ようやく届いた『登記完了』の知らせに、全身の力が抜けた日

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ようやく届いた『登記完了』の知らせに、全身の力が抜けた日

登記完了のメールが届く、その瞬間だけが救い

司法書士という仕事は、成果が「完了通知」の一通でしか可視化されないことが多い。依頼人は「終わりましたか?」と軽く聞くが、そこに至るまでの工程や神経のすり減らし具合は想像されない。だからこそ、法務局から「登記が完了しました」とメールが届くと、ようやく呼吸を整えられるような気がするのだ。その瞬間だけが、自分がこの仕事をしている意味を思い出させてくれる。

なぜ「完了通知」にこんなにも感情が動くのか

それは、登記が「遅れてはいけない」「ミスしてはいけない」仕事だからだ。小さなミスが大きなクレームや損害に直結する。依頼人にとっては一生に一度の登記かもしれない。その責任の重さを感じながら日々向き合っていると、「完了」の二文字には想像以上の重みがある。メールの着信音にビクッとし、完了通知だと分かった瞬間、なぜか目頭が熱くなることもある。

小さな「完了」に、大きな意味を見出す日々

一通のメールに、そこまで感情を動かされるなんて、他の業界の人には笑われるかもしれない。だが、日々のルーティンの中で「これでよかったんだ」と思える確認印が押される瞬間がないと、やっていけないのもまた事実だ。まるでゴールのないマラソンを走っている途中で、ようやく給水所にたどり着いたような気分。それが登記完了通知という「水」なのだ。

登記が終わるまでの「見えない戦い」

外から見ると、書類を出しておしまいのように見えるこの仕事。だがその裏には、見えない戦いが無数にある。システムの不具合、法務局の個別ルール、依頼人との微妙なやりとり。それらすべてを経てようやく、たった一通のメールにたどり着く。その背景を知らない人には、ただの「事務手続き完了のお知らせ」だろう。でもこちらとしては「よくぞここまで」と言いたい。

法務局とこちらの温度差

こちらは血眼で書類を整え、期日をにらみながら申請している。しかし、法務局の処理には波があり、地域差も大きい。ある法務局では当たり前のことが、別の場所では受理されないこともある。こちらが「急ぎでお願いします」とメモを添えても、処理が遅れれば結局、依頼人からの信頼を失うのは自分なのだ。この温度差には、何度も悔しい思いをしてきた。

入力ミス1つが命取り

司法書士の世界では「1文字の間違いが1週間の遅れを生む」と言われる。氏名のふりがなの違いや番地の書き方一つで、補正が入り、全体のスケジュールが崩れる。しかも、補正通知が届くのは申請から数日経った後。補正に対応しても、再チェックに時間がかかり…そのたびに胃が痛くなる。たった一つの「てにをは」が、全体の信頼を崩しかねない。

登記官のクセに振り回される現場

登記官ごとに「好き嫌い」があると言っても過言ではない。形式的には同じ書式でも、ある登記官は受理し、別の登記官は突き返す。結局は経験と勘で「この法務局のこの担当は、こういう言い回しを嫌う」と覚えるしかない。それが疲弊を生む。AIで代替される日がくるかもしれないが、現状ではまだ「人間のクセ」が最大の不確定要素だ。

依頼人には見せない緊張感と待機時間

登記申請を出した後は、何もすることがないように見える。でも実際は、処理状況を何度も確認し、エラーがないかを祈りながら待っている。もし補正が入れば、即日で対応しなければならない。依頼人からの電話には、余裕を見せながら応じるが、内心では「頼むから無事に通ってくれ」と念じている。まるで爆弾処理班のような緊張感がある。

日々の業務と「完了通知」の落差に疲弊する

朝からメールを確認し、依頼人とのやり取り、書類作成、提出、補正対応…気づけば夕方。事務員もがんばってくれているが、一人では回らない部分も多い。そんな中、ポンと届く「登記完了のお知らせ」。あまりのあっけなさに、笑えてくる。こんなに神経をすり減らして、最後はたった1行の通知文。達成感よりも、脱力感のほうが大きい日もある。

連絡はこない、でも催促はされる

登記の処理状況について、法務局から逐一連絡があるわけではない。しかし、依頼人からは「まだですか?」「いつ終わりますか?」とプレッシャーがかかる。間に挟まれる司法書士は、ただただ謝るしかない。状況が見えない中で「いつ終わるかわかりません」とは言えない。だからこそ、通知が届いたときの安堵感は計り知れないのだ。

登記完了メールでようやく深呼吸できる

メールの通知音が鳴り、「登記完了」という文字が見えたとき。心の中で深く息を吐く。ようやく肩の荷が下りる。あとは依頼人に報告し、書類をまとめて引き渡すだけ。その瞬間だけは、何か一つ「今日を終えていいんだ」と思える。小さな一歩だが、精神的には大きな一歩だ。

事務所経営の現実、華やかさとは程遠い

司法書士の仕事は、外から見ると安定していて堅実に見える。でも実態は、薄利多売で地味な仕事の連続。特に地方では、案件数をこなさないと経営が成り立たない。体力も精神力も削られていく。それでも、今日も「完了通知」を待ち続けている自分がいる。

一人事務員との二人三脚、限界との闘い

頼れるのはたった一人の事務員。忙しいときは二人とも黙り込みながら作業を進める。ミスがあっても責められない。誰も悪くない。でも誰かがやらないと回らない。無理をして笑顔を見せ合うこともあるけれど、内心では「もうちょっと人手があれば…」と願っている。

雑務は誰がやる?全部わたしです

郵便の確認、請求書の作成、雑巾がけ。結局、所長である私がやるしかない。小さな事務所は分業なんてできない。気づいた人がやる、それが暗黙のルール。肩書きは司法書士だが、実態は「何でも屋」。その現実に落胆しながらも、また今日も雑巾を絞っている。

ミスが出ても怒れない、それが人手不足の現実

書類のチェック漏れや入力ミスがあっても、事務員に強く言えない。言ったところで負担を増やすだけ。辞められたら終わりだ。だからこそ、自分が二重三重にチェックしている。でもそれがまた、心身を削っていく。誰かを責める余裕なんて、もうない。

それでもやめられない、この仕事の「中毒性」

どんなにしんどくても、今日もまた「登記完了通知」を待っている自分がいる。不思議なことに、あの瞬間を味わうと、またもうひと踏ん張りしようと思えるのだ。たぶんこれは、一種の中毒だろう。完了通知の一通で救われ、また次の案件に飛び込んでいく。それが、この仕事をやめられない理由かもしれない。

完了通知の一通で、報われた気になる不思議

登記完了メールは、内容としては淡々とした一文だけ。でもそこに、自分の努力と神経と時間がすべて詰まっている。誰かに褒められるわけでもない。ただ、自分だけが知っている苦労。その証としての完了通知は、何よりも重みがある。報酬よりも、労いよりも。

愚痴をこぼしながらも続けてしまう理由

文句ばかり言っている。でも、辞めようとは思わない。自分にしかできない部分もあるし、この仕事を通じて得られる信頼や人とのつながりもある。疲れていても、つい依頼に手を伸ばしてしまう。きっと私は、司法書士という仕事そのものに、もう取り憑かれているのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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