春の終わりに届いた相談
梅雨入り目前のどんよりとした朝、俺は書類の山に埋もれていた。季節の変わり目はなぜかトラブルが多い。そんな時に限って、相談者はドラマのような話を持ってくる。
「彼からプロポーズされた翌日に、彼の家の名義が他人になっていたんです」
事務所の扉を開けた女性は、声を震わせながらそう言った。その目元には、泣いた跡がくっきり残っていた。
泣きながらやってきた依頼人
依頼人は30代前半、指先には光のない婚約指輪が嵌められていた。「これ、もらったばかりなんです。でも…彼の態度が急に変わって…」
その指輪は、まるで呪いのように彼女の手に食い込んでいた。何かがおかしい。直感が、そう囁いていた。
俺はそっとメモを取りながら、サトウさんと目を合わせた。彼女は腕を組み、何かを見透かすように目を細めていた。
婚約と遺言の微妙な境界線
婚約とは契約か、愛の誓いか。司法書士の俺にできるのは、せいぜい名義の動きを追うことだけだ。だが今回は違う。
依頼人が差し出した紙には、彼の署名がある遺言書の写しが添えられていた。「僕の財産は、すべて前妻に譲る」
…やれやれ、、、サザエさんの波平が見たら激怒しそうな家庭のゴタゴタだ。だが、これは一筋縄ではいかないようだ。
結婚指輪と登記簿の謎
調査を進めるうちに、妙な事実が浮かび上がった。プロポーズがあった日、彼の名義だった不動産が別人へと移転されていたのだ。
登記原因は「売買」となっていたが、売買契約書は存在しない。形式だけの登記…それとも偽装か?
俺は過去の登記履歴を確認しながら、背筋に冷たいものが走った。これは偶然じゃない。
物件の名義に潜む不一致
住所は同じ、番地も同じ。だが、地番が微妙にずれていた。「これ、意図的ですね」とサトウさんがぽつりと言う。
「登記識別情報を失効させるためのトリックかも」彼女の推理は鋭かった。俺は再び登記簿に目を戻した。
そこには、司法書士らしき名前が記されていた。知らない名前…いや、聞き覚えがある。研修で見た不正事例に出ていた男の名前だ。
プロポーズの日付と登記日の矛盾
依頼人がプロポーズを受けたという日と、登記の完了日がまったく同じだった。偶然では説明がつかない。
つまり、彼は最初から財産を別人に移し、何も持たない身でプロポーズしたことになる。
俺の頭に『怪盗キッド』のような笑顔が浮かんだ。盗むのは物じゃない、信用だ。そういうタイプの男だ。
元恋人の証言
俺たちは元婚約者のもとへと向かった。彼女の話によると、プロポーズ前の一週間、彼は何度も前妻と会っていたという。
「まだ未練があるのかもって思ったけど…まさか全部仕組まれてたなんて」
そう言って肩を落とす彼女の手には、婚約指輪が握られていた。何も知らずに受け取った指輪が、罠だったのだ。
破談の理由は感情か計画か
「彼ね、いつも先回りするタイプだったの。私が怒る前に謝る。私が疑う前に言い訳する」
感情を先読みして行動する。詐欺師の典型的な傾向だ。俺は唇を噛んだ。婚約も登記も、彼にとってはただの道具だった。
「愛してる」と言ったその口で、彼は財産を移し、証拠を隠していた。
会話の中に現れた嘘
会話の録音データを確認すると、彼が言った「この家は君のものだよ」という一言が引っかかった。
その直後に「でもまだ名義は変更してないんだ」と続く。いや、変更済みだろうが。
ここが嘘だ。名義を変えた後に、まだ変更してないと語る。つまり、最初から騙す気だったという証拠だ。
現場を知る者の証言
登記に関与した司法書士に電話をかけた。最初は口をつぐんでいたが、俺が名前を名乗ると態度が変わった。
「あんた、あの研修で発表してた人か…やりにくいな」
やりにくいのはこっちだ。だが、彼は少しずつ口を開いた。「あの件、金に困っててさ…」
サトウさんの突っ込みと推理
事務所に戻ると、サトウさんが腕を組んで言った。「つまり、プロポーズが演技、登記もグル、全部前妻に戻すシナリオ」
「愛の三角関係というより、資産の三角関係ですね」毒舌に拍手を送りたい気分だった。
彼女の読み通り、これは最初から計画された詐欺だった。愛ではなく、資産を守るための演技だった。
結末の一手
最終的に、俺たちは不正登記を法務局に報告し、詐欺罪の疑いで警察にも連絡した。証拠は十分に揃っていた。
依頼人は泣きながらも、最後には「ありがとうございます」と微笑んでくれた。あの婚約指輪は、もう外していた。
やれやれ、、、これだから人の心は複雑で、でもやめられない。司法書士ってのも、案外、悪くない。