スーツを着ても、なぜか心がついてこない日

スーツを着ても、なぜか心がついてこない日

スーツを着ても、なぜか心がついてこない日

毎朝、鏡の中のスーツ姿にため息をつく

スーツに袖を通すたび、「今日も一日が始まる」と自分に言い聞かせる。ネクタイを締めながら、「なんだかんだ、見た目は大事」と自分を納得させる。けれど、鏡に映る自分はどこか他人のようで、ピシッとした姿に反して、心はざらついている。スーツという装いは、気持ちを切り替える装置のようなものだったはずなのに、ここ最近はその効果がまるで感じられない。むしろ、「また今日も同じことの繰り返しか」と、朝から気が滅入ってしまう。そんな朝が、少しずつ増えてきた。

着慣れたはずのスーツが重たく感じる日

スーツはただの布なのに、どうしてこんなにも重く感じるのだろう。若い頃は、スーツに袖を通すと「一人前になったような気がする」と嬉しかった。今はその感覚はすっかり薄れ、むしろ「戦場に行く鎧」のように感じることさえある。特に月曜日の朝はひどい。胸元のボタン一つ留めるのにもためらいが出る。「今日も何かトラブルあるかな…」そんな思考が先回りしてしまって、足が重くなる。あの頃は“背伸び”で着ていたスーツが、今は“重荷”に変わった。

「頑張ってる感」はあるのに、なぜか報われない

仕事は手を抜かないし、毎日ちゃんとやっている。けれど「達成感」や「充実感」といった言葉は、最近すっかりご無沙汰だ。誰かに褒められるわけでもないし、成果が可視化されるわけでもない。とくに地方の事務所では、誰かに評価される機会そのものが少ない。だから、頑張ってる自分を「自分で認める」しかないのだけど、どうにもそれが下手だ。自分を認めるって、案外難しい。「やって当たり前」と思われる職種だからこそ、余計に空しさが残る。

地方の司法書士というだけで舐められることもある

都市部では通用する敬意も、田舎では通じないことが多々ある。私のような田舎の司法書士に対して、「どうせヒマなんでしょ?」なんて言葉を浴びせてくる人もいた。こちらは真剣に取り組んでいるのに、その姿勢を理解してもらえないとき、どうしても心が折れそうになる。「士業」という肩書に幻想を持たれる反面、その実態は地道な調整と地味な処理の積み重ね。そのギャップを説明しても、あまり興味を持ってもらえない。そんな日々が続くと、自分の存在意義すら怪しく思えてくる。

依頼人には笑顔、でも内心は冷めたお茶のように

接客中は笑顔を忘れないようにしている。相手の不安を取り除くのも司法書士の仕事の一部だから。でもその裏で、心はどこか冷え切っている。まるで、時間が経ってぬるくなったお茶のように、自分の感情も温度を失っていく。ふとした瞬間に、笑ってる自分が作り物のように思えることもある。帰宅後に、無言で脱いだスーツを眺めながら、「今日も上っ面だけの一日だったな」と、静かにため息をつくのが習慣になってしまった。

スーツ=戦闘服?もうそんな気力は残っていない

昔は「スーツ姿の自分」に、少しだけ誇らしさを感じていた。街の中で「ちゃんとしてる人」に見られることが、心の支えにもなっていた。でも今は違う。戦う気力が減ってしまったのか、「スーツで戦う」という構図が、どこか空虚に見える。疲れが溜まっているのか、年齢のせいなのか。いや、もしかしたら、孤独なのかもしれない。戦う相手も、仲間も見えにくい状況で、ただ装備だけが立派というのも、なんとも虚しいものだ。

着替えたからって気持ちが切り替わるわけじゃない

「身だしなみを整えると、気持ちも整う」という言葉はもっともらしい。だけど実際は、気持ちが整わない日だってある。スーツに着替えても、気持ちが上がらないどころか、余計に「無理してる自分」が浮き彫りになる。まるで仮面をかぶって出勤するようなものだ。表情だけ整えて、中身はぐちゃぐちゃのまま。そんな日が週に何度もあると、「もう、なに着たって同じじゃないか」という気持ちすら芽生えてくる。

形式だけ整えても「中身」は空洞のまま

スーツを着て、靴を磨いて、書類を整えて、事務所に入る。それだけで「ちゃんとしてる」ように見える。だけど、それってただの形式だ。本当に大事なのは、そこにどんな思いがあるか、どんな覚悟があるかじゃないか。最近、自分の中身が空洞になってきたように感じるのは、その「思い」や「覚悟」がすり減っているからだろう。仕事を続けるうちに、情熱が少しずつ削られていく。その摩耗に、自分でも気づけなくなっているのが一番こわい。

予定は詰まっているのに、心はどこか上の空

スケジュール帳は埋まっている。毎日やることが山ほどある。だけど、自分の心はどこか上の空。手は動いているのに、気持ちが追いつかない。そんな日は、何をやっても空虚だ。依頼人と話していても、形式的な言葉だけが口から出る。「またご連絡しますね」と笑顔で言いながら、心の中では「また一つ、こなしただけ」と思ってしまっている。効率は良くなっているのに、手応えがどんどん薄れていく。

「士業だからちゃんとしてる」っていう幻想に疲れる

「士業の人はしっかりしてる」「冷静で頼れる」そんなイメージを抱かれることが多い。でも現実はそんなにカッコよくない。むしろ日々ギリギリで回しているし、失敗もするし、泣きたい夜もある。そういう弱さを見せると、「司法書士のくせに」と言われかねないという恐れがあるから、ついまた無理を重ねてしまう。こうした幻想に付き合っていくのは、本当に疲れる作業だ。それでも崩せないのは、「頼りにされることが仕事」だからだろう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。