はんこ一つで変わる人生――押したのは紙じゃなくて、心だったのかもしれない
はんこが押される音が、僕の心に刺さるとき
カシャッと鳴る朱肉の音。何百回と聞いてきたその音に、時々心がざわつくことがある。仕事柄、毎日のように目にする「印鑑」だが、そこには依頼者一人ひとりの人生が詰まっている。司法書士という立場でありながら、ただの“処理”では済まされない重みを感じる瞬間があるのだ。誰かの新しいスタートであり、誰かの別れの証でもあるその一印。僕は何度、その重さに息を詰まらせたことだろうか。
淡々と仕事をこなす日々。でも心は無風じゃない
登記も相続も、手続きとしてはルーチンだ。ルールに従い、書類を整え、押印を確認し、法務局に提出する。それだけと言ってしまえばそれだけ。でもその裏側には、家族の確執や、突然の別れ、将来への不安といったドラマが隠れている。僕たちはその一部始終を直接聞くことはないけれど、書類の文字から伝わってくる温度がある。事務的な処理のように見えて、実は心の中ではいろんな感情が蠢いているのだ。
登記完了は書類の終わり、でも人の物語の始まり
「これで完了しました」と書類を渡すと、ほっとしたような、寂しげなような顔をされる依頼者がいる。特に相続や離婚の案件はそうだ。「これで一段落です」と言いつつも、心の中では何かが終わり、何かが始まるのだろう。僕はその瞬間に立ち会っているということを、毎回思い出すようにしている。はんこ一つで終わる手続きの裏には、人間の物語が息づいている。
失敗できない、けどミスの重さが身に沁みる
はんこを押す瞬間、それがすべての決着になる。だからこそ、僕らの事務処理にミスがあってはならない。けれど人間である以上、完全は難しい。登記申請に一文字の誤りがあれば、戻ってくる。そのたびに「またやっちゃったか」と落ち込む。小さな見落としが、依頼者に迷惑をかける。そのプレッシャーは、思っている以上に重い。
書類の束に感情はない。でも依頼者の目にはある
机の上に積まれた書類の山。それを淡々と処理する僕の横で、依頼者が見せる微妙な表情が、心に引っかかることがある。「ここに押せば終わりですね」と言いながら、どこか不安げな瞳。もしかしたら、そのはんこ一つで誰かとの関係が終わるのかもしれない。書類には感情がない。でも、それを見る人間には感情がある。僕はそれを忘れたくない。
「はんこ一つで」と言うけれど、そこに至るまでの地味な山道
世間ではよく「はんこ押すだけの仕事でしょ」と言われる。でも実際は、そこに至るまでの工程が、まあ長い。確認・修正・再提出…その繰り返し。時には「この書類、また直すのか…」と心が折れそうになることもある。特に一人事務所だと、誰かに投げることもできず、すべてを背負い込むことになる。効率化?それは夢の話。
書類準備、確認、電話、修正、再確認。終わらない日常
一つの案件でも、書類が揃うまでに何回も確認が必要だ。「印鑑証明が期限切れ」「相続関係図に漏れがある」「この委任状、書式が違う」…そのたびに依頼者に連絡をし、時には謝り、説明し直す。そんな繰り返しに、正直嫌気が差すときもある。けれど、それをやらないと正確な登記はできない。司法書士の仕事は地味で地道。華やかさは一切ない。
印鑑ひとつ押してもらうために、何回足を運ぶのか
高齢の依頼者の家に何度も足を運び、説明し、やっとの思いで印鑑をもらう。簡単なように見えて、その裏には根気と信頼の積み重ねがある。ときには「まだこれ終わってないの?」と呆れられたりもするけれど、「はい、もう少しです」と笑顔で応じるしかない。自分の感情なんて、二の次。仕事だから、という言葉で押し殺す。
「また訂正かよ」と事務員と二人でため息
うちは事務員一人。彼女がいなかったら、とっくに潰れてたかもしれない。けど、二人でやっていると、ミスのカバーも手分けしづらい。登記が戻ってくるたびに、「またか…」と二人で肩を落とす。だけど、不思議とそのやりとりにも情がある。黙って直す日もあれば、愚痴り合って笑いに変える日もある。そんな日常が、逆に支えになっているのかもしれない。
一人事務所の苦しみと孤独。相談する相手がいない夜
都会なら同期もいるし、相談できる仲間もいる。でもここは地方。周りに同業者も少なくて、悩みはほぼ独り言。夜遅くに事務所でひとり、天井を見つめながら、「これでよかったのかな」と自問することもある。誰も答えはくれない。でも、朝が来ればまた書類をさばくしかない。それが現実。
誰にも気づかれないけど、ちゃんとやってるつもり
表に出ることのない努力や段取り。誰も褒めてくれないし、報われることも少ない。でも、それでもちゃんとやってるつもりだ。依頼者の人生に関わることだからこそ、手は抜けない。気づかれなくても、評価されなくても、黙々とやる。それが僕の仕事であり、生き方だと思っている。
判を押す責任。逃げ出したくなるときもある
依頼者から「ここに押せばいいですか?」と聞かれたとき、自分の中で警報が鳴る。「本当に分かって押そうとしてる?」という不安が湧くからだ。その一押しで未来が変わってしまうこともある。だからこそ、慎重にならざるを得ない。でも、全部を説明して納得してもらうのは、正直難しい。そしてそのギャップに、疲れ果てることもある。
「この印鑑でいいですか?」と聞かれるたびに背筋が凍る
たとえば離婚の案件で、配偶者が涙ながらに「これで本当に終わりなんですね」と確認してくる。僕はその横で、「はい」と答えるしかない。でも、その言葉の重みをずっしりと受け止めることになる。彼らの人生に関わる印鑑。それを「確認して押してください」と言うのは、想像以上に怖いのだ。
万が一のとき、責任を問われるのは誰か
万が一、ミスがあった場合、それは誰の責任になるか。結局、司法書士が最終的に責任を背負う。それが仕事だし、その覚悟はある。でも、人間だからミスをすることもある。書類一枚の確認不足が、トラブルに発展することもある。だからこそ、毎回が綱渡り。精神的に消耗する。
安心してくださいって言いたい。でも正直怖い
「安心してお任せください」なんて言葉、簡単には言えない。言いたいけど、言ったらその分、責任が重くなる。依頼者にとっては、何度もあることじゃない。でもこっちは毎日やってる。そのギャップに気をつけながら、誠実にやるしかない。いつも怖い。でも、それでもやる。それが、この仕事なのかもしれない。
「仕事だからやる」じゃ割り切れない日もある
もちろん仕事だからこなすけど、感情を殺してやるには無理がある。依頼者の涙や怒り、感謝や笑顔。それらに心が動いてしまう自分がいる。そういう意味では、この仕事はいつまで経っても慣れないし、楽にはならない。でも、だからこそ、続けているのかもしれない。少しでも人の役に立てている実感が、最後の砦になっている。
僕たち司法書士は「無色透明」じゃない
法律家として、冷静でいなければならない。でも、それだけじゃ続かない。僕らも感情を持った人間だし、迷いや葛藤を抱えながら生きている。依頼者の人生に関わることに、無関心ではいられない。司法書士もまた、「はんこ一つで変わる人生」の当事者なのだと思う。