朝の電話と奇妙な依頼
朝のコーヒーに口をつけようとした瞬間、電話が鳴った。発信者は、数年前に一度だけ会った依頼人だった気がする。内容は「合筆登記に関して一度会って話がしたい」という曖昧なものだった。
眠気が取れぬまま、ぼくは簡単なスケジュールを確認してから「午後一でどうぞ」と返した。なんとなく、いやな予感がした。
サザエさんの波平が、家族会議で妙に深刻な顔をしているときのような、静かな不穏さが空気に漂っていた。
境界線トラブルの始まり
午後、現れたのは頑固そうな老人だった。農地だった土地を売ろうとしたら、登記内容と実際の境界が食い違っているという。すでに合筆されているから単独の筆が存在しない、と彼はぼくに苛立った調子で訴えた。
「このままじゃ売れん。昔の土地が消えちまったんだ」と言う。やれやれ、、、土地は消えないが、記録はたしかに見失われることがある。
ぼくは登記簿の写しを手に取り、合筆された履歴をじっくりと目で追った。
依頼人は無口な老人
それ以上多くは語らず、老人は小さな書類鞄だけを置いて帰っていった。その中には古い写真、旧土地台帳のコピー、そして昭和の終わり頃に書かれた覚え書きが入っていた。
覚え書きには、ある一筆だけが合筆から除外された理由らしきメモがあった。だが現在の登記簿にはその筆は存在していない。
「筆界線の迷宮」とでも言いたくなるような、そんな話の始まりだった。
現地調査の違和感
週明け、現地へ赴いた。雑草が生い茂る土地に境界標はほとんど見当たらなかった。隣接地の持ち主に声をかけても、誰も正確な境界を覚えていないと言う。
ぼくの足元で、地面に埋もれたコンクリートの欠片がひとつだけ見つかった。どうやら昔の境界標だったようだ。
「サザエさんの家の境界を波平が測ってるとしたら、こんな騒ぎになりそうだな」なんて、くだらない妄想をしてしまった。
消えた境界標と古い地図
法務局から取り寄せた旧公図と、依頼人の持ってきた古地図を重ねてみた。微妙に重ならない。それもそのはず、公図には縮尺の不正確さがあり、参考程度にしかならないのだ。
だが、ある角度で斜めにずらすと、一つの筆が地番ごと抜けていることに気づいた。地番は「五番一」——現在の登記には存在しない。
ここに、意図的な操作があったのではないかと疑念が湧いた。
合筆された土地の謎
通常、合筆登記では除外がある場合、除外理由が記録に残るはずだ。だが、この場合には履歴に曖昧な一文があるのみで、除外の具体が記載されていない。
さらに、合筆を担当した司法書士の氏名も、聞き覚えのないものだった。実在の士かどうか、調べる価値はありそうだ。
「これは、誰かが帳簿の隙間に筆を埋めた可能性があるな」と、ぼくはサトウさんに言った。
サトウさんの冷静な推理
「五番一だけ、相続登記が行われてないようですね。所有者不明土地の可能性もありますが、名寄せ帳で確認できます」
サトウさんが静かに資料をめくる。その眼差しは、まるでルパン三世の峰不二子のように冷たく鋭い。
彼女が見つけたのは、数十年前に失踪したという人物の名義が残る文書だった。
隠された旧地番の記録
名寄せ帳の片隅に、辛うじて「五番一」の文字が残っていた。筆界線が拡大される形で他筆と合筆された結果、地番そのものが不明瞭になっていたのだ。
だが実はこの筆に限っては、未相続のまま長期間放置されていた。つまり、どこにも引き継がれておらず、宙に浮いていたわけだ。
それを狙っていた者がいたのだろう。
元地主の行方と空白の登記簿
かつての所有者は、旧地主の次男で東京へ出て行ったきり行方不明らしい。失踪宣告が出されていない以上、相続もできず、合筆にも厄介な制約がついていたはずだ。
