依頼者の笑顔に救われた日々

依頼者の笑顔に救われた日々

忙しさに潰されそうな毎日の中で

地方の司法書士として独立して十数年。事務員一人と二人三脚でなんとか事務所をまわしているけれど、日々の業務に追われる生活は想像以上にハードだ。役所や法務局、銀行、依頼者の対応、そしてミスが許されない書類作成。毎日が綱渡りで、精神的にも肉体的にも限界に近い日も少なくない。特に繁忙期には昼食を取る時間すら惜しく、トイレに行くタイミングも逃す。仕事の充実感よりも「今日もなんとか終わった…」という疲労感の方が大きい。そんな生活が続けば、ふと「自分は何のために働いているのだろう」と疑問にすら思えてくる。

朝起きるのが怖くなる瞬間

布団の中で目を開けた瞬間、脳裏に浮かぶのは「今日の予定をこなせるか」という不安ばかりだ。土曜日も日曜も、いつもどこかで電話が鳴るのではと携帯を手放せない。寝ていても夢の中で申請期限を忘れていたり、依頼者に怒鳴られていたりと、完全に心が休まることがない。かつて野球部だった頃は、どんなにきつい練習でも仲間と声を出し合って乗り越えていたが、今のこの仕事は誰にも相談できない孤独なマウンドに一人立っているようなものだ。

やる気より先に来る胃の痛み

「さあ今日も頑張ろう」と思うより先に、まず胃がキリキリと痛む。胃薬を常備しているのはもう日常。業務量が多すぎて、午前のうちに予定が押してしまうことも多く、予定通りに進む日はほとんどない。そんな日々に慣れてしまった自分が怖くなる。ある意味、異常なストレス状態に適応してしまったとも言えるかもしれない。ふとした瞬間に「誰かに『無理しないでください』って言われたい」と思うけど、言ってくれる人はいない。自分で踏ん張るしかないのだ。

「今日も一日持つのか」という不安

時計の針が9時を回る頃には、もう体が重く感じる。昼前には「まだ半日もあるのか…」と疲労感に飲まれそうになる日もある。業務だけでなく、精神的なプレッシャーも重い。申請書類一つ間違えば、依頼者に迷惑がかかる。だから慎重にならざるを得ない。でも慎重になればなるほど時間がかかり、効率が落ち、また自分を責める。そのループの中で、「今日もちゃんと終われるだろうか」と不安になることが多い。

事務所に流れる沈黙のプレッシャー

事務所は小さい。パーテーションもなく、事務員のキーボードを打つ音も電話の声もすぐ横で聞こえる。でもその空間が息苦しく感じる時がある。忙しさのあまり、事務員に強くあたってしまったこともある。後から反省して謝るけれど、空気はやっぱり重くなる。そういう空気の中で仕事をするのはしんどい。和やかに仕事したいのに、余裕がない自分がそれを壊してしまっている。そんな自分に嫌気がさす。

事務員の気配すら気になってしまう

事務員のため息ひとつに「自分の指示が悪かったか?」と気を回しすぎる。そんなつもりじゃないのに、気を遣われているのがわかるから、余計に苦しくなる。たった一人しかいないスタッフだから、辞められたら本当に困る。でも、その気持ちが逆にプレッシャーになってしまい、自分で自分の首を絞めているような状態になることも。ちょっとした雑談すら、どこかぎこちなくなってしまった。

小さなミスも自分の責任に思えてくる

例えば、提出期限を勘違いしていたとか、依頼者に確認漏れがあったとか、ほんの小さなことでも「全部自分のせいだ」と思ってしまう。もちろん責任者だから当然なんだけれど、ずっと背負い続けるのはしんどい。事務員が見落としたことでも、自分の指導が足りなかったと責めてしまう。そのうち、何もかもが自分の責任に感じて、どんどん思考が暗くなっていく。

それでもやっていけた理由

じゃあなぜ、こんな仕事を続けていられるのか。自分でも不思議になる。でも答えは意外と単純だった。「依頼者の笑顔」だ。どれだけしんどい日でも、誰かがふと見せてくれる笑顔や「助かりました」「ほんとにありがとう」の言葉。それがあるから、また明日も事務所に来ようと思える。完全に割り切れるものではないけれど、人の役に立てている実感が、心のどこかにあるのだと思う。

不意にこぼれる依頼者の笑顔

ある高齢の女性の相続登記を手伝った時のこと。何度も何度も書類の説明をして、「難しくてごめんなさいね」と言うたびに「先生の声は安心する」と言われた。手続きが完了したとき、にっこり笑って「これで安心して旅立てるわ」と冗談交じりに言われた時は、思わず涙が出そうになった。何気ない一言だったけど、自分の存在が少しでも誰かの心の支えになったなら、それだけで救われる。

「ありがとう」の一言が支えになった

「なんだか一人で抱え込んでましたけど、先生と話して楽になりました」そんな言葉を言われることがある。自分ではただ淡々と説明しているだけのつもりでも、相手はそこに安心を感じてくれているらしい。そういう時に、「司法書士になってよかったな」と初めて思える。報酬が高かったわけでもない、注目されるような仕事でもない。でも、その「ありがとう」が今も自分を支えてくれている。

自分の価値を再確認できた日

日々に追われていると、自分が何者か、何をしているのかすらわからなくなる。でも依頼者の言葉や笑顔があると、ふと「自分には価値がある」と思える日がある。それは大げさな話ではなく、ほんの些細なやりとりの中で感じるもの。誰かに感謝されることで、「今日もなんとかやっていこう」と思える。依頼者の笑顔に、自分の存在が肯定されているような気がしてくるのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。