何もかも投げ出したくなった日

何もかも投げ出したくなった日

何もかも投げ出したくなった日の朝

司法書士として仕事をしていると、時々すべてがどうでもよくなる朝がある。目が覚めた瞬間から、全身が鉛のように重く、立ち上がるのも面倒くさい。そんな日は決まって、前の日に何かうまくいかなかったことがある。登記の訂正依頼だったり、依頼人からのクレームだったり。何もかも投げ出して、どこか遠くに行きたくなる。「今日こそ無断で休んでみようか」と本気で思ったその朝。だけど、事務員が一人いる以上、休むという選択肢すら重くのしかかる。

眠れない夜が明けた時の絶望

仕事が立て込んでいるとき、頭がぐるぐるして眠れなくなることがある。布団に入っても、「あの書類、間違っていなかったか」「あの電話、ちゃんと確認したか」と不安ばかりが浮かんできて、気がつけば朝方。ウトウトしたかと思えばすぐにアラームが鳴り、寝不足のまま仕事が始まる。睡眠不足は集中力も判断力も鈍らせる。そんな状態でミスをすれば、また自分を責めるループに入る。疲れているのに休めない、それが司法書士の現実だ。

メールの未読件数にうんざりする

パソコンを開いて一番最初に目に飛び込んでくるのが、未読メールの数字。たった一晩で十数件増えていると、朝からげんなりする。問い合わせや急ぎの依頼、補正の指摘など内容もさまざまで、ひとつひとつ丁寧に対応しなければいけない。けれど、時間は有限で、こちらは人手も足りない。メールの受信音がトラウマになりそうな日もある。全部放っておいて、見なかったことにしたくなる瞬間、あるあるじゃないですか?

なぜか依頼は月曜日に集中する不思議

なぜか月曜日は、依頼や相談が異常に集中する傾向がある。週末に家族と話し合って気持ちが固まるのか、突然の相続や離婚の相談が一気に押し寄せてくる。こちらは週末も頭が休まっていないのに、月曜朝からフルスロットルの対応を求められる。時には午前10時までに3件の面談予約が入ることもある。そのたびに「他の曜日じゃダメだったのか」と愚痴りたくなるが、口に出せる相手もいない。結局、ひとりで飲み込んで処理していく。

コーヒーの味すら苦く感じる時

朝のコーヒーは私にとって唯一のルーティンだ。豆を挽く時間だけは無心になれて、心が落ち着く。けれど、そんなコーヒーすら苦く感じる日は、心が相当疲れている証拠だ。味がしない、というよりも「もうどうでもいいや」と感じる。味わう余裕がないのだ。誰かに「がんばらなくてもいい」と言ってもらいたい。だけど、それを言ってくれる人もいない。独身の孤独って、こういうところにじわじわ効いてくる。

朝から始まる電話地獄

事務所を開けたとたん、鳴り響く電話の音。電話の第一声が怒鳴り声だった日には、それだけで一日が台無しになる。内容を聞いてみれば「書類の字が読みにくい」とか「登記完了がまだか」など、理不尽なものも多い。もちろん丁寧に対応するが、心の中では「そんなのあなたの確認ミスでは?」と叫びたくなる。けれど、叫んでも誰も聞いてくれないし、むしろこちらが悪者にされる。この無力感に飲み込まれそうになる。

急ぎの案件ほど、内容がふわふわしている矛盾

「急ぎでお願いします!」と頼まれた案件に限って、肝心の資料が不足していたり、依頼人の説明が曖昧だったりする。この矛盾、なんなんだと思う。急ぎならせめて内容をしっかりしてくれと思うが、それを指摘すると「融通がきかない」と言われる。まるでこちらが悪いような空気になることもある。なんでもかんでも押しつけられる日々の中で、「投げ出したい」という気持ちは確実に蓄積されていく。

忙しさの中で自分を見失う

目の前の業務をひたすらこなしていくうちに、自分が何者なのかすらわからなくなる瞬間がある。書類を整え、電話に出て、登記を申請し、補正に対応する…。気がつけば一日が終わり、達成感はなく、ただ疲労だけが残る。何のためにこの仕事をしているのか、本当にやりたかったことは何だったのか。そんな問いを自分に向けても、答えが返ってこない。疲れきった脳には、思考する余白すらないのだ。

