何時まで対応してますかが刺さる夜に思うこと

何時まで対応してますかが刺さる夜に思うこと

電話一本で崩れる予定表

今日は早めに上がってスーパーで安売りの弁当でも買って、録り溜めたドラマでも見よう。そう思っていた夕方五時過ぎ。机の上の書類を片づけながら、少しほっとしたその瞬間、鳴り響く電話。表示された番号を見ても、特に心当たりはない。「何時まで対応してますか?」という声。瞬間的に「今、大丈夫です」と答えてしまった自分を、電話を切った後に少しだけ責めたくなる。

せっかくの休みが音を立てて消えていく

この仕事をしていると、「予定は未定」とはよく言ったものだと思う。たとえ日曜でも、年末でも、誰かが「困っている」と言えば、断りづらい。とくに地方だと口コミでの依頼が多く、「感じの悪い対応をしたら悪評になるかも」という恐怖もある。だから、本当は予定していた昼寝すら放棄して、「ちょっとだけですから」と笑顔をつくる。

対応しないと次に繋がらないというプレッシャー

一度「忙しくて対応できません」と言ったら、次から連絡が来なくなるのではないか。そんな不安が、常に頭の片隅にある。実際、一度だけ忙しさに負けて「明日でもいいですか」と答えたら、「あ、じゃあ他で頼みます」と切られたことがある。それがずっと心に刺さってる。自分の時間を守ることが、仕事を失うことと直結している気がしてならない。

一人で回してるんでの呪い

事務員はいても、結局のところ対応するのは自分一人。登記の相談、書類作成、面談、そして電話応対。すべて自分がやらないと回らない。だから「一人でやってるんで」と言い訳しつつ、なんでも抱え込んでしまう。そして、その“言い訳”がいつしか呪いのように自分の首を締めているのに気づくのは、夜中になってからだ。

聞かれるたびに心が削れる魔法の言葉

「何時まで対応してますか?」——この問いは、一見ごく普通の確認のようでいて、心の奥にズシンとくる。まるで自分の生活に「隙間があるだろ?」と指を差されているような感覚。予定があってもなくても、その一言でこちらの都合は消えていく。自営業という立場が、こうも脆くて、弱いものだったのかと実感させられる。

何時まで対応してますかという言葉の重み

聞かれた瞬間、まず思い浮かぶのは「できるだけ断らないようにしよう」という反応だ。「夜はやめてます」と言えればいいが、「じゃあ他に頼みますね」と言われるのが怖い。あの一言には、単なる時間確認以上の意味がある。「どこまで無理をしてくれるのか」という試金石のように感じてしまう。自分を試されているようで、毎回少し傷つく。

丁寧に答えるほど自分が追い詰められる

「19時くらいまでなら対応できます」「それ以降でも可能な限り対応します」——そんな言い方をしてしまう自分がいる。優しさのつもりで言っているけれど、それは結局、自分の首を絞めるだけ。断る勇気がないから、期待に応えようとして、結果として限界を越える。そしてまた一つ、自分の自由が失われていく。

でも断ったら依頼が来なくなるかもしれない不安

これがいちばんの問題だ。「忙しいのでまた今度」と言える余裕がある司法書士は、きっとそれなりに余裕がある人だ。こちらは地方の個人事務所。依頼が減れば生活にも直結する。だからこそ、断ることが怖い。依頼者は次をすぐに探すし、対応の早さがそのまま信頼に繋がる。わかってはいるけど、そのサイクルがしんどい。

気づいたら自分の時間がなくなっていた

仕事に追われているうちに、気がつけば日が落ちている。結婚もしていないし、家に帰っても誰かが待っているわけでもないから、つい「まぁいっか」と思ってしまう。でも、それが積もり積もって、自分の人生そのものをすり減らしているような気がしてならない。誰のためにやってるのか、ふと分からなくなる瞬間がある。

仕事があるだけありがたいという気持ちの裏で

確かに、仕事があることはありがたい。このご時世、地方で安定して依頼をもらえるだけでも十分かもしれない。けれど、その「ありがたい」という気持ちが、自分を追い詰める原因になっていることも事実だ。「ありがたいから断っちゃダメ」「感謝されてるんだから我慢しよう」——そうしてどんどん無理が重なっていく。

働いても働いても終わらない感覚

書類は次から次へと届き、相談はいつも予定外に入る。締め切りに追われ、移動の合間に昼食をかきこみ、やっとの思いで帰ってきてもメールが山積み。まるで、どこまで走ってもゴールが見えないマラソンをしているようだ。元野球部だけど、こんなに持久力を試されるとは思わなかった。

元野球部でもそろそろ肩が上がらなくなってきた

若いころは無理がきいた。深夜まで働いても翌朝にはケロッとしていた。でも、最近は違う。肩が重い。目の奥が痛い。集中力も続かない。気合いではどうにもならない年齢になってきたと痛感している。それでも踏ん張ってしまうのは、性格か、意地か。たぶん両方だ。

本当はこう答えたいけど言えない現実

「何時まで対応してますか?」という問いに、「今日はもう終わりです」と答える勇気が、まだ自分にはない。そう言えたら楽だろうなと思いつつも、それができないのが、今の自分の限界なのだろう。理想と現実の狭間で、毎日揺れている。

対応時間は自分で決めていいはずなのに

本来、フリーランスの強みは「自分で決められる」ことのはずだ。それなのに、実際には依頼者に合わせ、周囲に合わせ、自分の都合はどんどん後回し。結局、会社員の頃よりも時間に縛られている気すらしてくる。自由とはなんだったのか、考え込んでしまう。

地方で生きる司法書士の弱み

地方では、一人ひとりの依頼者との関係が濃い。顔見知りが多く、「あそこの先生は親切だ」とか「冷たかった」といった声が、あっという間に広がる。だからこそ、無理してでも応じる。そんな小さな世界の中で、「自分らしく働く」というのは、なかなかに難しいことだ。

人柄で選ばれてしまうゆえの限界

士業というより、“人”で選ばれている実感がある。法律の知識や実務の経験も大事だが、それ以上に「話しやすい」「親切そう」という印象が大事。だから、断ることは「裏切り」につながるのではないかという不安が付きまとう。優しさと仕事のバランスは、想像以上に難しい。

それでも続けていく理由がどこかにある

こんな毎日でも、辞めようとは思わない。それはきっと、どこかに「誰かの役に立てている」という実感があるからだ。たまに届く「ありがとうございました」のひと言が、驚くほど心に沁みる。そんな瞬間があるから、また明日も「何時まで対応してますか?」に笑って答えるのかもしれない。

事務員の大丈夫ですかの一言で持ち直す夜

一緒に働いている事務員が、帰り際に「先生、大丈夫ですか?」と声をかけてくれた日がある。そのたった一言で、「あ、俺、疲れてたんだな」と気づかされて、なんだか泣きそうになった。支えてくれる人がいるというのは、本当にありがたいことだと実感する。

依頼者の感謝が心にしみる瞬間もある

依頼が完了した後、直接手紙や電話で感謝の言葉をもらうこともある。「先生に頼んでよかった」という言葉。それを聞いた瞬間、あぁ、やっててよかったなと心から思う。すぐに忘れてしまいがちな気持ちだけど、何度でも蘇ってくる。

そしてまた明日も何時まで対応してますかと聞かれる

そして、また明日も誰かに聞かれる。「何時まで対応してますか?」と。その度に少しだけ胸が痛むけれど、それでも笑って答える自分がいる。今日よりほんの少し、楽になれるように。誰かの不安を軽くできるように。そんな自分でありたいと、心のどこかで思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。