補正に慣れすぎた自分が、ちょっとこわいと思った日

補正に慣れすぎた自分が、ちょっとこわいと思った日

気づけば、補正作業が日常になっていた

昔は補正という作業に、ほんの少しの罪悪感があった。「できればやりたくない」「ミスを出さないように気を付けよう」と思っていたはずだ。それが今では、もう何の感情もない。補正ありきの毎日。登記申請を出したあと、「さて、どこが補正されて返ってくるかな」と思ってしまう自分がいる。たぶん、もう相当病んでる。これに気づいたのは、ふとした瞬間だった。

いつの間にか“本来の作業”ではなくなっている

登記の正確さは、司法書士の信用そのものだと教わってきた。でも今は「とりあえず出す」ことが当たり前になりつつある。確認もするにはしてるけど、どこかで「補正で戻ってくるから大丈夫」という思いがよぎる。そういう甘えが、どんどん自分の中で正当化されていって、本来の「正確に仕上げる」という仕事の意味を自分から失っているような気がしてならない。

本末転倒なルーチンが積もり積もって

朝のルーチンに「補正対応」が入っているのはおかしいのに、完全に習慣化されてしまった。書類作成、確認、申請、補正対応、再提出。この流れが“日常業務”として成立している。毎朝、法務局のメールをチェックして、「あ、またか」と呟きながら補正理由を見る。そんな自分がこわい。本当は“補正ゼロ”が理想なのに、それが理想だとすら思わなくなっていた。

違和感が、だんだん違和感でなくなる不思議

最初は、補正があると恥ずかしかった。自分の確認不足や詰めの甘さに落ち込んだ。でも何度も繰り返すうちに、それが当たり前になってしまった。今では補正が来ないと「今日は運が良かった」くらいに感じている。逆転してる。逆立ちして歩いているような感覚だが、それが普通になってしまった。違和感の麻痺って、怖い。

「補正すればいいや」の癖が染みついてしまった

「補正がある前提」で書類を出すと、やっぱりどこかで手を抜いてしまう。目を凝らして見れば気づくような間違いも、「まあいいか」で済ませてしまう。自分が自分に甘すぎる。誰にも叱られない環境が、じわじわと自堕落を育てていく。かつて“自分だけは大丈夫”と思っていた自信が、音もなく崩れていった。

最初は一度だけのつもりだった

初めて補正を受けたとき、妙にホッとしたのを覚えている。「あ、これでなんとかなるんだ」と。法務局もきちんと補正理由をくれて、こちらはそれを訂正して再提出する。なんて親切なシステムだとすら思った。だけどその一度が、いつの間にか毎月、毎週、毎日になった。補正という便利な逃げ道に、私はすっかり依存してしまったのだ。

書類の間違い、連絡ミス、指示不足…

一つひとつは小さなズレ。依頼者からのヒアリングミス、記載漏れ、本人確認書類の不備。どれも事前に防げたはずのこと。それでも「補正があるから大丈夫」と思ってしまう。それに慣れてしまうと、いちいち反省しなくなる。自分の仕事が粗くなっていくのが、肌感覚でわかるのに、止められない。

補正で乗り越えた成功体験が諸悪の根源?

補正対応で無事に登記が通ったとき、「まあ何とかなったな」と思ってしまう。これがいけない。成功体験が補正と紐づいてしまうと、補正が悪いことじゃない気がしてくる。そうなるともう抜け出せない。補正を前提に行動する自分になってしまう。成功体験が“毒”になる瞬間もあるのだ。

それでも今日もまた、補正している自分がいる

わかってる。補正に慣れるのはよくない。でも、今日もまた、補正のメールを開いて、淡々と修正している自分がいる。ああ、またやってしまった、と一瞬思う。でも、手は止まらない。補正の回数が増えるにつれて、修正対応のスピードも上がってきている自分に、さらにゾッとする。これはもう、いい意味でも悪い意味でも“職人芸”に近い。

抜け出すにはどうしたらいいのか

今さら完璧主義に戻るのは無理かもしれない。でも、せめて意識だけでも変えたいと思っている。補正ゼロを目指すのではなく、「補正が出たら原因をちゃんと振り返る」だけでもいい。少しずつでも、自分の仕事の質を戻していくしかない。じゃないと、ますます「補正の人」になってしまう。

明日からじゃなくて「今から直す」勇気

“明日から気をつけよう”はだいたい実行されない。補正も同じで、毎回「次はちゃんとしよう」と言いながら、同じことを繰り返している。だからこそ、気づいた「今」が一番のタイミングなんだと思う。小さな確認を一つずつ増やすだけでも、補正の回数は減っていくはずだ。

せめて、誰かに見てもらえる仕事を

補正対応をしているとき、ふと「誰かに見られていたら、もっと真剣にやるのに」と思うことがある。独立していると、すべてが自己完結になりすぎる。だからこそ、「誰かの目」が必要なんだ。事務員さんに見られていると思えば、少しは気も引き締まる。そういう意味でも、自分一人だけの仕事にしないことが、補正からの脱却につながるのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。