仕事が終わっても心が休まらない

仕事が終わっても心が休まらない

退勤の瞬間に訪れる安堵と、すぐに湧く不安

「おつかれさまでした」と事務所の灯りを消すとき、一瞬だけホッとする。でも、そのホッとした感情は長く続かない。鍵を閉めて車に乗ったあたりで、もう「何か忘れてないか?」と頭がざわつき始める。たとえ一日の仕事を全て終えたとしても、心の中では次の案件の段取りや、今日の対応の反省会が始まっている。肩の荷は降りない。むしろ、帰宅してからのほうが、じわじわと心にのしかかってくる。そんな日が、もう何年も続いている。

机を片づけながら考える「本当に終わったか?」

終業時間になって書類をまとめていると、「あれ、この書類…これでよかったんだっけ?」という不安がふと湧いてくる。確認しても問題はない。何度見てもミスは見つからない。でも、何かを見落としている気がしてならない。だから、終わるのに時間がかかる。机の上を拭きながらも、今日の応対で何か変な言い方をしてしまっていなかったか、言葉選びを間違えてなかったか、そんなことばかり思い出してしまう。

忘れ物がないか何度も確認してしまう習性

書類カバンの中を開いて、鍵を閉めたか確認しに戻って、車に乗ってからまた降りて机の上を見に戻る。そんなことを何度もしている。安心して帰るということが、年々難しくなっている気がする。昔はもっと気楽だったのに、今では少しのミスが大きな損害につながると思うと、体が勝手に慎重になってしまう。「そんなに心配しなくてもいいのに」と人に言われても、自分だけは油断できない、そんな感覚に縛られている。

「あの案件、間違ってなかったよな…」が繰り返される夜

家に帰って夕飯を食べていても、テレビをつけていても、ふと手が止まって「今日送ったあの書類、大丈夫だったかな」と考えてしまう。内容は完璧なはずだ。でも、どうしても引っかかる。寝る前にスマホでメールをもう一度確認したり、送信履歴を見返したり…。そんなことを繰り返していると、休むべき時間なのに、心は仕事の中にいる。体は布団にあるのに、頭の中は書類と案件と役所の窓口対応ばかりだ。

仕事の夢を見るようになった日

ある日、夢の中で登記申請書を何度も書き直していた。起きて「ああ夢か」と思っても、なぜか現実より疲れていた。その日だけじゃない。最近では、夢の中で「法務局が閉まってしまう」と焦っていることが多い。仕事が終わっているのに、脳が終わっていない。きっと、日中に処理しきれなかった不安や疲れが、夢にまで染み込んでいるのだと思う。寝る時間さえも“勤務時間”になっているようで、本当に心が休まる瞬間がない。

夢の中でチェックリストを見ている自分

夢で、自分がToDoリストをじっと見ている光景があった。ひとつずつ項目にチェックを入れているのに、次から次へと項目が増えていく。まるで終わらないゲームをやらされているような感覚。起きたあと、実際の業務とリンクしていた項目もあって、背筋が寒くなった。休んでいるつもりでも、脳はずっと業務中。それが積み重なると、いつか本当に壊れてしまうんじゃないかと怖くなる。

起きた瞬間から心が仕事モードに戻る

本来なら、朝はリフレッシュの時間。でも、目覚ましが鳴る少し前に目が覚めて、「今日のあの案件は…」と考え始めてしまう。ベッドの中でメールの件名を思い出し、依頼者の顔を思い出し、今日やらねばならないことが頭を駆け巡る。シャワーを浴びている間も、朝食を食べている間も、気持ちはもう事務所に向かっている。仕事が始まってもいないのに、すでに半日働いたような疲れが残っている。

司法書士という職業特有の「常に気を張る」性質

司法書士という仕事は、確認と責任の連続だ。人の大事な財産、人生の節目に関わる仕事だから、当然かもしれない。でも、その責任感が重すぎて、終業時間になっても気を緩められない。ほんの小さな記載ミスが、依頼者に迷惑をかけることもある。だからこそ、仕事が終わっても心が“終了”にならない。ずっと“次のチェック”が待っているような、そんな張り詰めた感覚が常にまとわりついている。

