書類チェックで燃え尽きた午後

書類チェックで燃え尽きた午後

静かな午後に忍び寄る書類の山

昼下がり、ようやく一息つけると思ったのも束の間、机の上には分厚い登記申請書類の束。午前中の相談対応や急ぎの電話対応で思った以上に体力も気力も削られていて、目の前の紙がもはや敵に見えてくる。司法書士の仕事というのは、集中力が求められる。特に書類チェックは一つでも誤字脱字、日付のズレがあれば依頼人にも迷惑をかける。そんなプレッシャーをひとり抱えたまま、午後の静寂に包まれた事務所で、僕は今日もひとりで向き合っていた。

午前中の案件ラッシュで消耗した心

朝一番から、相続登記の相談、会社設立の打ち合わせ、そして金融機関との電話確認……息つく暇もなく動き回った。しかも、依頼者の中には何度も同じ説明を求めてくる方もいる。決して悪気があるわけじゃないんだろうけれど、「ああ、また最初からか」と思うと、どうしても気持ちが沈む。そうして迎えた昼、やっと弁当を広げた瞬間にも電話が鳴る。この時点で、心の中では「もう勘弁してくれよ」と何度もつぶやいていた。

依頼者の笑顔に支えられていた頃

開業当初は、多少の無理があっても依頼者の「ありがとう」の一言で報われていた気がする。「あの先生にお願いしてよかったです」と笑顔で言われるたびに、「よし、次もがんばろう」と自分に言い聞かせていた。でも、十年も続けていると、少しずつその言葉も響かなくなってくる。現実的な締切、目の前の業務量、そして自分自身の体力の限界。ありがたい言葉の重みが、むしろ重荷に変わっていくこともあるのが、正直なところだ。

それでも「やりがい」はどこかにあった

ただ、それでもやっぱり続けているのは、自分の仕事が誰かの人生の一部を支えているという実感が、どこかに残っているからだと思う。新しい門出の場面、相続の節目、企業の未来への一歩――その節々に司法書士として関われるというのは、誇れることだ。そう自分に言い聞かせながら、今日も黙々と書類を見つめている。

昼食後の眠気と戦いながらの書類チェック

午後一番の時間帯は本当にしんどい。昼食を終えたばかりの体は、あからさまに休息を求めている。まぶたは重く、集中力はどこか遠くへ行ってしまったようだ。それでも、目の前の申請書類は待ってくれない。「抵当権設定契約書」「委任状」「印鑑証明書」…ひとつひとつ確認していく作業は地味だけど、絶対に間違えられない。まるで終わりのない内野ノックのように、同じ書類を何度も何度も確認する。

眠気以上に重たかった司法書士の責任

ふと気が抜けると、間違った登記原因に印をつけてしまいそうになる。その一瞬のミスが、登記却下、依頼者の信頼失墜、ひいては自分の評価に直結する。この責任感、たまに「何でこの仕事選んだんだろう」と自問自答することもある。昔の野球部時代のノリで「司法書士ってカッコいいかも」なんて思っていた頃の自分に、今なら一言いってやりたい。「甘くないぞ」と。

「見落とし」は許されない世界

一文字の間違い、一行の記入漏れ、それが命取りになる仕事。しかも、それに気づいてくれる人は誰もいない。全部自分で気づくしかない。孤独だ。だけど、逆に言えば、ここでのミスを防げたとき、ひとつの達成感を得られる。それがほんの一瞬でも、自分を少しだけ前に進めてくれる気がする。

午後三時に訪れた限界のサイン

時計の針が午後三時を回った頃、ふと手が止まった。書類の文字がぼやけ、何をしていたのかも曖昧になる瞬間。頭が回らず、コーヒーを入れに立ち上がることさえ億劫になる。燃え尽きた、という言葉がこれほどぴったりくる時間帯もない。

集中力が切れた瞬間に出た深いため息

「はあ……」と何度目かのため息が漏れる。誰にも聞かれていないと思っていたら、後ろから「大丈夫ですか?」と事務員の声。恥ずかしいような、救われるような。集中力の限界は、誰にでもある。だけど、それを口に出せないのがこの仕事のつらいところでもある。

誰にも頼れない一人事務所の現実

本当は、誰かに「これ、ちょっと見てくれないか?」と言いたい。でも、雇っている事務員もフル稼働状態。頼るに頼れない。自分でやるしかない。こんな状況を自分で作ってしまったことにも、どこかで悔しさを感じる。チームで支え合う働き方なんて、もう夢のまた夢だ。

事務員も手一杯 自分でやるしかない

「この書類、確認お願いします」と言えば、「今ちょっと手が離せません」と返される。別に冷たいわけじゃない。現実的に手が足りないのだ。だから、結局自分で全部見る。疲れていても、間違えられない。理屈じゃない、そういう世界で働いているのだ。

書類チェックで燃え尽きたあとに残るもの

チェックを終えた書類の束をクリアファイルにまとめて、封筒に入れる頃にはもう夕方。「今日も終わった」と思うが、どこか空虚さが残る。達成感というより、ただの疲労感だけがじんわりと身体に広がる。

正確さとスピードの狭間で揺れる日々

もっと早く、もっと正確に――毎日その間で揺れながら仕事をしている。スピードを上げればミスのリスクが増えるし、正確性を優先すれば終わらない。司法書士の仕事は、時間との戦いであり、同時に神経との戦いでもある。その両方が襲ってくる午後の時間は、まさに試練だ。

完璧主義が自分の首を絞めている

どこかで「ミスしないのが当たり前」と思い込んでいる節がある。だから、少しのミスでも落ち込むし、自分を責める。それが積もると、どんどん精神的に追い詰められていく。完璧じゃなくてもいい――そう言えるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

それでも仕事を投げ出せない理由

やめようか、と思う日もある。でも、依頼者からの感謝の言葉、家族を思う年配の依頼者の姿、事務所を立ち上げた日の気持ち。そんなものが、ふとした瞬間に頭をよぎって、またパソコンに向かってしまう。好きかどうかはわからない。でも、逃げたくない。そんな意地だけで、今日もまた机に向かっている。

疲れ果てた午後の小さな救い

結局、何も劇的には変わらない。だけど、事務員との何気ない会話や、コーヒーの香り、夕方の窓から差し込む光が、少しだけ心を和らげてくれる。そうした些細なことが、今日一日を乗り越える小さな支えになる。

事務員のひと言に救われることもある

「今日、大変そうでしたね」とぽつりと言われたその一言が、妙に心に染みた。「誰かが見てくれていた」と思うだけで、もう少し頑張ろうと思える。ひとりでやっているようで、誰かと一緒に働いている。それを忘れないようにしたい。

元野球部の粘り強さはどこへやら

高校時代、夏の大会で何十球もファウルで粘った打席を思い出す。あの頃は、「絶対に打ってやる」と必死だった。あの粘り強さ、どこへ行ったんだろう。少しは今の自分にも、その根性が残っていればいいのだけれど。

燃え尽きた自分にも少し優しくしてみる

「今日は頑張った」と、ひとりごとのようにつぶやいてみた。誰に聞かれるわけでもないけれど、それだけで少し救われる気がする。自分を責めるばかりじゃなく、たまには労ってやる。それくらいの優しさを、自分自身にも与えていいはずだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。