ふいに突き刺さる無邪気な一言
その日は何の変哲もない日曜日だった。姉の家に顔を出し、甥っ子とテレビを観ながらまったりと過ごしていた。野球の話で盛り上がっていたところに、ふと甥っ子が口にした。「ねえ、なんで結婚しないの?」その言葉に、思わず笑ってごまかしたけれど、胸の奥がギクリと痛んだ。あまりに無邪気で、あまりに純粋な質問。それだけに答えに困るし、自分の中の“空白”をまざまざと突きつけられた気がした。
甥っ子の素朴な疑問が心に残る理由
「なんで結婚しないの?」という問いは、まるで「どうして空は青いの?」のような純粋な疑問なのだろう。しかし、こちらはそう簡単に答えられない。人生経験があるぶん、いろいろな感情や背景が絡み合う。若い頃に誰かと付き合っていた話や、結婚のタイミングを逃した理由、仕事を優先しすぎた過去。それらをどう子どもに噛み砕いて説明すればよいのか。そもそも、自分自身が明確に答えを持っていないのだ。
身内だからこその遠慮のなさ
甥っ子のような存在は、妙に遠慮がなく、しかし憎めない。見栄も建前も通じない関係だからこそ、思っていることをそのままぶつけてくる。友人や仕事関係者には決して聞かれないようなことも、家族だと平気で聞いてくる。その率直さに、なんとも言えない気持ちになる。普段、誰にも突っ込まれない自分の人生の核心を、まるで軽々と踏み込まれたような気がして。
答えに詰まる自分がいた
「なんでだろうなあ」と笑ってごまかしたあと、車の中で一人になってから、自問自答が始まった。なぜ俺は、結婚しなかったのか。いや、できなかったのか? 思い出そうとすると、仕事に打ち込んできた自分が浮かんでくる。だが、それは本当に“打ち込んできた”のか、単に“逃げていた”のか。胸の中で、答えのない問いがグルグルと回っていた。
結婚しないのか 結婚できないのか
40代も半ばを過ぎて、「結婚」という言葉は、現実味を持たなくなってきた。ただ、まったく関心がないわけでもない。職場の女性が寿退社したときには、ほんの少しだけ羨ましくもあったし、何かを失ってきたような気もした。自分はあえて独身を貫いてきたのか、それともそうせざるを得なかったのか。その違いは大きい。だが、その境界線はあまりにも曖昧で、言葉にしづらい。
選んだつもりで 選ばれていない現実
若い頃、「結婚なんていつでもできる」と思っていた。けれども気づけば、付き合っていた人とはすれ違いばかりで、気まずくなって終わるパターンが多かった。仕事の忙しさや気配りの足りなさを言い訳にしてきたけれど、結局のところ“選ばれなかった”だけなんじゃないかと、最近は素直に思えるようになった。選ばれない現実を受け入れるのには、時間がかかった。
仕事を言い訳にするのはもうやめたい
「忙しいから結婚なんて無理」と、ずっと言い続けてきた。でも、よく考えれば、忙しいのはみんな同じ。結婚して子どもがいて、それでも頑張っている人はいくらでもいる。仕事を盾にして、自分の弱さや面倒臭さから逃げていたのだ。もうそろそろ、そういう言い訳をやめる時期なのかもしれない。甥っ子のひとことで、そんなことまで考えさせられた。
司法書士としての日々に埋もれて
司法書士として独立し、地方で小さな事務所を構えて十数年。毎日が締切と責任の連続で、気づけば休みの日も仕事のことで頭がいっぱいになっていた。事務員の女性と二人だけの職場で、気も使いながら、何とか回してきた。世間では「士業=安定」と言われることもあるが、実際のところは不安定で、プレッシャーに押し潰されそうになることもしばしばある。
ひとり事務所のリアル
一人雇っているとはいえ、実質的にはほぼ一人で回しているようなもの。相談も雑務もクレーム対応も、すべて自分でやる。クタクタになって帰宅し、誰かに話す相手もいない日常。そんなとき、ふと「こんな生活、いつまで続けるんだろう」と思う。がむしゃらに働いてきたけれど、ふと立ち止まると、何かを置き忘れてきた気がする。
事務員との距離感と微妙なバランス
うちの事務員は、仕事はできるけど、人と深く関わらないタイプ。ありがたい存在だが、職場の空気はどこか“淡々”としていて、温もりがあるとは言いづらい。とはいえ、下手に距離を詰めると誤解されかねないし、無駄に気を遣う。だからこそ、あえて一定の距離を保っているが、それがまた孤独を助長する。難しい関係だ。
業務に追われるとき ふと湧く孤独
登記の締切や裁判書類の準備、クライアントとの調整。やることは山ほどある。目の前の業務に没頭していれば、孤独を感じずに済む。だが、ふと手が止まった瞬間、静寂が襲ってくる。その静けさに、やけに「一人なんだな」と実感させられる。そんな夜は、テレビの音さえ虚しく感じる。
それでも人のために働いている
愚痴は多いが、この仕事を嫌いになったことはない。誰かの不安を少しでも減らす手助けになっていると感じるとき、司法書士で良かったと心から思う。だから、結婚してないからといって、人生が失敗だとも思っていない。ただ、たまに寂しくなるのは否定できない。それでも、自分なりに人の役に立っているという自負はある。
依頼者との小さな信頼の積み重ね
「先生にお願いしてよかった」と言われる瞬間が、何よりの報酬だ。お金のためだけじゃ続かない仕事だと思う。些細な不動産の名義変更でも、家庭裁判所の書類作成でも、そこには人の事情や想いが詰まっている。その気持ちに寄り添えたとき、自分の存在価値を少しだけ感じる。
感謝の言葉が心に沁みる瞬間
ある依頼者から「相談してなかったら、どうなっていたかわからない」と言われたことがある。こちらとしては淡々と仕事をこなしたつもりだったが、相手にとっては救いだったようだ。その一言が、何よりも心に残っている。報われたと感じる瞬間は、何気ない「ありがとう」の中にある。
誰かの役に立っているという確信
日々の仕事は地味で、華やかさとは無縁だ。だが、誰かの暮らしを少しだけ支えているという実感が、自分の支えにもなっている。それがなければ、この孤独にも押し潰されていたかもしれない。結婚していないという空白を、仕事を通じて少しでも埋めている。そんな日々だ。
結婚だけが人生じゃないと信じたい
結婚して家庭を持つことも素晴らしい。でも、それだけが幸せの形ではないはずだ。甥っ子の素直な一言に揺れつつも、今の自分を否定しないでいたい。たとえ独りでも、誰かのために動いていることには意味があると信じている。
一人でいることの意味を考える
独身という選択が、これからどういう影響を与えるのかはわからない。でも、ひとりでいる時間があるからこそ、考えられることもある。無理に人に合わせず、自分の価値観で過ごす時間。それは贅沢でもあるのかもしれない。
甥っ子に誇れる大人でありたい
将来、甥っ子が大人になって、あの日の質問を覚えているかどうかはわからない。でも、ふと思い出したときに、「あの時の叔父さんは、独身だけどカッコよかった」と言われたら嬉しい。そんなふうに、自分の生き方を誰かに肯定してもらえるような大人でいたい。