うっかりが許されないプレッシャー

他の職業では多少のミスも「すみません」で済むかもしれない。でも、司法書士は違う。たった一桁の間違いが登記不備になり、やり直しやクレームにつながる。だからこそ、どんなに疲れていても気を抜けない。メールの一文、印鑑の位置、添付書類の内容…すべてが「見逃しちゃいけないもの」になる。そんな日々を何年も続けていれば、そりゃあ心も休まらなくなる。

何度確認しても安心できない性格が加速する

「確認は一度でいい」と頭では分かっていても、不安が勝ってしまう。何度も何度も見直して、「よし、完璧」と思っても、封筒に入れてしまったあとにまた開封して確認してしまう。それが“安心材料”になるかといえば、実際には逆だ。確認すればするほど、「本当に大丈夫か?」という疑念が増していく。性格なのか、職業病なのか。どちらにしても、心の休まる暇はない。

「次こそ大きなミスをするかもしれない」という妄想

完了した案件でも、しばらくしてから「もしかして何か忘れてた?」という考えがよぎる。なにもミスはしていないのに、ふとした拍子に心配になる。まるで、“静かな日ほど嵐が来る”みたいな、不安の前借りをしているような感覚。そんな思考に囚われていると、心が休まるわけがない。いつもどこかで、「自分はきっと何かやらかしてしまう」という妄想が付きまとっている。

休んでいるはずなのに通知が気になってしまう

休みの日。スマホの通知が鳴るたびに、心がビクッとする。LINEか?メールか?依頼者から?法務局から?本来はオフのはずなのに、常に“緊急対応モード”が切れない。結果的に、家にいても気が休まらず、外出してもスマホばかり見てしまう。通知を切ればいいのかもしれない。でも、いざ何かあったときに「見逃した」となるのが怖くて、結局オフにできない。休みの日も、仕事の影がずっと背後にいる。

土日祝でもスマホを見ない勇気が持てない

本当に休みたいなら、スマホの電源を切ればいい。それは分かっている。でも、仕事柄そうもいかない。急な相談や、不動産取引の進捗確認など、どうしても対応が必要になる場合がある。「何かあったら…」という思考が、心を休ませてくれない。結局、土日でも事務所のメールを確認し、メモを取ってしまう。誰にも求められていない“気遣い”が、自分を休ませない最大の原因になっている気がする。

誰にも相談できない不安と疲れの蓄積

この仕事のしんどさは、なかなか周りに理解してもらえない。友人に話しても、「真面目すぎじゃない?」と笑われる。同業の知り合いとは滅多に話さないし、家族もいない。だから、心の中の不安や疲れは、いつもひとりで抱えている。外に出すこともできず、ただただ積み重なっていく。だからこそ、仕事が終わっても、心がずっと休まらないのだと思う。

「ひとりでなんとかする」しかない現実

司法書士という仕事は、基本的に個人プレーだ。最終判断はすべて自分にかかってくる。事務員さんに頼れる部分もあるけれど、責任の矢面に立つのはいつも自分。誰かに相談しても「それはあなたの判断で」と返されることが多い。だから、疲れていても、不安でも、「自分でどうにかするしかない」と思い込んでしまう。そしてまた、心の重荷をひとつ背負って帰ることになる。

事務員さんにすら見せられない心の中

事務員さんは気が利くし、助かっている。でも、こちらの不安や焦りを正直に見せられるかというと、それは難しい。事務所の空気が重くなるのが怖いし、「先生って意外と頼りないな」と思われたくもない。だから、笑顔で「大丈夫ですよ」と言いながら、内心では「やばいかも」と思っている。表では平静を装い、裏ではギリギリの綱渡りをしている。そんな日々が続いている。

「弱音を吐けない」からこそ心がずっと緊張している

本当は、「今日はちょっとしんどいです」と言いたい。でも、それを言ってしまったら、自分が壊れてしまいそうで怖い。だから、弱音は自分の中で押し殺すしかない。そうしているうちに、心が常に張り詰めた状態になって、休まる瞬間がなくなってしまった。気づけば、“仕事をしていない時間”が、“休み時間”ではなく“準備時間”になっていた。これはもう、働き方じゃなく、生き方の問題なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。