「もっと柔らかくなって」と言われた日のこと
あの一言が、ずっと心に刺さっている。「もっと柔らかくなって」。別に怒鳴ったわけでも、誰かを責め立てたわけでもない。ただ、少し説明が長くなっただけ。なのに、お客さんが帰ったあと、事務員にそう言われた。たしかに、自分でも最近ちょっとカリカリしていたかもしれない。だけど、こっちは毎日ギリギリのところでやっている。柔らかく、なんて余裕がないんだよ。そう言い返したくなった。でも、ふと気づく。「柔らかくなって」って、案外深い言葉かもしれないって。
何がそんなに硬く見えたのか
長年この仕事をやっていると、どこかで「正しさ」が染みついてくる。手続きを間違えたら、責任を問われるのはこっちだし、慎重すぎるくらいでちょうどいい。でもそれが、堅苦しく映るらしい。まるで融通が利かない人間に見えているのだろうか。実際、お客さんから「もっと話しやすいかと思った」と言われたこともある。たぶん、何かがこわばっているんだろう。自分でも気づかないうちに、表情も言葉も、硬くなっていたのかもしれない。
笑顔のつもりが睨んでた?
鏡で自分の顔を見て驚いたことがある。普通にしてるつもりなのに、まるで誰かに怒ってるような顔。そりゃあ、話しかけにくいだろうなと思った。コンビニで「ありがとうございました」と言われても無言でうなずくだけ。自分では照れ隠しのつもりでも、他人から見れば不愛想そのものだろう。昔からそうだったわけじゃない。むしろ、若い頃はよく笑っていた気がする。いつからだろう、「笑わなくてもいい理由」を探すようになったのは。
言い方がきついって、どこから?
「そうじゃなくてですね」なんて言葉、昔は丁寧な言い回しだと思っていた。でもそれって、相手の意見を即座に否定してることになる。たとえ穏やかに言っていても、内容がきついのだ。ある日、昔の録音を聞いてみたら、自分の声が予想以上に冷たくて落ち込んだ。語尾に余裕がない。「〜ですね」じゃなくて「〜なんですよ」くらいのほうが、柔らかく聞こえるのかもしれない。だけどその余裕が、今の自分にはなかなか持てない。
自分では普通にしていたつもりでも
本当に厄介なのは、無自覚な硬さだ。こっちは「丁寧に説明した」と思っていても、相手には「詰められた」と感じさせてしまう。「あれ?俺なんか言い過ぎた?」と気づいた頃には、もう遅い。表情も声のトーンも、常に気をつけるって、結構疲れる。でも、それがプロってことなのかもしれない。
無意識の「戦闘モード」
事務所では常にピリッとした空気がある。自分がそれを作っているのはわかっている。書類のミスひとつで信用を失うから、常に気を張ってる。まるで戦場の兵士のように。でも、そんな空気は当然、事務員にも伝わるし、お客さんにも伝染する。だからか、電話の向こうでもよく「えっと、ちょっと相談したいんですが…」と、緊張した声が返ってくる。もっと雑談みたいな空気で始まったっていいのに。わかってても、抜けない。
一人事務所の責任感と孤独感
責任を背負っているのは自分だけだ、と思うことが多い。事務員もいるけれど、最終的にすべての判断は自分。しかも相談相手もいない。たまに同業者と話すとホッとするけど、毎日じゃない。孤独っていうのは、自分の正しさがどんどん偏っていく感じがする。気づけば「柔らかさ」より「確実さ」を求めるようになっていた。
「柔らかさ」って結局なんなんだ
そもそも「柔らかく」って、何を指しているんだろう。言葉づかい?表情?それとも、空気感?「柔らかい司法書士」って、なんだか矛盾してる気もする。だって、法律って白黒はっきりつけるものじゃないか。曖昧さや共感を求められても、どこかで線を引かなきゃならない。でも、心までは硬くしなくていいのかもしれない。そう気づき始めた。
言葉遣い?態度?それとも空気?
最近はメールを書くときにも、「お世話になります」だけじゃなく、「いつもありがとうございます」と少し感情を込めるようにしている。これだけでも、返事のトーンが違ってくる。文章の「柔らかさ」は、案外、心の余裕そのものかもしれない。態度もしかり。椅子に深く座って腕を組むだけで、相手には緊張感が伝わってしまう。意識して姿勢を正すようにしたら、少し空気が和らいだ気がする。
「ちゃんとしなきゃ」が邪魔をする
「ちゃんとしなきゃ」が口癖だ。どんな場面でも、まず最初にミスを恐れてしまう。だから確認も多いし、慎重にもなる。でもそれが、「怖い人」に見えてしまう原因なんだろう。自分が正しくあろうとすることで、相手が自由に話せなくなってしまう。信頼されたい気持ちが、かえって信頼を遠ざけてしまう。皮肉な話だ。
お客さんに距離をとられた瞬間
あるとき、相談に来た女性が「すみません、やっぱり他のところにも聞いてみます」と言って帰っていった。その理由が、「ちょっと緊張してしまって…」だった。何も失礼なことは言っていない。むしろ、丁寧に説明した。でも、その「丁寧さ」が壁になっていたのかもしれない。言葉だけじゃない、「人としての距離感」が柔らかさには必要なのだと思い知らされた。
それでも柔らかさに近づきたい理由
たしかに、柔らかくなったからって仕事が劇的にうまくいくわけじゃない。でも、人と人としての関係が少しでも変わるなら、それは意味があると思う。相談に来る人の緊張をほぐすのも、司法書士の役目なのかもしれない。「この人なら安心して話せる」って思ってもらえるような、そんな存在に近づきたい。
人とちゃんと向き合いたい
書類のやり取りだけじゃない。人生の大事な節目に立ち会っているのが司法書士だ。相続、登記、会社設立——それぞれに背景があって、それぞれに事情がある。だからこそ、人の気持ちにもう少しだけ寄り添いたいと思う。それは、スキルじゃなく「姿勢」なのかもしれない。向き合うというのは、ただ説明することじゃない。「わかろうとすること」なのかもしれない。
「仕事だけ」の関係からの脱却
効率だけを求めるなら、事務的な対応で十分だ。でも、「この人に頼んでよかった」と思われるには、それだけじゃ足りない。昔、ある高齢の依頼者が「なんか、あんたに頼むと安心するねぇ」と言ってくれた。その一言が、今でも忘れられない。あの時の自分は、忙しくてもどこか人間らしかったのかもしれない。今の自分にも、少しでもそれが残っていればいいのだけど。
たった一言が、心を開く鍵になる
最後に、お客さんに言われた「もっと柔らかくなって」という言葉。それはきっと、責める言葉じゃなくて、もっと良くなるためのヒントだったんだと思う。たった一言で、考え方が変わることがある。逆に、自分の一言が誰かの心を閉ざすこともある。だからこそ、言葉を大事にしたい。言葉の選び方ひとつで、空気も関係も変わる。そのことを、あの日ようやく学び始めた気がする。