今日は何かが違うと感じた朝
朝、事務所に入った瞬間、何か空気が重たい。特別な連絡もなかったはずなのに、どことなく落ち着かない感じがした。事務員の「先生、なんか電話の様子おかしかったですよ…」という一言が頭の片隅に引っかかった。そんな感覚はたいてい的中する。ああ、今日は一筋縄ではいかない一日になるんだろうと、無意識に腹を括った。
事務所に漂う妙な空気
季節外れの寒さでもないのに、背筋がスッと冷えるような感じ。朝から依頼人からの電話が連続していたらしく、いつも落ち着いている事務員も少し動揺していた。「同じことを何度も聞かれて、変なんです」と。電話の向こうの依頼人が不安になっているだけならまだいい。だが、何かを“忘れている”気配があるときは要注意だ。それがただのうっかりでは済まないことがある。
事務員の一言が引っかかる
「先生、◯◯さんって、登記の種類違うって言ってるんですけど…」という言葉で、心臓が一拍遅れてドクンと鳴った。いや、確かにあのとき本人と面談して確認したし、メモも残してある。録音まではしていなかったが、間違えるような内容じゃないはずだ。だが、そう思っていても、相手の記憶が違っているとなると、話は一気にややこしくなる。
予感は的中するものだ
午前中に事務所に来たその依頼人は、開口一番こう言った。「そんな登記、お願いした覚えないんですけど」。全身の力が一気に抜けた。何を今さら…。内心の焦りとは裏腹に、「そうでしたか、ちょっと確認させていただきますね」と冷静を装った自分がいた。記憶違いか、それとも…?その瞬間から、今日という日は長く重たい一日になると確信した。
「そんな説明は聞いてません」から始まる崩壊
司法書士という仕事には、「説明した」「聞いてない」のすれ違いがつきものだ。だが、それが致命的になるときがある。今回の依頼人も、まさにそのパターンだった。私は必要な説明をしたつもりだったし、メモにも残していた。でも、相手がそれを覚えていないとなると、立場は一気に不利になる。たった一つの記憶違いが、信頼を崩壊させてしまう瞬間だった。
依頼人との記憶の食い違い
「最初に言った内容と違う」と言われると、こちらとしては釈明に回るしかない。私は、そのときの面談内容を思い返しながら、慎重に言葉を選んで説明した。「◯月◯日の面談ではこのように…」と経緯を説明しても、「そんな話は聞いていない」の一点張り。もう、言葉がすれ違っているというより、話が噛み合っていない。どれだけ丁寧に説明しても、それが届いていないと痛感した。
メモを取らないリスクは誰が背負うのか
こちらは業務上の義務として詳細なメモを取っている。でも依頼人は、重要なことを“口頭だけ”で理解したつもりになっているケースが多い。後から「そんなの聞いてない」「違うことを言われた」と言われたとき、証明できるものがなければ、司法書士の責任が問われかねない。記憶違いで全てが狂うリスクは、結局こちらが背負うことになる。
言った言わないの泥仕合
私の記録と依頼人の主張が真っ向から食い違う。録音があれば良かったが、そこまでのリスクは想定していなかった。説明文書に署名ももらっていなかった。つまり、「言った」「言わない」の泥仕合。依頼人の怒気にあてられながら、私は何度も「ご説明が至らなかったようで」と頭を下げた。虚しい。こちらが悪くないとわかっていても、謝るしかないのが現実だ。
どこで間違ったのかを追いかける午後
昼食も喉を通らず、私はひたすら過去の記録を洗い直した。面談の日のスケジュール帳、業務日報、メール、LINE。どこかに証拠がないかを探す作業は、まるで自分の潔白を立証する裁判のようだった。司法書士の仕事は、相手の信頼があってこそ成り立つ。だがその信頼が崩れると、説明も説得もすべて無力になるのだ。
過去のメールとLINEをひたすら確認
冷静に見直していくと、確かに関連する文面がいくつか出てきた。が、完全に決定的とは言えない内容ばかり。「これだ!」と胸を張って見せられるような証拠がなければ、相手にとっては“言い訳”でしかないのだ。特にスマホ世代の依頼人は、LINEでのやり取りしか見ていないことも多く、メールの存在すら忘れていたりする。
証拠があっても納得しない依頼人
ようやく見つけた過去のやり取りの中に、「◯◯の登記でお願いします」と明言している箇所があった。私はそのスクショを印刷して持参したが、依頼人は顔色一つ変えず「そんなつもりじゃなかった」と言う。証拠があっても、相手の“気持ち”が違うと言われてしまえば、もう理屈ではない。論理では覆せない壁にぶつかった。
結局謝るのはこっち
その後、何度かのやり取りを経て、依頼人は渋々納得した…というより、面倒くさそうに引き下がっただけだった。そして最後に、「まあいいですけど、次からはちゃんと確認してくださいね」と捨て台詞。心の中で「こっちが確認した結果がこれだよ」と叫びたくなったが、言葉にはしなかった。こうしてまた一つ、理不尽な謝罪だけが積み上がっていく。
信頼関係って何なんだろう
仕事というのは信頼で成り立っている、とよく言われる。だけど、その信頼があまりにも簡単に崩れるのを目の当たりにすると、むしろ虚しさのほうが大きい。こっちは専門職として、誠実に、丁寧にやっているつもりでも、相手の一言で「ダメな奴」扱いされてしまう。じゃあ何のためにここまで気を遣ってきたのか?そう思ってしまう瞬間がある。
司法書士はいつから便利屋になったのか
登記の相談だけではなく、「郵便物を取りに行ってほしい」とか「引っ越し先のアドバイスも」とか、本来の業務を超えた依頼も増えてきた。まるでなんでも屋みたいだ。もちろん信頼の延長線上なのかもしれないが、それが“都合のいい人”にされているだけのように感じる日もある。気がつけば、誰かの記憶違いまで私の責任になっているのだから。
言いがかりにも黙って耐える日々
もう何度目かわからない、「言ってない」と言われた経験。証拠があっても、謝るしかない現実。まるでピッチャーなのに、自分のエラーで失点したかのような虚しさだ。元野球部の自分なら、本当ならカバーに回って、声をかけて、みんなで盛り上げて…なんて動きができた。でも、司法書士という仕事には、チームプレーなんてものはないのかもしれない。
元野球部でも守れないものがある
あの頃、土のグラウンドで飛び込んで捕った打球のように、どんな球でもなんとかなると思っていた。でも、社会に出ると、自分ひとりではどうにもならない場面のほうが多い。とくに人の“記憶”という不確かなものを相手にしていると、それが仕事の命取りになる。フォームが正確でも、相手が見ていなければ評価されない。まるで“記録に残らないナイスプレー”のようだ。
ガッツではどうにもならない局面
いくら丁寧に対応しても、いくら誠実に説明しても、伝わらないものは伝わらない。熱意だけでは仕事は守れない。それは、草野球なら笑って済むが、登記ミスなら裁判にもなる。ガッツや情熱ではどうにもならない局面が司法書士にはある。いや、むしろそんな場面ばかりかもしれない。今日もまた、心のどこかで「やってられないなあ」と呟いてしまう。
ホームベースを踏ませてもらえない仕事
頑張って走って、ベースを回って、あと少しでホームインというところで、「踏んでませんよ」と言われて試合終了。そんな気分だ。証拠を見せても、記憶違いの一言で全てをひっくり返される。ルールの中で勝負しているはずなのに、相手がルールごと変えてくる。司法書士って、報われる瞬間が本当に少ない。それでも、明日もまたベースを踏みにいくんだろうなと思ってしまう自分が、ちょっと悲しい。