ふと「やっててよかった」と思いたくなる瞬間
正直、毎日そんなふうに思えるわけじゃない。むしろ「なんでこの仕事を選んでしまったんだ」と思うことのほうが多い。けれど、年に数回、いや半年に一度でも、「ああ、この仕事をやっててよかったかもしれない」と感じることがある。それは誰かの役に立てたとき、心の底から感謝されたとき。報酬以上に、あの一言が胸に残る。そして、その一瞬のために、また明日もデスクに向かう。
依頼者の「ありがとう」が胸にしみる
相続の手続きを終えたおばあさんに、深々と頭を下げられた日があった。「これでやっと眠れる」と言われたとき、少し泣きそうになった。登記や書類の山の向こうには、こうして人生を背負った人たちがいる。普段は作業に追われて忘れがちだけど、人の人生に関わる仕事をしているんだと改めて思い出させられた。
孤独な仕事でも、感謝の言葉だけは嘘じゃない
日々、膨大な書類と向き合い、電話対応や登記申請に追われる孤独な仕事。でも、不思議と「ありがとう」の一言だけは、どれだけ疲れていても心にしみる。誰にも認められないことが多いこの仕事で、その言葉は唯一の救いだ。事務員には愚痴ばかりこぼしてるけど、心のどこかで、その「ありがとう」があるから続けられている気もする。
一つの登記が終わった後の静かな達成感
申請していた登記が無事完了したときの、あの静かな達成感。誰に見せるでもないが、自分の中で小さなガッツポーズをしてしまう。登記識別情報が発行された書類を見て「よし」とつぶやく。地味だけど、自分が社会の一部を動かしたという実感。そういう仕事はそう多くはないと思っている。
誰にも気づかれなくても、自分だけは知っている
この世界は「完了しました」で終わることがほとんどで、誰かに祝われたり拍手されることはまずない。でも、地味な手続きの裏には、調査や準備の努力が積み重なっている。誰かに見られなくても、自分だけは知っている。「今回は完璧にやった」と、自分だけが気づけること。それが心の支えだ。
だけど現実は厳しくて…
きれいごとだけじゃやっていけないのが司法書士の現実。とにかく忙しい。書類の山、電話、役所とのやりとり。クライアントの感情を受け止めながら、法的な整合性も保たなければならない。しかも、たった1人の事務員と二人三脚でやっているから、ミスもプレッシャーもすべて背中にのしかかってくる。
仕事は山積み、電話も鳴りっぱなし
朝9時には事務所に入り、すぐにメールとFAXを確認。その後はノンストップで登記書類作成、クライアント対応、電話応対、法務局への問い合わせ。気づいたら昼食を取る暇もなく夕方。せっかくの集中タイムも電話一本で遮られ、戻れない。1件の電話が他の予定をすべて狂わせる。それが日常だ。
やる気より先に疲れが来る日々
「やる気があればなんでもできる」なんて言葉、現場では通用しない。やる気より先に体と頭が限界を迎える。目も肩も腰も痛い。気力で乗り切れる時期はとうに過ぎた。時には「自分、なんでこんなに頑張ってるんだろう」と思う。けれど辞められないのは、たぶんもう“逃げる選択肢”がないからだと思う。
独立開業の重さと、誰にも頼れない現実
「自分の事務所を持つなんて立派ですね」と言われるたびに、心の中で「地獄だぞ」とつぶやく。すべての責任が自分にある。ミスは許されない。頼れる上司もいないし、泣き言を言える仲間も少ない。事務員さんには本当に助けられてるけど、それでも最後に背負うのは、自分ひとりの名前なのだ。
「事務員1人」という体制の脆さ
事務員が1人しかいないということは、その人が体調を崩したら、すべての業務が自分にのしかかる。実際、何度もひとりで全部回す羽目になった。外出しても、電話に出られない不安。パソコンが壊れた日には事務所ごと止まった。少人数運営の怖さは、経験した人にしかわからない。
それでも、この道を選んだ理由を振り返る
たまにふと立ち止まって考える。「自分はなぜ司法書士を選んだんだろう?」と。収入?安定?社会的地位?…正直、どれも思ってたほどではなかった。でも、きっとどこかに「人の役に立ちたい」という気持ちがあったはずだ。そうじゃないと、こんな大変な仕事を続けていられない。
昔の自分に問いかける「本当にこれでよかったのか?」
