3日連続で冷やし中華を食べる昼休み、司法書士の心はどこへ向かうのか

3日連続で冷やし中華を食べる昼休み、司法書士の心はどこへ向かうのか

昼食のたびに、なぜか冷やし中華を選んでしまう

コンビニの冷蔵棚の前に立つと、なんとなく手が伸びる。カラシの袋と錦糸卵の乗った、あの定番の冷やし中華。1日目は「さっぱりしてていいな」、2日目は「まあ昨日も食べたけど好きだし」。そして3日目、気づけばまた手に取っている。「またか…」という気持ちと、「でもこれでいいや」という安心感。司法書士という仕事は、常に選択と決断の連続。昼くらいは悩まずに済ませたい。その逃げ道としての冷やし中華なのかもしれない。

気づけば3日目──選ぶ自由と縛られる習慣

冷やし中華を選ぶのは自由なはずなのに、それが3日も続くと、「もう他に選べないのでは」と錯覚してくるから不思議だ。選択肢はたくさんある。おにぎり、パスタ、弁当、カップ麺。でも、時間がない、考えたくない、胃に優しいものがいい…と条件をつけていくうちに、結局同じものに辿り着く。司法書士の仕事にも似たようなループがある。選んでいるつもりでも、実は最初から選択肢が限られている。それが積み重なると、知らないうちに「思考停止」になっているのかもしれない。

「今日も同じでいいや」とつぶやく自分の心境

「今日も同じでいいや」。それは疲れたときの魔法の言葉でもある。昼休みに限らず、業務の手順、書類の処理、メールの返信…変えようと思えば変えられるけど、変えたところで結果が大きく良くなるわけでもない。そういう積み重ねが、「効率」を生み出す一方で、「変化」を怖がる思考にもなっていく。だからこそ、せめて昼食くらい、もっと冒険したい気持ちもある。でも、現実は冷やし中華。それが今の自分の“余裕のなさ”を物語っているようで、少しだけ苦笑いした。

司法書士という仕事は、決断と効率の連続

司法書士は常に何かを判断し、決断し続ける仕事だ。登記の内容、依頼者への対応、事務員への指示、そして自分のミスの処理。1日が終わるころには、頭の中がすっかりすり減っている。だからこそ、昼食のときくらい「決めたくない」気持ちになるのは当然だと思いたい。小さな選択にすら疲れを感じてしまうくらい、ギリギリで仕事を回している自分に、ちょっとだけ同情してもいいだろう。

迷う時間を減らしたい。それが冷やし中華だった

弁当コーナーで立ち止まる時間すら惜しい。10秒、20秒の迷いが、あとで作業が1件ズレ込む原因になる。自分で自分を急かすようなこの仕事のペースに慣れてしまった結果、冷やし中華という“無思考メニュー”に頼るようになったのかもしれない。「冷やし中華でいいや」は、ある意味での「自分を助ける判断」なのだ。ただそれが3日続くと、さすがに“気づかされる”こともある。

忙しい毎日のなかで「決めないこと」を選ぶ

「決めないこと」も、ある種の選択だと最近思うようになった。昼食に冷やし中華を選び続けるということは、あえて他の選択肢を見ない、という態度でもある。業務でも、意図的に「迷わない」「突き詰めない」ことで回るようにしている部分がある。疲弊しないための処世術ともいえるが、その一方で、自分が鈍感になっていくような怖さもある。冷やし中華の3連投は、その象徴だったのかもしれない。

事務所の昼休みは、孤独と紙の音しかない

うちの事務所の昼休みは静かだ。パソコンのファンの音と、書類をめくる紙の音だけが響いている。事務員さんとは挨拶はするけど、弁当の中身を聞き合うような関係でもない。悪くはない。でも、良くもない。お互いに距離感を大切にしてるのかもしれないが、昼休みの無言が余計に自分の孤独を際立たせる。そんな時、冷やし中華を黙々とすすっていると、なんだか滑稽な気分になる。

事務員さんと会話したのは今週いつだったか

忙しさにかまけて、事務員さんとまともに会話していなかったことに、ある日ふと気づいた。声をかければいいのに、声をかけるタイミングを逃すと、なんとなくそのままになる。「お先にどうぞ」と言われて、会釈だけして昼を迎える日々。そんな積み重ねが、冷やし中華の3日目の味気なさに拍車をかけているようにも感じた。会話のない職場は、効率はいいかもしれないけれど、空気が冷たい。

気を遣わせたくないが、沈黙も気まずい

事務員さんには無理に話しかけるようなことはしたくない。でも、沈黙が続くと「気まずいと思ってるかも」と逆に心配になる。自分のほうが気を遣ってるつもりでも、相手にも気を遣わせてしまっているのかもしれない。昼食の時間は本来、気を抜ける貴重な時間のはず。でもこの沈黙の空間では、逆に“居心地の悪さ”を感じることがある。だから冷やし中華がちょうどいい。黙って食べられて、話題にもならない。安心して孤独になれる食べ物なのかもしれない。

それでも、冷やし中華に救われている

3日も続けて食べたら、さすがにもう飽きるだろうと思った。でも、意外とそうでもなかった。冷やし中華には、派手さはないけど裏切らない安心感がある。きゅうり、ハム、卵、そして少し甘いタレ。どこで食べても、大きくは外れない。それが、今の自分にはありがたい。選ぶストレスもないし、食べ終わっても罪悪感もない。小さな安心が、午後のエネルギーになる。それだけでも、冷やし中華には意味がある。

温かさはないけど、冷たさが心地いいときもある

温かい味噌汁や丼ものが恋しくなる日もあるけど、冷やし中華の冷たさがちょうどいい日もある。ぬるま湯みたいな人間関係に疲れていると、キンと冷えた冷やし中華のほうが気持ちをリセットしてくれる。ぴりっとしたカラシも、目を覚ましてくれる。ああ、自分は今、冷やし中華くらいがちょうどいいんだな──そう思ったら、3日連続でも悪くない気がしてきた。

冷やし中華3日目の午後も、書類とにらめっこ

結局、午後もいつものように書類とパソコンの前に座っている。午前中に処理しきれなかった登記関係の問い合わせ、電話対応、そして夕方からの面談準備。休んだような、休んでないような昼休みを経て、再び仕事モードに入っていく。冷やし中華がくれた少しの冷静さだけが、今日の午後の支えになっていた。明日は、少しだけ違うメニューを選べるだろうか。いや、また冷やし中華かもしれない。それでも、今日みたいにちゃんと午後を乗り越えられれば、それでいい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。