ふと立ち止まる時間が怖くなる
日々の業務に追われていると、自分のことを考える暇なんてほとんどない。朝一で電話が鳴り、事務所に行けば山積みの書類、午後には役所への往復。そして気づけば夜。正直なところ、少しでも空白の時間ができると、その「静けさ」が怖い。過去の判断、今の自分の立ち位置、孤独、そういったものが急に襲ってくるからだ。立ち止まったら、何かが壊れそうな気がして、つい予定を詰め込んでしまう。
忙しさの裏にある静けさの正体
昔、先輩に「忙しくしてると、自分と向き合わずに済む」と言われたことがある。あのときは何を言ってるんだと思ったけれど、今はよくわかる。特にこの地方で一人で事務所を構えてからというもの、急に静けさが怖くなった。誰にも相談できず、頼られるばかりの日々の中で、自分の声すら聞こえなくなる。テレビの音やラジオをつけっぱなしにしているのは、そういう「間」を埋めるためなのかもしれない。
仕事の手を止めると襲ってくるあの感情
残業を終えて帰宅し、湯船に浸かっていると、不意に「あれでよかったのか」という後悔がやってくる。例えば、無理に受けた登記案件でお客さんとの関係がこじれたとき。断ればよかったのに、なんであの時引き受けたんだろう、という気持ち。そういう小さな後悔の積み重ねが、自分という人間をだんだんと重たくしていく。お湯の中ですら、自分を休ませてくれないのが、この仕事の現実だ。
成果と虚しさはいつもセットでやってくる
どんなに褒められても、どんなにうまく片付いた仕事でも、最後にふと訪れるのは「それで何が残った?」という感情だ。書類は完璧、手続きもスムーズ。でも、それが誰かの人生を変えるほどのものだったかと言われると、答えに詰まる。人の役には立っている。でも、自分の心は空っぽになっていくような感覚。この虚しさと成果は、なぜかいつもセットでついてくる。
あのときの選択は正しかったのか
司法書士を目指したのは、安定を求めたというのが本音だ。元野球部で身体を動かすことは好きだったが、ケガもあり、運動で飯を食っていくのは無理だと悟った。大学時代、司法書士の試験を目指すと宣言したとき、周囲は驚いたが、それなりに努力して受かり、地方に戻って独立した。しかし、今でも「他に道はなかったのか?」という疑念が、夜中にふと頭をもたげる。
司法書士になった日のことを今さら思い出す
合格発表の日、駅前の喫茶店で一人コーヒーを飲みながら、名前を確認した。嬉しさというより「これで引き返せなくなったな」という重たい感覚があった。今思えば、あの時点でもう、自由とは少し離れた道に足を踏み入れていたのかもしれない。資格が人生を豊かにするとは限らない。むしろ、人生を枠にはめる「重し」になることだってある。だからこそ、自分で選んだこの道が正しかったのか、たまに立ち止まって考えてしまう。
地方という場所を選んだ自分を責める夜もある
東京で事務所に勤めた友人が、SNSで「カフェで商談」とか「夜景が見えるオフィス」とか投稿しているのを見ると、ちょっと心がざわつく。自分はどうだ?雨の日には長靴で農家の相談に行き、役所に振り回され、電話番と雑用も全部こなす日々。田舎の仕事は信頼重視、だからこそ逃げられない。選んだのは自分。でも、「もっと楽な道があったんじゃないか」と、つい思ってしまう夜もある。
過去は変えられないとわかっていても引きずるもの
過去の選択が間違いだったとは思いたくない。でも、間違っていたかもしれないとも思ってしまう。それでも朝はやってきて、また仕事が始まる。後悔しながらも、積み上げた経験が今の自分を作っているのは間違いない。あの時こうしていれば…という思いがあっても、今こうして誰かの役に立てているなら、少しは報われる気がする。ただ、心のどこかでは、別の人生への憧れをずっと捨てきれないでいる。
後悔が全部ダメかというと、そうでもない
最近思うのは、後悔もまた経験のひとつだということ。すべてが成功するわけでも、全部が正解だったわけでもない。むしろ、うまくいかなかったことの方が、自分を成長させたようにも感じる。あのとき悩んで選んだ道が、誰かの助けになった瞬間もある。だからこそ、後悔があるからこそ、今の自分に深みが出たんだと思いたい。
あの依頼を断ったことはいまだに心に引っかかっている
ある日、ちょっと複雑な相続の相談が舞い込んだ。高齢のご夫婦が「どうしてもお願いしたい」と言ってくれたのに、予定が詰まっていたのと、内容が少しリスクを含んでいたので断ってしまった。数ヶ月後、その方が亡くなったという連絡が来たとき、胸が締め付けられた。自分の判断は間違っていなかったとは思う。でも、何かもっとできたのではないかと、今でも引っかかっている。
間違った判断が成長につながった瞬間もある
新人の頃、完全にこちらのミスで登記が遅れたことがあった。顧客からは強く怒られ、所長にも厳しく叱られた。その時は「もう辞めよう」とまで思ったが、後にその経験があったからこそ、今ではどんな案件でもダブルチェック、トリプルチェックを怠らなくなった。ミスは痛みを伴うが、その痛みが次の自分の支えになるのだと、ようやく実感できるようになった。
失敗が人を優しくするなんて、嘘だと思ってたけど
以前は「成功してこそ一人前」と思っていた。でも、今は違う。失敗したからこそ、人のミスにも寛容になれたし、立ち直ろうとする気持ちに寄り添えるようになった。人は完璧じゃない。自分も含めて。そう思えたとき、ようやく肩の力が抜けた気がした。後悔して、落ち込んで、それでもまた前を向いていく。そんな自分を、少しずつ肯定できるようになってきた。