静けさが心をかき乱す夜がある
昼間は、目の前の書類と電話対応と来客対応で、息をつく暇もない。仕事中はむしろ一人になりたいと思うくらいです。でも、夜になって事務所を出て、コンビニで晩飯を買って、部屋に戻った瞬間、急に静けさが刺さってくる。テレビをつけても、音はしているのに何かが満たされない。そんなとき、ふと「ひとりの時間が怖い」と感じてしまうことがあります。歳を重ねるほど、その時間の静けさがただの静けさじゃなくなってきた気がします。
にぎやかな昼と、しんとした夜の落差
昼間は電話が鳴りっぱなしで、事務員からは「この書類、どこに提出しますか?」と声が飛ぶ。役所とのやりとりもあるし、クライアントの対応もある。つまり、人とつながっている感覚がずっと続いている。ところが夜、事務所を出た瞬間にそれがぷつんと途切れる。特に冬場なんかは、日が沈むのも早くて、気づけばあたりは真っ暗。騒がしかった一日が終わった安堵感と引き換えに、ぽっかりと胸に穴が開くような感覚がやってくる。
仕事の忙しさが紛らわせてくれているもの
正直、日中の忙しさには助けられていると思う。目の前のタスクに集中している間は、あれこれ考えずに済む。孤独とか、寂しさとか、将来の不安とか、そういうものが浮かんでくる余地がない。でもそれって、根本的な解決にはなっていない。むしろ、忙しさでごまかしているだけ。夜になると、それらが一気に押し寄せてくる。まるで日中は蓋をしていた感情たちが、深夜になって「忘れてないよな?」と問いかけてくるようです。
ふと時計の音が大きく感じるとき
誰もいない部屋で、ただ時計の秒針の音だけが響く。それが、やけにうるさく感じる瞬間があります。普通なら何でもない音なのに、なぜか胸がざわざわしてくる。テレビをつけても、スマホをいじっても、その音は消えない。むしろ静寂の中で、自分の孤独を強調するように響いてくる。こんな夜は、「もう誰かと話す気力もないけど、誰かにそばにいてほしい」と、矛盾した気持ちになるんです。
「ひとり」が好きだったはずなのに
若い頃は、ひとりの時間が好きでした。自由に本を読めるし、好きなときに好きなことができるし、何より誰にも気を使わずに済む。でも、今はちょっと違う。自分の好きなように時間を使っているはずなのに、どこか空しい。一人暮らしの部屋に帰っても、誰かが待っているわけでもなく、今日あったことを報告する相手もいない。気づいたら、YouTubeをつけっぱなしにして、無音が怖いからって理由で動画を流してる。そんな自分に気づくと、「ひとりの時間って、こんなに寂しかったっけ」と思うんです。
自分で選んだ自由が、いつの間にか孤独に変わる
独身でいることは、自分で選んだ結果です。誰に強制されたわけでもないし、結婚を否定しているわけでもない。でも、選んだはずの「自由」が、知らないうちに「孤独」に姿を変えていました。自由には責任がつきまとう。孤独には、それを支えてくれる人がいない。どちらも自分で選んだことだけど、その違いは思っていたよりも大きかった。今さら誰かに甘えることも難しいし、自分の選択に自信が持てなくなる夜もある。
気楽さの裏にある心細さ
気楽な一人暮らし。誰にも干渉されず、好きなものを食べ、好きな時間に寝て起きる。でも、その気楽さの裏には、心細さが常に付きまとっている。風邪をひいても看病してくれる人はいないし、仕事で落ち込んでも慰めてくれる人はいない。何でも自分で処理して、自分で立て直さないといけない。そう考えると、気楽さっていうのは、実はけっこう孤独と隣り合わせなんだと思います。
ひとりの時間を持て余す瞬間
「せっかくの休日なんだから、有意義に過ごそう」なんて思っても、結局、部屋の掃除をして、コンビニに行って、YouTubeを見て一日が終わる。何かしようとしても、やる気が出ない。やりたいことが思い浮かばない。誰かと過ごす時間が恋しくなる瞬間がある。SNSを開いても、友達の幸せそうな投稿を見ると、余計に自分が取り残されたような気持ちになる。ひとりの時間って、贅沢に見えるけど、実際にはなかなか手強い相手です。
司法書士という仕事が孤独を深める理由
