ひとり焼肉の夜
店内に漂う焦げたタレの香り
焼肉屋「炎の道」は、どこか昭和を感じさせる店構えだった。カウンター席に一人で座ると、隣は空席、奥の座敷からは酔客の笑い声。煙が天井を這い、私のメガネを少し曇らせる。
独身男が一人で焼肉を食べるというのは、案外悪くない。誰に気を遣うこともなく、自分のペースで肉を焼き、食べる。ただ、この時間帯になると妙に物思いにふけってしまうのが難点だった。
「やれやれ、、、また仕事のことを考えてる」そう自分にツッコミを入れて、ハラミを裏返すと、突然スマホが震えた。相手はサトウさんだった。
サトウさんの電話
「先生 地役権って知ってますよね」
「知ってますよ」と返しつつ、タレの瓶を握ったまま電話を取る。なんてタイミングだ。彼女の声はいつもながらクールだった。
「焼肉屋の店主から依頼です。店の裏の通路が封鎖されたとか。どうも登記がおかしいらしいんです」 電話越しのサトウさんの声に、わずかに興奮が混じっていた。
「地役権がないと、裏口から荷物も運べません。焼肉が供給されない焼肉屋なんて、ノリスケのいないサザエさんみたいなものですよ」
依頼人は焼肉店の店主
奥に眠る古い権利書
翌日、昼前に「炎の道」へ向かうと、店主が困った顔で待っていた。聞けば、店の裏口の道を挟んだ土地に最近新しく越してきた男がフェンスを設置し、通れなくしたという。
「ここは昔から通ってたんです。親父の代から。地役権の書類? どっかにあったと思いますけど、、、」 その“どっか”が司法書士泣かせなのだ。
バックヤードの奥、ダンボールを漁ると、そこには昭和62年の登記済証と一緒に、地役権設定契約書の写しがあった。ただし、法務局に登記されているかどうかは不明だ。
地役権とは何か
通行の自由と土地の束縛
地役権とは、他人の土地を特定の目的で利用する権利。今回の場合、それは「通行」だった。焼肉屋の裏口から荷物を運ぶために、その細道を使う必要があった。
「地役権がないと、この店終わりです」店主は深刻そうだった。 「いや、終わらないですよ。ちゃんと通せるようにします」と、私は答えたが、その根拠はまだなかった。
地役権が登記されていれば話は早い。だが、未登記なら、口約束だけでは相手に通行を強制できない。昭和の気合と根性では、フェンスは動かないのだ。
焼肉店で起きた小さな事件
トングを持って逃げた男
その日の夜、またしても「炎の道」で一人焼肉をしていた。すると店内がざわついた。厨房から飛び出してきた店主が叫ぶ。「あの客、トング持って逃げた!」
私も外へ飛び出した。トング泥棒など前代未聞だが、どこかで見た顔だった。 「やっぱりあの土地の新住人だ」 一瞬だけ目が合った。彼は路地裏へと消えた。
テーブルに戻ると、彼の席には名刺が残されていた。「不動産コンサル 鳴滝」。また厄介そうな男の登場だった。
やれやれ、、、また妙な案件だ
サザエさんなら波平が怒る場面
「トング泥棒がコンサルですか。カツオが塾をサボってガチャに課金したときくらいの衝撃ですよ」 サトウさんがそう言いながら、名刺をスキャンしていた。
「やれやれ、、、面倒な展開になってきたな」 私の独り言に、誰も突っ込む者はいない。せめてトングは返してほしい。
その名刺の裏に、小さく書かれた文字があった。「地役権 登記確認済」。私は急に、焼肉の煙の向こうに真実が見えた気がした。
調査開始
登記簿の奥にある矛盾
法務局で登記簿を確認すると、確かに昭和62年に地役権の設定登記がされていた。ただし、承役地(通らせる側)の地番が、数年前の分筆で分かれていた。そこに盲点があった。
「つまり、登記簿上は地役権が及んでいない区画が今のフェンス部分なんですね」 「ええ、地役権が法的には切れてるように見えます。物理的にはまだつながってますが」 サトウさんの説明は正確だった。
鳴滝はそのスキを突いて通行を封じたのだ。つまりこれは合法的なフェンス封鎖。だが、登記には一つだけ“穴”があった。
サトウさんの推理
「地役権が切れてます 物理的に」
「でもね先生、昭和62年当時は地続きだったんです。分筆された後も、現況で使用されてたなら、黙示の承諾があった可能性もあります」 「なるほど」
「民事の調停は難航しますよ。でも、“間違い登記”ってことにすれば、、、」 サトウさんの目が鋭くなった。彼女の言う通り、当時の地番ミスとして更正登記を申請する形なら、逆転の余地があった。
登記の世界にも裏技がある。それを堂々と使えるのが、我々司法書士の腕の見せどころだ。
シンドウのうっかりが鍵を開ける
書類を落として気づいたこと
帰り際、私は依頼人に渡すべき登記書類をうっかり落としてしまった。拾おうとして見えたのは、旧地番が記された手書きのメモだった。
そこに書かれていた地番が、現フェンス部分と一致していた。つまり、もともと地役権は現在の土地にも及んでいた可能性が極めて高い。私のうっかりが証拠を炙り出した。
サトウさんは「やるじゃないですか。偶然ですけど」と、塩味の効いた笑みを浮かべた。
結末 焼肉は冷めても正義は熱い
登記変更完了通知書の裏に書かれた一言
後日、地役権の更正登記が認められた。裏道は再び開放され、焼肉屋は平穏を取り戻した。登記完了通知書の裏には、サトウさんが小さく書いた言葉があった。
「焼肉は熱いうちにどうぞ」 きっと私が読むことを予想して書いたに違いない。
私は久々に二人分の焼肉を予約しようとしたが、サトウさんは「その日はカレーなんで」と断った。まあ、それも悪くない。