手の温もりを忘れて久しい

手の温もりを忘れて久しい

手の温もりを忘れて久しい

誰かと手をつないだのは、いつのことだったか。そんなことをふと思い出すのは、深夜の帰宅途中か、休日のコンビニ帰りだったりする。仕事に追われて日々が過ぎ、気づけば誰かと親密な距離で触れ合う時間などとっくに遠ざかってしまった。司法書士という仕事に、そんな瞬間はほとんど存在しない。

仕事はしている、でも人と関わっていない

毎日誰かと会っているはずなのに、ふとした瞬間に感じる孤独感。それは、仕事上の会話に「心」がないからかもしれない。登記簿の内容や必要書類、期日の話ばかりで、感情を交わす時間がない。表面的には「順調」でも、心の奥では何かが欠けているのかもしれない。

業務連絡と挨拶だけの関係

依頼者とのやりとりも、事務員とのやりとりも、必要最低限の言葉で済ませてしまう。それが楽だから、傷つかないから。相手に余計な期待を持たせないように、あるいは自分が失望しないように、最小限のやりとりにとどめるクセがついてしまった。

距離を置くことで安心していた自分

誰かと深く関わることが面倒で、怖くて、だから心に壁を作ってしまった。気づけば、自分の手はずっとポケットの中だった。差し出す機会を自ら逃し、孤独を選んでいたのかもしれない。安全圏にいるはずなのに、心は不安でいっぱいだった。

恋愛よりも登記、そんな日々の積み重ね

「今は忙しいから」と自分に言い聞かせて、仕事を理由に逃げてきた。でも本当は、自信がなかっただけかもしれない。女性と話すのが苦手で、会話の途中で頭が真っ白になるようなタイプだった。だからこそ、「仕事に打ち込んでいる」と言い訳してきた。

モテないことへの開き直り

「どうせモテないし」と笑いに変えるけれど、その実、心のどこかではやっぱり寂しさを抱えている。恋愛ドラマを見ても他人事で、「そんな世界は自分には関係ない」と線を引いてしまっている自分がいる。でも、どこかで羨ましいと思ってしまうのも事実だ。

選ばれない日々の中で、選ばなくなった

「誰かに選ばれること」を諦めると、「自分が誰かを選ぶこと」もしなくなっていく。出会いがあっても、どこか他人事のように振る舞ってしまい、本音を出す前に距離を取ってしまう。結果、自分の周りには誰もいなくなった。ただの選択の積み重ねなのに、それは大きな孤独を招いた。

ふとした瞬間に感じる、手の重さ

コンビニで子どもの手を引く父親、カフェで手をつなぐ老夫婦。そんな光景が、胸に刺さることがある。「自分にはもう、ああいう時間は訪れないのかもしれない」と思うたび、冷えた手をポケットに押し込む。誰にも言えない寂しさが、じわじわと心を締めつけてくる。

手をつなぐという、シンプルな行為の意味

ただの身体的な接触じゃない。信頼や安心、そして「一緒にいること」への意思表示。それが、手をつなぐという行為。言葉よりも強く、形のない感情を伝える力を持っている。だからこそ、その行為ができないことの寂しさは、想像以上に深い。

その感覚を、もう忘れかけている

いつからか、自分の手は誰かの手を探すことすらやめていた。指先が覚えていたはずの感覚が、遠のいていく。たまに夢に出てくる温もりが、妙にリアルで目が覚めた後に胸を締めつける。それは、過去の誰かか、あるいは幻か。確かめる術もないまま、またひとりの夜が訪れる。

独身であることの現実と向き合う

結婚していないこと、子どもがいないこと。それを不幸とは思わないが、「欠けている」と感じる瞬間は確かにある。何かが間違っていたのか、タイミングを逃しただけなのか、そんなことを考える夜もある。正解なんてないとわかっていても、答えを探してしまう。

「自由」と「孤独」のあいだで揺れる

誰にも縛られない気楽さと、誰にも求められない寂しさ。その間で、日々バランスを取って生きている。「好きなように生きられる」自由は、時に「誰にも必要とされていない」孤独と表裏一体だ。自分で選んだはずの道が、時々とても遠く感じる。

司法書士としての責任と、個人の空白

仕事では頼られるし、感謝もされる。でも、その評価は自分自身の存在価値と必ずしも一致しない。プロとしての自分と、人としての自分。そのギャップに苦しむこともある。誰かの人生に関わりながら、自分の人生はどこかで停滞しているような感覚。それでも、仕事は待ってくれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。