ここにサインしてくださいが怖くなった日

ここにサインしてくださいが怖くなった日

サインひとつでやり直しの地獄

あの日もいつも通り、午前中にひと件終わらせて午後のアポに間に合わせようと事務所内はバタバタしていた。依頼人が来所してくれて、説明をし、書類をお渡しし、「こちらにサインをお願いします」と丁寧に伝えた。書類は一度限りの登記申請。訂正や修正が効かない重要書類だった。が、ふと確認すると…サインの位置がずれている。捨印の箇所に名前を書いてしまっていた。もう、その瞬間に胃の中が冷たくなった。

一文字のズレがもたらした長い一日

「あっ…すみません」その依頼人はすぐに気づいて、申し訳なさそうに頭を下げてくれた。でも、こっちとしては頭を抱えたくなる。なぜならこの書類、法務局の閉庁時間ギリギリで出さないと、他の案件に連鎖して影響する。再作成、印刷、再押印、再説明。時間も精神力も削られるのに、相手を責められないという妙な縛りがあるのがこの仕事の厄介なところ。心の中では「せめて読んでからサインして…」と叫んでいた。

依頼人の申し訳なさとこちらの本音

「ほんとにすみません…」と何度も頭を下げる依頼人。でも、こっちだって本音を言えば「こちらこそ、説明が足りなかったかもしれません」と謝っている。それが司法書士の性か、人間関係を壊さないための処世術かは分からない。ただひとつ確かなのは、サインミスでこんなに疲れる日があるとは、開業当初は想像もしなかったということ。優しさを装う自分と、内心のイラ立ちのギャップがまた苦しい。

怒れないけど泣きたいこっちの都合

怒ってはいけない。でも、泣きたくなる。誰の責任でもないようで、全部自分がなんとかしなきゃいけないという孤独感。事務員さんも気を遣って「大丈夫ですか?」と声をかけてくれるが、返す言葉もなく、ひとりパソコンに向かいなおして書類を修正する時間がただただ重かった。こういう時に限って、プリンターが不調だったりするのもあるあるだ。

書き直しってそんなに簡単じゃない

紙一枚と侮るなかれ。書き直しって、ただ印刷し直せばいい話ではない。原本との整合性、訂正印の有無、再度の説明、確認、そして精神的な負荷。たったひとつのサインミスが全体の流れを止める。ましてや複数人の署名が必要な書類であれば、関係者全員の都合を再調整しないといけない。誰も悪くない。でも誰かがやらなきゃいけない。それが自分。

書類の山を前にする絶望感

その日、机の上にはほかにも処理すべき案件が山積みだった。サインミスの影響で予定が30分以上押してしまい、次の依頼人への連絡、調整、事務員との連携。何もかもが予定とズレていく。あれもこれも、と思いながら頭の中で優先順位をつけるが、どれも急ぎ。ふと手が止まって、天井を見上げて「何やってんだろうな」とつぶやいた。

タイムスケジュールは常にギリギリ

誰にも言えないけど、スケジュールなんていつも綱渡りだ。少しの遅れで後ろの予定が全滅することもある。それでも「ちゃんとしてる」ように見せるのが、この仕事の悲しさ。余裕があるふりをしながら、内心は常に時計とにらめっこ。書き直しで狂った時間を取り戻すために、トイレも行かず、水も飲まず、黙々と作業する午後。元野球部の粘りだけで乗り切っている。

ミスは誰にでもあるけど

そう。ミスは誰にでもある。依頼人を責めるつもりはない。でも、そう何度も続くと、こっちも正直しんどい。なのに、表情には出せない。むしろ「よくあることですから、大丈夫ですよ」と笑顔をつくる。その笑顔の裏にある本音を誰も知らない。いや、知られたくもない。

優しく言ったつもりが逆に傷つけてた

過去には「ここの欄、間違えられる方が多いので注意してくださいね」と言っただけで、依頼人が不機嫌になったことがある。言い方が悪かったのかもしれないけど、注意しなければまた書き直しになる。そのジレンマ。言っても嫌がられる、言わなければまた同じミスが起きる。毎回どう声をかけるか、内心では綱渡りのように言葉を選んでいる。

気まずさは残り香のように残る

たとえその場がうまく収まったとしても、なんとなく気まずさって残るものだ。再来訪の時に「また間違えたらどうしようって思ってて…」と依頼人に言われたとき、なんとも言えない気持ちになった。気にさせてしまった後悔と、それでも間違いを防ぎたいという思い。その狭間で、自分は一体どこに立っているのかとふと疑問になる。

笑って流せない自分の小ささも嫌

もっと器が大きければ、「いいんですよ〜」と笑って流せたかもしれない。でも、自分はそんな立派な人間じゃない。仕事に追われ、余裕もなく、ちょっとしたことで疲れてしまう。独り身の司法書士。誰かに愚痴ることもできず、今日もまたひとり反省会。そんな自分を笑えるくらいには、なりたいものだ。

日常に潜む落とし穴を避けきれない

毎日の業務には、実は落とし穴がそこら中にある。今回のようなサインミスだけじゃない。説明したつもり、伝えたつもり、確認したつもり…そんな“つもり”が油断の正体だと気づいているのに、忙しさに紛れてまた繰り返す。

慣れってやつが一番危ない

「これぐらい説明しなくても分かるだろう」「ここは毎回こうだから大丈夫」そんな“慣れ”がトラブルの温床。今回のサインミスも、こちらの説明が丁寧だったかと言われれば…正直微妙だった。慣れはこっちのせい。相手には通じていなかった。それを痛感した。

説明不足は自分の責任

依頼人のせいにするのは簡単。でも、それはきっと逃げだ。説明が不十分だったかもしれない、図で見せればよかったかもしれない、紙の色を変えて注意を促せばよかったかもしれない。ミスの背景を冷静に振り返ると、やはり自分の不備が見えてくる。だからといって、疲れが減るわけじゃないんだけど。

次から気をつけようの次がまたある

「次から気をつけよう」このセリフを何度自分に言っただろう。でも、また似たようなことが起きる。それが日常。完璧なんて無理だと分かっていても、せめて減らしたい。でも、忙しさは変わらないし、焦りもなくならない。だからこそ、自分だけは愚痴ってもいいことにしている。誰にも迷惑をかけない範囲で、ひとり心の中でボヤきながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。