登記が完了する前に心が折れかける瞬間
登記の完了通知を待つあいだ、気がつくと自分の心のほうが先に限界を迎えそうになっている──そんな日は年に一度や二度じゃありません。いや、正直に言えば月に何度かあります。依頼人には当然のように「早く」「正確に」を求められ、法務局からはじわじわとプレッシャー。なのに一息つく暇もなく、次の案件が容赦なく襲ってくる。身体じゃなくて、心が悲鳴をあげる瞬間があるんです。
処理の山に埋もれる午前九時の現実
朝9時。世間的にはまだ余裕のある時間帯かもしれませんが、うちの事務所ではすでに今日が詰んだ感が漂う時間です。机の上には積まれた登記申請書、相続関係説明図、委任状のコピー。そして開封されていない封筒たち。事務員の彼女は一生懸命こなしてくれているけど、どう考えても人手が足りていない。結局、元野球部の根性で手を動かすしかないわけで……でも、そんな昭和的な精神論、もう令和には通用しないのかもしれません。
昨日の登記簿がまだ頭に残ってる
前日の登記でクタクタになって帰ったはずなのに、朝になるとその案件のことで頭がいっぱい。登記原因証明情報に不備があったんじゃないか、オンライン申請のXMLが間違っていなかったか、そんなことばかりがグルグル。夢にまで出てきますからね。夢の中で「この登記、却下されますよ」と法務局の人に言われて飛び起きた朝、正直、鏡を見たくなかったです。疲れた顔の自分にさらにゲンナリします。
電話とメールの応酬にすり減る精神
一息つこうと思っても、それを許してくれないのが電話とメール。特に午前中は依頼人の「今、ちょっといいですか?」の嵐。いいわけないんですけど、そうも言えずに対応してしまう自分がいます。メールも開けば「至急でお願いします」が並び、まるで爆弾処理班のような気分。昔はこの緊張感が好きだったんですが、今はただただ、心が摩耗していく音が聞こえる気がしています。
完了通知よりも先に壊れるのは自分の神経
「登記が完了しました」との通知が届く瞬間、本来なら達成感があるはずなんです。でも現実は、その瞬間にはもう神経が磨り減りきっていて、嬉しさも感じられない。むしろ「やっとか…」と呟きながら、次の案件へ無表情で移っていく。達成感よりも、次のプレッシャーに気持ちが向いている状態。それが続くと、自分の中の何かが壊れていくのがわかるんです。
登記より先に壊れるプリンター
そういえば先日、プリンターが突然「異常」を表示して止まりました。紙詰まりじゃない、インクでもない。原因不明。でも「異常」はこっちの心の方だよな、なんて苦笑しながら、電源を入れ直してみる。動いた瞬間、心のどこかで「お前の方が俺より頑張ってるな」とプリンターを褒めたくなりました。自分の中の感情がちょっとおかしくなっていると気づいた瞬間です。
自分の中で何かがパキッと折れる音がする
電話越しに理不尽なクレームを受けているとき、ふと「あ、今なんか折れたな」と思ったことがあります。それは気力だったのか、自尊心だったのか。小さなパキッという音が、自分の心のどこかで鳴った気がしました。そのまま無感情で応対しながら、どうしてこの仕事を選んだんだっけ、なんて考える。答えは見つからず、ただただ疲れだけが残ります。
事務員ひとり体制の限界
この仕事、事務員が一人いるだけでも助かっているはずなんです。彼女がいなかったら、事務所はとっくに回らなくなっていると思います。でも、人が一人というのは、逆にリスクでもある。病気、家族の用事、予期せぬ休み。そういう時にはすべての重みが自分一人にのしかかる。たった一人の不在が、事務所全体の機能を停止させるんです。
彼女が休むと事務所が止まる
ある日、事務員の彼女が体調を崩して休みました。普段の倍の仕事量を自分ひとりでこなす羽目に。午前中で手一杯、午後は電話の対応で書類が全然進まない。結局、夜の10時まで事務所に残って処理をすることになりました。あのときは「これを毎日やってたら、身体より先に精神が壊れるな」と本気で思いました。独身で良かったとも思ったけど、虚しさの方が大きかったです。
自分も休みたいけど、休めない
土日が来ても「来週の登記は大丈夫か」「月曜朝イチの件、準備しておくべきか」と考えてしまい、気が休まりません。予定を入れたくても、いつ何が起こるかわからない。だからこそ、つい家にこもってしまう。結果的に心のリセットができず、疲労が積もるばかり。たまの休みに何も予定を入れないと、むしろ不安になるという悪循環に陥っています。
事務所は回ってないけど電話は鳴る
誰もいない事務所でも、電話は律儀に鳴ります。「あれ、今日はお休みですか?」「至急お願いしたいのですが」そんな言葉が突き刺さります。誰かが何かを待っている。それに応えられないことが、こんなにもプレッシャーになるなんて。ひとり事務所の重みを、こういうときに実感します。小規模だから楽だろう、なんて誰が言ったのか、代わって一日やってみてほしい。
ありがたいけど抱えるプレッシャー
依頼人から「先生がいてくれて助かる」と言われることがあります。ありがたい。心からそう思う。でも、正直に言えば、それがプレッシャーにもなるんです。期待されるほど、自分が潰れていくような感覚。昔はその言葉にやりがいを感じていたけど、今は「誰か他の人じゃダメですか」と聞きたくなることもあるんです。
「先生がいるから安心」と言われる苦しさ
安心されるのは嬉しい。でも、安心されるにはこちらが不安を全部背負わなきゃいけない。人の不安を引き受けるって、思ってるよりもしんどいです。「先生がいると違いますね」と言われた帰り道、コンビニでビール一本だけ買って、静かに独り乾杯する夜。これがプロってことなのかもしれないけど、正直、報われてる気はしません。
本音は誰にも言えない
誰かに「しんどい」と言いたい。でも、言えない。友人も減ったし、同業の知り合いにはプライドが邪魔をする。家に帰って独りで天井を見ながら、「俺は何をしてるんだろうなあ」と呟く。元野球部の根性論じゃ、もう立ち直れないくらい、心が疲れているんだと実感する瞬間です。けれど、それでもまた朝はやってくる。まるで登記完了のように、終わりがない。