精神的に疲れていたせいか、理由はよく分からない。ただ、「あんな風になりたかったのかな」と考えてしまった自分がいた。誰かと過ごすあたたかい時間。それは、仕事では得られない種類の“満足”だと気づかされた。

司法書士という仕事の“安定”が抱える孤独

司法書士の仕事は、外から見れば「安定職」と言われる。実際、収入はある程度見込めるし、独立開業もできる。けれど、実際にはかなりの孤独を伴う。相談相手はクライアントか事務員。世間話をする暇もなく、日々の業務に追われていく。そんな日常が、気づかぬうちに心を乾かしていく。見かけた幸せな家族とのコントラストが、その現実を浮き彫りにした。

感謝されることもある。でも、分かち合える人はいない

ときどき「本当に助かりました」と言ってもらえることはある。それはこの仕事のやりがいのひとつだと思う。でも、家に帰ってそれを誰かに話すわけでもなく、一人で淡々と次の案件に向き合う。それはまるで、拍手のない舞台をずっと演じているような感覚だ。分かち合える人がいれば、少しは気持ちも違うのだろう。

登記が無事終わっても、誰かと乾杯できない

たとえば、大きな会社の合併登記が無事終わった日。達成感はある。でも、ひとり事務所で缶コーヒーを飲むだけ。それだけのことだ。学生時代なら、試験が終われば仲間と飲みに行ったものだが、今はそういうこともない。せいぜい、スーパーで少し高めの惣菜を買う程度。誰かと喜びを分け合えるって、実はすごく大切なことなのだと改めて思った。

「よかったですね」と言う相手が欲しいだけなのに

たいそうなことは求めていない。ただ、「それはすごいね」「お疲れ様」と言ってくれる人がひとりでもいれば。それだけで心の張りが違う。でも今は、喜びも寂しさも、全部自分の中で処理するしかない。慣れてしまったけど、本当は“慣れてしまったこと”がいちばん寂しいのかもしれない。

独立した代償は、相談相手の不在

開業した当初は、自分の裁量で仕事ができることに満足していた。だが、何年も経つと、自由の裏側にある“孤独”が重くのしかかる。悩んでも、同業者にはなかなか本音を話せないし、家族もいない。気軽に「これってどう思う?」と聞ける相手がいない日常。些細なことでも、誰かと話せることの大切さが身にしみる。

事務員さんに愚痴をこぼすわけにもいかない

事務員さんは良い人だ。黙々と仕事をこなし、気遣いもできる。でも、所長が弱音ばかり吐いていたら、職場の空気が重くなる。だから、できるだけ明るく振る舞っている。でも本当は、自分がいちばん支えてほしいのかもしれない。そんな感情が、見かけた家族に重なってしまったのだ。

それでも今日も、書類と向き合い続ける

きっとこれからも、自分の仕事は続く。誰かの手続きの裏側で、ひっそりと働く。表に出ることはないけれど、それでも誰かの役に立てていると信じたい。家族がいなくても、休日に誰かと過ごすことがなくても、自分にできることをただやるしかない。それが、この仕事を選んだ自分の責任なのかもしれない。

他人の幸せを支えるのが、自分の役割だとしたら

司法書士は、誰かの“安心”や“権利”を守る存在だ。決して主役にはなれないけれど、舞台を支える裏方としての誇りがある。あの家族も、どこかで自分が関わった登記のおかげで安心して暮らせているかもしれない。そう思うと、少しだけ、救われる気がした。

少しだけ、自分にも誇りを持ってみる

誰かの笑顔を見て羨ましくなることは、悪いことじゃない。むしろ、そういう感情がまだ残っている自分に、少しだけホッとする。麻痺してしまったら、何も感じなくなる。だから、今日も心の奥で静かにざわつきながら、またひとつ、書類を丁寧に作っていく。それが、今の自分にできる精一杯の“優しさ”だと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。