なぜ“仕事終わりの一杯”は格別なのか?——疲れとビールの幸福な関係

なぜ“仕事終わりの一杯”は格別なのか?——疲れとビールの幸福な関係

仕事終わりのビールが沁みる——ただの習慣じゃない感情の発露

「仕事終わりの一杯が沁みる」と言うけれど、あれは単なる嗜好品への愛着ではなくて、自分を何とか保ち続けるための儀式に近い。司法書士という仕事には終業の合図もなければ、誰かが「今日もおつかれさま」と言ってくれるわけでもない。だからこそ、自分自身に「よくやった」と言ってやるための一杯が沁みるのだ。仕事の重さと孤独が、缶ビールの冷たさに溶けていく感覚。それが沁みる理由だと思っている。

「今日も終わった」と実感できる唯一の瞬間

どこかで区切りをつけないと、司法書士という仕事は際限なく続いてしまう。登記申請が終わったと思ったら、電話が鳴る。電話を取り終えたら、FAXが届いている。そうしているうちに、事務員さんの「お先に失礼します」が背中に響く。でも、その瞬間ですら、僕はまだ終われない。だからこそ、缶ビールのプルタブを引く音が、僕にとっての「お疲れさま」なんだ。

終業のチャイムなんて鳴らない

昔、工場でアルバイトをしていた頃は、17時になるとチャイムが鳴った。誰がなんと言おうと終わりだった。でも、今の仕事にはそれがない。登記も、書類作成も、相談対応も、全部“自分次第”。それは自由のようでいて、果てしない責任の始まりでもある。だから一日の終わりを感じさせてくれるのは、あの一杯しかない。

依頼は終わってないのに、一応帰るという罪悪感

誰にも責められていないのに、「もう帰るのか」という自分の声が耳の奥に響く。やり残したタスクは山ほどある。でも、帰らないと生活も壊れる。だから仕方なくパソコンを閉じて事務所の明かりを落とす。その後、家でビールを開けると、ようやく「今日はここまで」と思える。罪悪感と安堵が入り混じった、変な味がするのが“沁みる”ってことなんだろう。

“おつかれさま”を自分に言える時間

司法書士の仕事って、なかなか他人から褒められることが少ない。むしろ、何も問題が起きなかったことが当然とされてしまう。だから一日の終わりに、冷たいビールを口にすることで、自分なりの“労い”をしている。誰かに評価されなくても、自分の中で「今日もようやった」と思える時間が必要なんだ。

誰も褒めてくれない仕事に、ひとり乾杯

うちの事務員さんはとてもよく働いてくれているが、「先生、今日もおつかれさまでした」とはなかなか言わない。それが普通だ。でも、だからこそ、家に帰ってテレビをつけながら飲むビールの味が心に沁みるのかもしれない。誰にも気を遣わず、自分にだけ優しくできる瞬間。あれがなかったら、たぶん壊れていた。

ビールが代弁してくれる労いの言葉

口に含んだときの炭酸の刺激、それが喉を通るときの冷たさ。それだけで「がんばったね」と言われている気になる。ビールは言葉を持たないけれど、あの一瞬だけは、確かに僕を肯定してくれる存在だ。うまくいかない一日も、その一杯があれば、なんとかリセットできる気がする。

司法書士という仕事は「終わり」がない

この仕事には、明確な「完了」がない。登記が終わっても、新たな依頼が舞い込む。相談を聞いても、問題が解決するわけではない。ひとつ終えても、また次がくる。しかもすべてが「ミスが許されない」種類の仕事だ。だから、心のどこかでいつも張りつめている。その緊張感が、一日の終わりに襲ってくる。

書類の山は減らない、電話も止まらない

司法書士になって十年以上、机の上から書類が消えたことがない。捨てることもできないし、すぐには処理できないものもある。そんな状況で、電話一本が仕事を何時間も遅らせる。だから、仕事を“終える”のではなく、“区切る”しかない。そして、その区切りを象徴するのがビールなのだ。

事務員さんが帰っても、ひとり残ってる現実

夕方5時半になると、事務員さんが片づけを始める。その音を聞きながら、僕はまだ依頼者へのメールを書いている。帰ってもいいけど、なんだか中途半端な気がして、結局ダラダラと残ってしまう。そんな日は特に、家に着いて開ける缶ビールが沁みる。自分だけが遅くまで残っていた、という自己憐憫も混ざっている。

気づけば23時、コンビニ弁当と発泡酒

忙しすぎて夕飯も忘れ、気づけば深夜。コンビニで買った唐揚げ弁当と発泡酒が、今日の「ごちそう」。これを情けないと笑う人もいるだろう。でも、その一口に詰まってるんだよなぁ、今日の全部が。何もかもが雑なはずなのに、なんでか沁みるんだ。

「責任」だけが蓄積されていく感覚

この仕事をしていると、年数を重ねるほどに責任だけが増えていく。「あの先生に頼んでおけば大丈夫」と言われることも増える。ありがたいけど、その分プレッシャーも重くのしかかる。そうして積み上がったものが、自分の中にずっと残り続ける。

ミスできない、でも人間だ

司法書士の仕事は正確さが命。でも人間だからミスもする。それが許されない空気の中で毎日働いていると、ちょっとした緊張の糸が切れそうになることもある。だからこそ、ビールの力でその糸を一度だけ緩めて、明日に繋ぐんだ。

気を張り続けた自律神経をビールで緩める

仕事中は常に脳がフル回転している。しかも、些細な判断ミスが大問題に発展する可能性があるから、常に神経をとがらせていなければならない。そんな状態を一時的にでもリセットできるのが、ビールの「ゆるみ」だ。医学的にはどうか知らないけれど、心には確実に効いている。

それでも明日も仕事があるから飲む

別に酒豪というわけじゃない。でも、この一杯がないと、明日を迎える気力が湧かない。なんとか今日を締めくくるために、そして明日も立ち向かうために、僕は飲んでいる。ただ酔いたいわけじゃない。ただ逃げたいわけでもない。ただ、リズムを取り戻すために飲んでいる。

疲れを取るためではなく、折り合いをつけるために

ビールを飲んだからといって、体が回復するわけじゃない。むしろ、翌朝少しダルいくらい。でも、それでも飲むのは、自分の感情と現実の間にあるギャップに、少しだけ橋をかけるためだ。やってられない現実に、なんとか折り合いをつけるために。

飲まないとやってられない夜もある

相談者に怒鳴られた日、申請でミスをした日、事務員さんにきつく言い過ぎた日。そんな夜は、飲まないと眠れない。眠れないまま翌日を迎えるのが怖いから、ビールに頼る。依存かもしれないけれど、それでなんとか持ちこたえている。

“沁みる”ビールが、自分をつなぎとめてくれる

たかがビール、されどビール。この一杯がなかったら、僕はもっと早くに音を上げていたかもしれない。冷たい泡が喉を通るたび、「今日もなんとかやったな」と思える。そんな夜が、また明日をつくっていく。

愚痴の数だけ、今日を越えてきた証

「愚痴っぽいですね」と言われることもある。でもそれって、今日を乗り越えてきた証だと思ってる。愚痴の数だけ、働いて、考えて、苦労してきた証。だから、愚痴りながら飲むビールは、僕にとって最高の癒しなんだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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