資格取得に向けて、机に向かい続けたあの頃。合格通知を手にしたあの感動。あのときの気持ちを思い出すと、今の自分に問いかけたくなる。「これでよかったか?」と。正解はないけれど、あの努力の日々は嘘じゃない。だから、今もなんとか踏ん張れているのかもしれない。
試験に合格した日のあの気持ちを、今も信じたい
あの日、郵便ポストを開けたときの胸の高鳴り。合格証書を手にした瞬間、涙が出た。嬉しくて、これで人生が変わると本気で思った。現実は厳しかったけれど、あの日の自分がいたから今がある。あの気持ちを裏切りたくない。だから、今日も仕事を終えた机の上にそっと手を置く。
他の道に進んでいたらどうだったか
もし別の道に進んでいたら、もっと楽だったかもしれない。モテて、結婚して、家族を持っていたかもしれない。でも、今より自分を誇れるかはわからない。司法書士という道を選んだからこそ、得られたものがある。それがたとえ孤独でも、自分で選んだ道なら、意味があるはずだ。
たとえモテなくても、この仕事しかなかったかもしれない
モテない人生に慣れて久しい。婚活アプリは開くだけでため息。だけど、もしモテてたら、この仕事には就いていなかったかもしれない。誰にも好かれない分、書類には誠実でいられるし、誰かの人生にはちゃんと向き合ってきた。人に選ばれなくても、仕事で選ばれてきた。それだけは、誇りに思いたい。
誰かの役に立っている実感が支えになる
日々の中でふとした瞬間、「自分は必要とされてる」と感じることがある。それがどんなに小さくても、支えになる。資格があるだけじゃ意味がない。実際に人と関わり、何かを解決して初めて、司法書士である意味が生まれるのだ。
財産の手続きを終えたときの安堵の顔
遺産分割や相続放棄の手続き。感情が絡む案件も多いけれど、手続きが完了してクライアントが見せる安堵の表情。それを見ると、報われた気になる。時間をかけて話を聞き、必要書類を揃えて、ようやく形になった成果。誰かの「これで安心できました」に救われる。
泣きそうになった依頼者と一緒に、こっちも泣きそうになる
ある日、相続で悩んでいた年配の女性が「これでやっと主人を送れます」と言って、涙ぐんだ。その瞬間、こちらも言葉が詰まった。法的な手続きなんて、感情の前では無力にも感じるけれど、それでも誰かの区切りを作れるのが司法書士の仕事なんだと思った。静かに肩を叩いて帰っていった背中が忘れられない。
司法書士じゃなきゃ味わえない苦しさと喜び
世の中には楽な仕事もある。華やかな職もある。でも、司法書士には他にはない“重さ”がある。ミスが許されないこと、常に勉強が必要なこと、そして、誰かの人生に関わるという責任。それは苦しみでもあり、喜びでもある。
正解がなくても、決断を下すのが仕事
マニュアル通りにいかない案件の連続。判例が曖昧なときもあれば、実務と理屈が噛み合わないときもある。それでも誰かが判断を下さなきゃいけない。決断するのは怖い。でも、逃げずに向き合ってきたからこそ、今の自分がいる。
自分の名前で責任を持つという重み
司法書士は“名前で仕事する”職業だ。どんな書類も、自分の名前で発行される。ミスすれば、信頼は一瞬で消える。それが怖いからこそ、毎回、丁寧にやる。プレッシャーは大きいけれど、それがあるから、仕事に本気になれる。
「よかった」と思える日は、きっとくる
今日がしんどくても、報われないように見えても、きっといつか「司法書士やっててよかった」と思える日が来ると信じたい。いや、そう思わなきゃやってられない。でも、そんな願いを抱えている自分が、案外いちばん真面目なのかもしれない。
報われるのは、誰かの言葉じゃなく、自分の中の感覚
誰かに褒められたくてこの仕事をしているわけじゃない。ましてや世間に認められたくてやってるわけでもない。ただ、「ちゃんとやれた」と思える瞬間が、自分の中での報酬。それがあるから、また一歩踏み出せる。
苦しみの先にしか、静かな誇りはない
派手な成功や大きな報酬なんて望んでいない。ただ、誰かの支えになれたという“静かな誇り”がほしい。それは、楽な道では決して得られない。苦しみ、迷い、踏ん張った先にしかない誇り。だから、今日も一歩、前に進む。