世間は今日も幸せらしい
朝起きてテレビをつけると、ニュース番組では芸能人の結婚報告、経済界の成功者インタビュー、そして話題のスイーツ特集。どこを見ても笑顔、笑顔、笑顔。まるで世の中全体が幸せで溢れているように思えてくる。でも、現実はそんなに単純じゃない。画面の向こう側にあるその幸せの光景と、自分の仕事部屋で一人机に向かっている俺の姿とが、あまりにもかけ離れていて、朝から軽くめまいがする。こんな気分、誰にでもあるものだろうか。
朝のニュースで見る笑顔のオンパレード
「人気俳優が電撃結婚」「新しいテーマパークに大行列」「若者が起業して年商1億円」——テレビの中では幸せが洪水のように押し寄せてくる。自分とはまるで別の世界に住んでいる人たちのように見える。その中で、俺はスーツのズボンにアイロンすらかけ忘れたまま、レンジで温めた昨日の味噌汁をすすっていた。あの笑顔の裏にどんな努力や苦悩があるのかなんて、たぶん報道されない。けれど、見ていると「なぜ俺には来ないんだろうな」という疑問が頭の中にふと浮かんで、じわじわと心が締めつけられる。
成功談ばかりが報道される現実
メディアというのは「成功」や「幸福」にフィルターをかけて、それを特別な物語として売っているように見える。地道に働いて、やっと少し報酬が上がったとか、日々クレームに耐えながら頑張っているとか、そういうリアルな生活にはスポットライトが当たらない。それを否定する気はないが、あまりにも「うまくいった話」ばかりが目に入ると、自分の歩みが止まっているように錯覚してしまう。
羨望よりも疲労が先にくる
昔は「すごいな」「俺も頑張ろう」と思っていた。でも今は違う。「ああ、またか」「こっちはまだ昨日の仕事も終わってないのに」と、ため息しか出ない。成功話に触れるたび、気力を削がれていく感じがする。羨望よりも、まず心に来るのは「疲れ」だ。これは歳のせいなのか、それとも責任の重さがそうさせるのか。とにかく、心から喜べなくなっている自分が、少し悲しい。
俺の今日の昼メシはコンビニのおにぎり
今日の昼もまた、近くのファミマで買ったツナマヨと昆布のおにぎり。温める時間すら惜しくて、机の上でサッと食べてすぐに電話対応。そんな毎日だ。ニュースでは有名人がミシュランの店でランチしてるって言ってたけど、俺はパソコンの前で、汁の染みた書類をよけながら海苔をかじっていた。なぜかその塩気が、やけに沁みる。
昼休憩なんて幻想に近い
「昼休みって本当に存在してるのか?」って思うくらい、電話もメールも途切れない。昔、サラリーマン時代はまだ昼に外食する余裕もあったが、開業してからはそんな時間がまるで都市伝説のようになった。タイミングを逃すと何も食べずに午後3時を迎えることもしばしば。食事が栄養補給ではなく、義務作業みたいに感じる日々。
カップ麺片手に登記簿とにらめっこ
ある日、あまりに忙しくて昼食はカップ麺。お湯を注いで3分経ったことに気づいたのは10分後。ぐちゃぐちゃになった麺をすすりながら、登記簿と格闘していた。そんな中、クライアントからの電話が鳴る。慌てて出たら、電話の向こうから「先生、お忙しいですか?」の一言。思わず「はい」と言いそうになるのをこらえて、「いえ、大丈夫ですよ」といつもの声で返す。この繰り返し。
誰にも気づかれない頑張り
司法書士の仕事って、外から見ると地味だし、目立たない。でも、細かい確認や書類の山に追われる毎日には、それなりの神経と責任が求められる。なのに、「楽そうですね」とか言われると、心が少し削れる。誰かに褒められたいわけじゃない。でもせめて、「大変ですね」と一言あるだけで救われることもある。そんなふうに、ちょっとした共感を欲している自分がいる。
ニュースの幸せと現場のしんどさ
テレビやネットで報じられる「幸せ」と、自分の職場で感じる「しんどさ」は、あまりに対照的だ。その落差に慣れてしまえばいいのかもしれないが、ふとした瞬間に心がついてこない。たとえば、依頼人から突然のキャンセルや、事務ミスでやり直しになったとき。その裏で「幸せそうな人たち」が笑っていると、現実逃避したくなる。
士業のリアルはキラキラしていない
士業って、肩書きだけ見ると「堅実」「安定」「かっこいい」なんて言われることがある。でも実際には、地味な作業とプレッシャーの連続。人の人生や財産に関わる分、間違いが許されない。だから神経もすり減るし、孤独にもなる。派手さはゼロ。でも、それを知っていて続けている同業者がいると、それだけでなんとなく救われる。
おめでとうございますよりお疲れさまが欲しい
この仕事をしていると、「先生のおかげで助かりました」と言われることもある。それは本当にうれしい。でもそれ以上に、何気なく「お疲れさまです」って言われるだけで、報われる気がすることもある。ニュースの「おめでとう」に囲まれた世界じゃなくて、「今日もやってるね」と声をかけてくれる誰かのほうが、ずっとありがたい。
同業者とすれ違うとホッとする理由
地元の法務局や役所で、顔なじみの司法書士とすれ違うと、ほんの一瞬でも安心する。挨拶だけの会話でも、「ああ、この人も戦ってるんだな」と思えて、なんとなく心が軽くなる。みんな言わないだけで、きっと同じように、疲れや不安を抱えてるんだろうな。そう思うと、自分だけが置いてけぼりじゃないと実感できる。
それでも見てしまうニュース
文句を言いながらも、結局テレビはつけてしまうし、SNSも見てしまう。幸せそうな人たちを見て、自分の現状と比べてはまた落ち込んだりして。そんな自分が嫌になる。でも、完全に遮断することもできない。もしかしたら、そのどこかに、自分にも関係する小さな希望が転がっているかもしれないから。
知らなくてもいいのに気になってしまう
芸能ニュースも、経済の成功者インタビューも、ほんとは自分には関係ない。でも、気づけば見てしまっている。そして、見た後に少しだけ虚しくなる。その繰り返しだ。自分の生活とはかけ離れた華やかな情報に、なぜこんなにも心が揺れるのか。たぶん、それだけ「現状に満足していない」ってことなのだろう。
誰かの幸せが自分を支えてる皮肉
それでも、人の幸せを見て「いいなあ」と思える自分がいるのも事実だ。少しの嫉妬と、少しの希望。それが心のどこかで支えになっているのかもしれない。「自分にも、いつか」と思えることが、生きるモチベーションになっている。だから、今日もまたニュースをつける。愚痴をこぼしながら、少しだけ前向きに。