司法書士という仕事は、一人で完結することが多い。クライアントとのやりとりはあるけれど、それ以外は基本的に自分の判断で動く。誰かと相談しながら進めるような仕事じゃない。しかも、責任はすべて自分にのしかかってくる。だから、うまくいかないときのダメージも全部ひとりで抱えるしかないんです。そういう積み重ねが、静かな夜にふと思い出されて、「やっぱりひとりってしんどいな」と感じさせるのかもしれません。
相談相手がいない日々の決断
毎日、大小さまざまな判断を求められます。でも、それを誰かと共有できるわけじゃない。事務員さんがいてくれるけれど、すべてを任せられるわけでもなく、最終的な決断は自分にかかっている。間違えたら、それは自分の責任。相談することで気持ちが楽になる場面もあるけれど、相談できる人がいないから、それができない。毎日少しずつ、孤独が積み上がっていくのを感じます。
間違えても誰にも弱音を吐けない
補正通知が届いたときや、クライアントとのやり取りで思いがけない問題が起きたとき、「やっちまったな」と思っても、それを誰かに吐き出す場所がない。「次は気をつけよう」と自分を納得させて終わらせるしかない。こういう小さな我慢や緊張が続くと、気づかないうちに心が疲弊していく。だからこそ、夜ひとりになったときに、それがどっと押し寄せてくるんです。
「先生」としての仮面が外せない
司法書士という職業上、「しっかりしている」「信頼できる」「知識が豊富」と思われがちです。それはもちろんありがたい。でも、その期待に応えようとしすぎて、どんどん自分の感情を押し殺してしまう。ミスをしても笑ってごまかして、辛くても平気なふりをして、誰にも迷惑をかけないようにして。そうして築いた「先生」としての仮面が、夜になると重くのしかかってくるんです。
ひとりの時間とどう向き合うか
「ひとりの時間が怖い」と感じるようになった自分に、最初は戸惑いました。でも、最近はその感情を否定しないようにしています。怖いものは怖い。寂しいものは寂しい。そのうえで、少しでもその時間を自分のために使えるようにしていく。まだまだうまくはいかないけれど、それでも少しずつ「ひとりの時間」を自分の味方にできるようになれたら、と思っています。
怖さを受け入れるという選択
昔は、「寂しいなんて情けない」と思っていました。でも、今はそう思いません。寂しいと感じること自体、人間らしいことです。誰かにそばにいてほしいと思うのは、弱さじゃなくて自然なこと。ひとりが怖いと思う自分を認めてあげることが、心を少し軽くしてくれるような気がします。受け入れたからといって寂しさが消えるわけじゃないけれど、それでも前に進める一歩にはなると思います。
「自分を整える時間」に変える努力
最近は、夜に日記を書いたり、ストレッチをしたりするようになりました。誰かと話せない分、自分と向き合う時間を大切にしようと思って。ひとりの時間が怖いのは、「何もない」から。でも、そこに小さな習慣を積み重ねていけば、「怖い時間」から「落ち着く時間」へと変わっていく気がします。自分を整える時間として、ひとりの時間と仲直りしていく。そんなふうに考えられるようになったのは、きっと年齢を重ねたからかもしれません。
同じようにがんばっている人へ
もしこの記事を読んで、「自分も同じだ」と思ってくれる人がいたら、少しだけ肩の力を抜いてほしいです。ひとりの時間が怖くなるのは、あなたがちゃんと人とつながりたいと思っている証拠です。強がらなくてもいい。誰かに頼ってもいい。そう思えるだけで、ほんの少し世界が優しく見えるかもしれません。
ひとりでも大丈夫だと思える日が来る
今は寂しくても、怖くても、そんな時間の中で少しずつ心が強くなっていく。ひとりでいることに慣れて、やがてひとりでも大丈夫だと思える日が来るはずです。そのときには、誰かと一緒にいる時間の価値も、もっと大切にできるようになっていると思います。だから今は、無理に元気になろうとしなくていい。ゆっくりでいいから、自分のペースで、ひとりの時間と向き合っていきましょう。
誰かに頼ってもいいと自分に言えるように
「ひとりで抱えなきゃ」と思い込んでいませんか? 僕自身、そう思い続けてきたけれど、それで余計に苦しくなっていたと感じています。だから今は、少しだけでも誰かに話す、少しだけでも頼る、そんな選択肢を自分に許すようにしています。ひとりが怖いときこそ、誰かとのつながりが必要なんです。たとえそれが短い会話や、SNSでのやりとりでも、十分に意味がある。そう信じて、また明日を迎えたいと思います。