あの一言にムッとした自分が恥ずかしい──登記官とのやりとりで気づいたこと

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あの一言にムッとした自分が恥ずかしい──登記官とのやりとりで気づいたこと

登記官の「指摘」に思わずムッとした夜

今日は、ある登記の申請で法務局に補正の連絡が来た日だった。内容はそれほど大きなミスではなかったけれど、登記官の言い方がやけに冷たく感じた。「これ、ちゃんと確認しました?」という一言に、ぐっとこらえたつもりだったけれど、正直カチンときてしまった。日々の疲れやストレスが溜まっていたのかもしれない。帰宅してからも、その一言が頭の中をグルグル回って離れなかった。

ほんの些細なやりとりだったのに

登記官の言葉自体は、おそらく誰に対してもそういう口調なんだろう。でも、その日は特に神経が過敏になっていた。朝から急ぎの案件が続き、昼食もコンビニおにぎりを片手に事務所で済ませていた。そんな中での補正連絡。心のどこかで「またかよ……」とぼやいていた。だからこそ、あの一言で感情が爆発しそうになったんだと思う。

頭では分かっていても、感情が先に出る

「冷静に対応しなきゃ」と何度も自分に言い聞かせてきた。でも、どうしても感情のスイッチが入ってしまう瞬間がある。今回もそうだった。頭では「指摘してくれるのはありがたいことだ」と分かっている。でもその瞬間、心が勝手に「責められている」と受け取ってしまう。司法書士という仕事はミスが許されないだけに、常に緊張している。その緊張の糸が、ふとしたことで切れてしまうのだ。

登記官と司法書士、その微妙な立ち位置

登記官と私たち司法書士は、ある意味で対等な立場のはずだ。だけど、実務においてはそうは感じられない瞬間が多い。指摘される側とする側。その構造が、無意識のうちに上下関係を作ってしまっているのかもしれない。

対等なようでいて、対等じゃない

書類一式を提出したあと、法務局から電話があると、正直少し身構えてしまう。「今度は何を指摘されるんだろう」そんな思いが先に立つ。これが対等な関係とは思えない。とはいえ、登記官も決して悪意があって連絡しているわけではない。それでも、言い方ひとつでこちらの心は大きく揺れる。

お願いする立場のもどかしさ

どんなにこちらが丁寧に準備しても、最終的に通すのは法務局側だ。だから、「お願いする立場」という意識が拭いきれない。たとえば、「この内容で補正お願いします」と言われたとき、心のどこかで「仕方ないな」と思ってしまう。でも、その気持ちが積もると「なんでこっちばかり低姿勢なんだ」と不満につながっていく。

見下されているような被害妄想?

登記官の対応が機械的だったり、そっけなかったりすると、「また小馬鹿にされてるのかな」と感じてしまう。でも、これってたぶん被害妄想に近い。自分の自信のなさや、余裕のなさが、相手の態度を歪めて受け取らせてしまっている。あとで冷静になると、「別に普通の対応だったな」と思えることも多い。

感情的になるとロクなことがない

やっぱり感情的になると判断を誤る。それは仕事でも、人間関係でも同じ。自分が一番よく分かっているのに、つい感情の波に呑まれてしまうことがある。

冷静さを失ったときの自分が一番怖い

昔、補正に腹を立てて登記官にキツめの言葉を返してしまったことがある。その後、しばらく法務局の空気がピリついてしまった。もちろん自分が悪い。あの時のことは今でも後悔している。冷静さを失うと、自分の評価だけでなく、事務所全体の印象まで悪くなる。怖いのは、感情がそのまま信用を壊すことだ。

怒りの感情をぶつけると、後が面倒

一度怒りをぶつけると、相手との関係を修復するのがとても大変になる。特に司法書士のように継続して法務局と関わる仕事では、尾を引く。だからこそ、ぐっと飲み込んで「はい、わかりました」と言うのが最善。わかってはいる。でも、その「わかってる」が通用しないときがあるのが人間なんだよな……。

「指摘」は悪意ではなく、業務上の指導だった

改めて考えてみると、登記官の指摘って、ほとんどの場合は業務上必要な確認や指導だ。それ以上でもそれ以下でもない。

登記官も忙しくて余裕がない

あちらも山のように案件を抱えているのだろう。自分たちと同じように、時間に追われ、確認ミスがないように神経をすり減らしている。そんな中で、つい言葉がきつくなるのも無理はない。それは責めてはいけないことだと思うようになった。

言い方がきつい=性格が悪い、ではない

「もっと柔らかい言い方してくれたら…」と感じることはある。でも、それはあくまでこちらの希望であって、相手の性格と結びつけてはいけない。たとえば、自分も忙しいときには、つい事務員さんに無愛想な返事をしてしまう。立場が逆なら、自分も同じような態度を取っているのかもしれない。

それでも納得できないときの処理法

とはいえ、「これはさすがにないだろ」と思う対応もある。そういうときは、いったん冷静になる時間を作る。感情で返事をしない。メモにまとめて、翌日に電話する、もしくは直接窓口で丁寧に聞く。そのひと手間が、トラブル回避には効果的だ。

反省する夜に思ったこと

帰宅して風呂に入りながら、ぼーっと天井を見ていた。「なんであんなにイライラしたんだろう」そう思った瞬間、なんだか情けなくなった。

「疲れてたな」と気づくだけでも違う

感情の波は、たいてい疲れとセットでやってくる。あの日も、寝不足とストレスがピークだった。そんなときは自分を責めるより、「疲れてたな」で済ませるくらいがちょうどいいのかもしれない。反省はする。でも、反省のしすぎもまた毒だ。

自分の感情とどう付き合うか

司法書士の仕事を続ける限り、感情との付き合いは避けられない。イラっとする日もあるし、へこむ日もある。それをすべて「プロとしてどうか」と責めていては、心が持たない。むしろ、「ああ、今日も人間らしくていいじゃない」と笑い飛ばすくらいでいい。

事務員さんの前では冷静でいたい

一人だけ雇っている事務員さん。彼女の前ではなるべく感情的にならないようにしている。でも時々、溜まっていたものが漏れてしまう。そんなとき、彼女が静かにお茶を出してくれると、「あ、やってしまったな」と反省する。ありがたい存在だ。

本音はここにしか書けない

普段は誰にも言えないことも、こうして文章にすると少し気が楽になる。誰かの役に立つかもしれないし、少なくとも自分の整理にはなる。こういうネガティブな話ほど、実は多くの人が共感してくれるのかもしれない。

同じような思いをしている司法書士へ

最後にこれを読んでくれている、同業のあなたへ。日々のやりとりの中で、イラッとしたり、落ち込んだりするのはあなただけじゃない。私も、たぶんみんなも、同じように揺れている。

感情を持て余す日もある、それが普通

人と接する仕事だからこそ、感情の波は避けられない。でも、それを乗り越えていくことで、自分の器も少しずつ大きくなる……と信じたい。たまには感情的になってもいい。ただ、それを次に活かせれば、それで十分だ。

真面目な人ほど、無意識に自分を追い詰める

真面目な人ほど、「こうあるべき」と自分を律しようとする。その結果、自分を追い詰めてしまう。でも、たまにはそんな自分を甘やかしてあげてほしい。完璧じゃなくてもいい。私も、あなたも、ただ一人の司法書士なんだから。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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