ミスを恐れる日々──気を抜いたら命取り
司法書士という職業に就いて20年近く。日々の仕事は、ただの事務処理ではありません。一つのミスが依頼人の信頼を失わせ、下手をすれば損害賠償や訴訟にまで発展する――そんな恐怖と隣り合わせです。だからこそ「絶対に間違えられない」というプレッシャーは常に心に重くのしかかっています。
司法書士という仕事の「正確さ」の呪縛
「間違えないこと」が当然で、「できて当たり前」。それがこの仕事の前提です。登記の一字一句、印鑑証明の有効期限、送付先の間違い…どれも「ミスですみません」で済まない現場。最初の数年は、常に冷や汗をかきながらチェックを重ねていました。そして20年たった今でも、安心なんて一切ありません。
「ミス=信用失墜」というプレッシャー
一度のミスが「能力がない人」という烙印につながることがあります。実際、昔、ある司法書士仲間が委任状のミスで不動産会社から取引を切られた話を聞いて、「うちでもあんなことが起きたら…」と夜眠れなくなったことがあります。信用は一瞬で崩れる。だから、怖い。でも、その怖さに囚われすぎると、身動きが取れなくなるのも事実です。
でも…人間なんだから間違える
ミスを恐れながら働き続けていると、「そもそも人間だから間違えるものだ」という当たり前の感覚さえ、麻痺してしまいます。少し気を抜いたら、「なんでこんな簡単なことを…」と自分を責め続ける日々。そんな私自身が、数年前に一度、登記申請の添付書類を入れ忘れたことがありました。幸いすぐに気づき、補正で済みましたが、その夜は頭の中で自分を罵倒し続けていました。
完璧主義が招く疲弊と孤独
「自分がちゃんとやらないと誰もやってくれない」「完璧じゃないと、許されない」。そんな思い込みが、どれだけ自分を苦しめてきたか。毎日チェックして、またチェックして、ミスがないかを寝る前にまで確認する。誰にも弱音を吐けない分、どんどん孤独になっていきました。私のような小さな事務所では特に、すべての責任が自分に集まります。
「自分がやらなきゃ」が限界を超える
一人事務所あるあるですが、「人に任せられない」んですよね。事務員さんに頼んだとしても、最終的な確認は自分で…となる。自分が見逃したら終わりだから。その結果、何から何まで抱え込んで、週末も気が休まらない。正直、身体も心ももう限界だと感じた時期がありました。
誰にも相談できない「ミス未遂」の話
ある時、相続登記で被相続人の住所移転登記を見落としかけたことがありました。登記情報をたまたま確認した事務員さんのひと言で気づき、事なきを得ましたが、あのとき「ありがとう」より先に「バレた…」と頭によぎった自分が嫌でした。相談できない、認めたくない、そんな気持ちも「ミスしたくない病」の一部かもしれません。
事務員さんに任せる怖さ、任せない苦しさ
今いる事務員さんはとても丁寧で助かっています。でも、だからこそ「絶対に間違えさせてはいけない」と自分にブレーキをかけてしまう。「任せた結果ミスが起きたら…」という恐怖が、結局自分で全部やってしまうという悪循環を生んでいます。
「間違えさせたくない」=「信用してない」?
気づいたんです。私は表面上は「任せてる」つもりでも、実は心から信用していなかったのかもしれない、と。信頼関係を築こうとするなら、多少のミスも一緒に乗り越える覚悟が必要だと痛感しました。これは仕事だけでなく、人間関係の話でもあるんですよね。
ダブルチェックの連鎖が心をすり減らす
「自分でチェック→事務員に渡す→また自分でチェック→不安で帰宅後に書類を再確認」。そんな流れが当たり前になっていたある日、ふと我に返りました。「ここまでして、意味あるのか?」と。大事な書類を預かる仕事ですが、過剰な確認は精神的にも時間的にもコストが高すぎます。
「ミスしたくない病」が自分を追い詰める
この“病”の厄介なところは、誰にも気づかれにくいことです。表面上は「丁寧で慎重な先生」でも、内心では「間違えたら終わりだ」とビクビクしている。自分にしかわからない苦しさが、日々の仕事を少しずつ重たくしていきます。
実は自分で自分をいじめているだけかも
ふと、妻に言われたんです。「そこまで自分を責めなくてもいいんじゃない?」と。そのとき初めて気づきました。クライアントが責める前に、私が自分を責めていた。クレームも来てない、ミスも起きてない。でも「起こるかもしれないミス」に、私は日々おびえていたんです。
完璧にはなれないと認める練習
「ミスしない」ことを目標にしていると、いつまでたっても苦しみは消えません。そもそも“ゼロミス”なんて現実的ではない。だから最近は「ミスしてもすぐに対処できるようにしておく」ことに頭を切り替え始めました。これは、簡単そうでかなり難しいマインドチェンジです。
まずは「失敗しても死なない」と知る
たとえ書類でミスしても、ほとんどは補正で済みます。納期が1日遅れたって、大ごとになることはまれです。そう考えられるようになるまでに20年近くかかりましたが、「失敗=人生終了」ではないと、自分に言い聞かせる訓練は必要です。
自分がしてきた“他人のミス”への対応を振り返る
振り返ってみると、他の人がミスしたとき、私はそこまで責めたことはありません。「次から気をつければいいですよ」と言ってきました。それなのに、自分には「許さない」。このダブルスタンダードに気づいてから、ようやく少し肩の力が抜けるようになりました。
それでもやっぱり怖いときは
理屈では分かっていても、不安は消えません。そんなとき、自分の中でため込むだけでは限界があります。だから私は最近、「愚痴ってもいい」と自分に許可を出すようにしました。聞いてくれる相手がいるなら、遠慮せずに吐き出す。それが心のリセットになります。
“愚痴る場”があるだけで心が軽くなる
司法書士の集まりで、気軽に「やっちゃった話」が飛び交うときがあります。あの空気、救われます。「自分だけじゃない」って思えると、急に肩の荷が降りるんです。オンラインでも、リアルでも、そういう場を作っていくことは、この職業にとって本当に大切だと思います。
仲間内で共有される「やらかし話」の効能
ある先輩が話していた失敗談。「書類を持っていくのを忘れて、現地で平謝りした」という話に、みんなで大笑いしました。でも、そこには安心感がありました。笑い話に昇華できる空気。それを持てる仲間がいることが、この仕事を続けていく支えになります。
まとめ:完璧じゃない自分で、今日もやっていく
ミスを恐れるのは、依頼人を大切に思っている証拠。けれど、自分を傷つけてまで完璧を求めなくていい。人間だから間違えるし、間違えても立て直せる力を私たちは持っています。だからこそ、今日も「ちょっとだけ不安」なまま、でも「前より少し気楽に」やっていく。それで、いいんじゃないでしょうか。
「ミスを恐れる」という優しさを、自分にも向けよう
最後に。あなたが他人に対して見せるその優しさを、ぜひ自分にも向けてください。司法書士として、プロとして、真剣に仕事に向き合っているからこそ、「ミスしたくない」と思っているはずです。その気持ちは、誇っていい。でも、同時に「完璧じゃない自分」も、少しずつ受け入れていけたら――私も、そうありたいと願っています。