「誰のために仕事してるんだっけ」と思った瞬間

依頼人のため、事務所のため、自分の生活のため…。理由はいろいろあるはずなのに、ある日ふと「なんでこんなに頑張ってるんだっけ」と思ってしまった。仕事の成果が見えづらい司法書士の業務では、自己肯定感が育ちにくい。感謝されるよりも、文句を言われることの方が多く、心がすり減っていく。「自分がいなくても誰かがやるんじゃないか」と思った日、そのまま消えてしまいたくなる気持ちがよぎった。

ありがとうより先に飛んでくるクレーム

どれだけ丁寧に仕事をしても、「ありがとう」より先に「これ違うんじゃない?」が飛んでくる。たとえば書類を早めに提出しても、「封筒が開けづらかった」と文句を言われる。そういう細かいことが積み重なると、「もういい加減にしてくれ」と思う。人の役に立ちたいと思ってこの仕事を選んだのに、今ではその思いが裏目に出てばかりだ。

やる気が出るタイミングがいつもズレている

不思議なことに、やる気が出るのは大抵深夜だったり、事務所が閉まったあとだったりする。集中力が高まって「今ならいける」と思っても、翌朝にはまたゼロからのスタート。効率よく働くどころか、やる気と現実のタイミングがかみ合わないことに、自分でもうんざりしている。結局、気合いでどうにかするしかないのが、この仕事のつらさでもある。

たったひとりの事務員に救われる

こんな日々の中で、唯一の救いは事務員の存在だ。ひとことふたことの会話に救われる。言葉よりも態度、沈黙の中にある気遣いに、心がじんわり温かくなることがある。彼女もまた忙しさに追われているはずなのに、文句も言わず淡々と作業をこなしてくれている。その姿に、負けていられないと少しだけ思えるのだ。

言葉よりも沈黙に救われた日

ある日、やけに落ち込んでいた私に、彼女は何も聞かず、何も言わず、ただお茶を出してくれた。それだけで、なぜか涙が出そうになった。言葉をかけられるよりも、ただ「いてくれる」ことのほうが、人を救う時もある。司法書士は孤独な職業だけれど、こういう瞬間があるから、なんとかやっていけているのかもしれない。

机の上の差し入れに涙ぐむ自分が情けない

忙しい日にふと机の上に置かれていた、コンビニのおにぎりと手書きのメモ。「お昼まだでしょ?」とだけ書かれていた。たったそれだけのことで、涙腺が崩壊しそうになった。誰かが自分を気にかけてくれている、それだけで心が回復する。情けないけれど、そんな小さなことに救われているのが、今の自分の現実だ。

それでも辞めなかった理由

辞めたいと思った日は数えきれない。でも、結局まだここにいる。それは、自分が司法書士という仕事にしがみついているからじゃなくて、もう少しだけ誰かの役に立てるかもしれないという希望が、かすかに残っているからかもしれない。逃げたい日もある。でも、踏ん張れた日が少しでもあれば、それはきっと無駄じゃない。

逃げたらもっと自分を嫌いになりそうだった

逃げることは悪くないと頭ではわかっている。でも、自分の中にある「諦めたくない気持ち」が、それを許してくれなかった。中途半端で放り出すのは簡単だけれど、そんな自分を好きにはなれない気がした。だったらもう少しだけ続けてみよう、今日だけ頑張ってみよう、そんな気持ちでまた机に向かっている。

一度だけ「助かった」と言われたあの日

ずっと前に、ある依頼人から「あなたがいてくれて助かった」と言われたことがある。たった一度きりだったが、その言葉が今も心に残っている。自分の仕事に意味があったと実感できた唯一の瞬間だった。その一言だけで、また前を向いて仕事をしようと思えた。それが、いまもなんとか続けている理由のひとつだ。

自分がいなくても世の中は回る…でも

正直、自分がいなくてもこの社会は何も困らないと思っている。司法書士なんていくらでもいるし、自分の代わりはいくらでもいる。だけど、それでも「あなたじゃなきゃダメだった」と言われたら、その一瞬だけでも価値が生まれる。そんな瞬間を信じて、今日もなんとか生きている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。