気がつけば趣味と呼べるものがなくなっていた
昔は「趣味は?」と聞かれて「野球です」と胸を張って答えていた。草野球にも顔を出していたし、バットを振るだけでストレスが吹き飛ぶ気がしていた。だが今、その質問にどう答えるかと聞かれれば、間違いなく「仕事です」と言うしかない。別に仕事が楽しいわけじゃない。ましてや趣味になるほど没頭しているというよりは、他に何もないからそう言うしかないのだ。時間も気力も、すべてが業務に吸い込まれていく中で、趣味の「し」の字も口に出せない日々が続いている。
昔は野球が生きがいだった
中学・高校と野球部で過ごし、真っ黒に日焼けした青春は、今でも夢に見るほど大切な記憶だ。引退してからもしばらくは、休日にバッティングセンターへ足を運んでいたし、草野球の試合にも出ていた。だが司法書士として独立してから、気がつけばユニフォームに袖を通すこともなくなった。仕事が終わるころには体力も気力も尽きていて、バットを握る余裕などどこにもない。気づけば、あれほど好きだった野球が、過去のアルバムの中の存在になっていた。
働くことで休日を消費するようになった
独立して間もない頃は、「週末くらいは休もう」と思っていた。だが登記の期限や依頼人からの急な連絡、そしてたった一人の事務員さんが休みの日は、必然的に僕がすべて対応することになる。結果、休日は「やるべきこと」に追われるだけの時間に変わっていった。もはや休みの日でさえ、事務所の電話が鳴ると反射的に出てしまう。「何かあったか」と身構える自分に気づき、ふと我に返って溜息をつく。そんなことが、もう何年も続いている。
「趣味は仕事」と答えるしかない飲み会の空気
たまに参加する異業種交流会や飲み会で、「趣味って何かあるんですか?」と聞かれることがある。正直、その瞬間が一番つらい。「仕事以外のことしてないな」と改めて自覚させられるからだ。「仕事です」と答えると、大抵の人は「ストイックですね!」と笑ってくれるけれど、その場の空気は微妙に凍る。誰もがゴルフや旅行、アニメなど何かしら趣味の話で盛り上がる中で、自分だけ話題がない。それが妙に寂しくて、あとで一人反省会を開く羽目になる。
本当はちょっとだけ寂しいけれど
趣味がないのは別に悪いことじゃない。だけど、人と会話を交わすとき、共通の「好きなもの」がないと、どうしても話が膨らまない。相手が釣りの話で盛り上がっていても、僕には何も言えない。「あー、いいですねぇ」と相槌を打つだけ。内心では「何か始めてみようかな」と思うけれど、その気持ちもまた仕事に押し流されて消えていく。ほんの少しの孤独を感じる瞬間が、積もり積もって、大きな空白になっていくのだ。
ウケ狙いでもなくガチですと伝えて失敗する
ある日、「仕事が趣味なんです」と言ったら、相手が爆笑して「ウケるー!」と返してきた。でも僕は冗談のつもりじゃなかった。本気でそう思っていたし、むしろそう言うしかなかったのだ。真顔で「本気なんです」と言い直すと、相手の笑顔が引きつったのが印象的だった。「なんか大変そうですね」と言われたけど、それ以上の言葉は続かなかった。このとき思った。「本音って、時に一番場を冷やすんだな」と。
仕事が趣味になったのではなく趣味が仕事に食われた
たまに「好きなことを仕事にできていいですね」と言われるけど、正直なところ、好きなことが仕事になったというより、仕事に追われるうちに趣味が消えていっただけだ。業務に追われ、休日も業務に追われ、何かを始める余裕も失われる。趣味とは「余白」だと思う。その余白が僕にはもうない。だからこそ「趣味は仕事です」と言うしかないのだ。
時間を使えるのは緊急案件と納期のことだけ
この仕事、突然の登記依頼や緊急対応が本当に多い。お客様にとっては「一生に一度の大事な手続き」だから、こちらも慎重になる。その分、日々のスケジュールはどんどん押していく。夜に予定していた録画のドラマも結局観られず、深夜に処理しているうちに一日が終わる。そんな日常の中で、「じゃあ何を楽しみにしてるの?」と聞かれたら、もう「お客様の安心した顔かな」としか答えようがない。
何かを始めても「結局やれてない」自分がいる
数年前、陶芸教室に通い始めたことがある。土の感触が心地よくて、無心になれる時間が好きだった。でも、最初の数回だけ通って、次第にキャンセルが続いた。「忙しいから」と自分に言い訳しながら、気づけばフェードアウト。やりたい気持ちはあったのに、結果としてやれなかった。それが悔しくて、今では「最初から始めない」選択をしている。でもそれって、ちょっと情けない。
事務所を守る責任と自分の生活のバランス
独立してから10年以上経つが、この事務所を守ることが日々の最優先事項だ。事務員さんにも生活があるし、依頼者にも信頼がある。自分一人の気分で休むわけにもいかない。そんな中で「趣味」という概念は、どこかに置いてきてしまった。余裕がないわけじゃない。いや、余裕が「ないことにしている」だけかもしれない。
雇った事務員さんの生活を考えると弱音も吐けない
彼女は本当に優秀で、この事務所を支えてくれている。でも、彼女の生活を守るためには、安定して仕事を受け続けなければならない。そのプレッシャーがあるから、つい無理をしてしまう。自分の体調より、締切とお客様の満足度を優先する。結果、どんどん自分の時間が削られていく。でも、それを言い訳にしたくない自分もいる。だから黙って働く。それしかない。
頼られることと孤独は紙一重
「頼りにしてます」と言われるのはうれしい。けれど、その裏側には「一人で背負う」という孤独がある。何か困ったとき、自分が倒れたらすべてが止まる。その不安を抱えながら、それでも平気なふりをして働いている。誰にも相談できず、ただ、今日を回すだけの日々が続いていく。
休みの日も電話が鳴るという呪い
スマホが鳴るたびに、心臓がヒュッとする。「今だけはやめてくれ」と思うけど、仕事の電話なら無視はできない。結果、休みの日も仕事に引き戻される。着信履歴の中に「プライベートな名前」が一件もないことに、ふと気づいたとき、なんとも言えない気持ちになる。やっぱり趣味なんて、持てるわけがなかったのだ。
この生活を選んだ自分に問いかけたい
誰に強制されたわけでもない。司法書士という道を選び、独立を選んだのは自分だ。それでも「これでよかったのか」と考える夜がある。もし別の人生だったら、もっと自由に、もっと気楽に生きていたかもしれない。けれど、選んだ以上は逃げられない。逃げる気も、ないのだけれど。
「何のために働いているのか」と夜に自問する
報酬のため?人のため?それとも、自分の存在価値を証明するため?答えは毎晩変わる。けれど確かなのは、「今日もちゃんと働いた」という実感が、どこかで自分を救ってくれていること。たとえ趣味がなくても、誰かの役に立っている。その事実だけが、自分を支えてくれる日もある。
答えが出ないまま朝が来る
深夜にモヤモヤを抱えて布団に入る。考えても答えは出ないし、眠気もなかなか来ない。やっと寝たと思ったら、もう朝。今日も変わらぬ一日が始まる。そしてまた仕事に追われて、趣味のことなんて頭から抜けていく。そうして今日もまた、「趣味は仕事」と言う自分がいる。
そしてまた「趣味は仕事」と答える日が始まる
今日も変わらず事務所を開け、書類をチェックし、電話を取り、登記を回す。何の変哲もない、けれど大切な一日。誰かに聞かれたら、やっぱりこう答えるのだ。「趣味は仕事です」。本音を込めて。