そして、その制約を無視するように書類を整えた誰かがいる。もしくは、関係者全員が口をつぐんだ。
やれやれ、、、またしても、静かに誰かが嘘を塗り重ねていた。
やれやれ僕の出番か
このまま黙っていては不動産取引は進まない。依頼人の不満も理解できる。法的に踏み込むなら、失踪宣告の申立てが必要になる。
面倒だが、それが真っ当なルートだ。ぼくは書類の山に向き合いながら、大きなため息をついた。
「サトウさん、裁判所への申立書、頼めるか?」と声をかけると、「もう作ってあります」とそっけなく返された。
元野球部の足で調査開始
地元の聞き込みに行くため、ぼくは久しぶりに自転車に乗った。高校時代の部活帰りの感覚が蘇る。坂道を駆け下りながら、昔の土地のことをよく知っていそうな老人を探した。
一人の古老が、件の土地には昔「物置小屋」があったと話してくれた。それが五番一の位置と一致する。
消えた筆は、物置の下に眠っていたのかもしれない。
法務局職員との再会
法務局で書類確認をしていると、懐かしい職員と再会した。かつてぼくが駆け出しの頃に迷惑をかけた相手だ。
彼は苦笑しながら「今回も厄介なのを引きましたね」と言った。そして一言、「あの合筆は、当時ちょっと問題になったんですよ」と漏らした。
誰かが強引に処理を進めたのだ。やはり裏がある。
サザエさんと筆界トラブル
この話、結局は家族間の相続争いが原因だった。サザエさんでいうところの、波平が土地を分けておらず、カツオとワカメが文句を言ってるような構図だ。
兄弟間の確執、そして疎遠になったまま放置された土地。それが、今になって火を吹いた。
それでも、きちんと手続きさえ踏めば解決はできる。それがぼくら司法書士の仕事だ。
土地の名義と家庭の争い
名義が整えば、売却は可能になる。だが家族の確執が残れば、また別の問題が起こる。合筆された筆の中に、家族の争いも押し込められていたのだろう。
依頼人もまた、何かを思い出したような顔をしていた。
「兄貴とはな……昔はよく遊んだもんだ」と、ぽつりと漏らした言葉が印象に残った。
真実が浮かび上がる夜
夜、自宅に戻って書類を整理していると、サトウさんからメッセージが届いた。「今日の件、警察沙汰になる前に片付いてよかったですね」
ぼくはようやくコーヒーを淹れ直し、静かに口をつけた。
やれやれ、、、また一筆、登記簿の隙間から真実を掘り起こした気分だった。
古い契約書に記された地名
最後に一枚だけ、古い契約書の写しを見つけた。その地名は、今は地図にない。けれど、確かにそこに人が住み、暮らしていた証だった。
登記簿は冷たいが、そこに人生が宿る瞬間がある。ぼくは静かにファイルを閉じた。
物語は終わった。けれど登記は続く。
決着と少しの後味
依頼人は、無言で深く一礼して帰っていった。解決はしたが、すべてがきれいに片付いたわけではない。
人の記憶と、土地の履歴は、時にすれ違う。司法書士はそのずれを、少しずつ修正していく仕事だ。
ぼくは今日も、また一つの線を結んだ。
老人の沈黙と相続の闇
最終的に、五番一の筆は分筆後に改めて相続登記がなされる予定だ。サトウさんが淡々と処理している。
老人はもう再訪しないかもしれない。けれど彼の胸に残るわだかまりは、少しは軽くなったのだろうか。
それを知ることは、もうない。
帰り道でのサトウさんの一言
事務所の帰り道、コンビニで買ったプリンをサトウさんに差し出すと、「糖分で誤魔化しても、根本の解決にはなりませんよ」と言われた。
やれやれ、、、まったくこの人には敵わない。
今日もまた、ぼくの一日が終わった。