午前中に終わるはずだった補正対応が終わらない日

午前中に終わるはずだった補正対応が終わらない日

時間を見誤るという日常的な過ち

午前中にちゃちゃっと終わらせて、午後からは別の案件に集中しよう——そんなつもりで始めた補正対応が、気がつけば夕方になっていた。こんな日は年に数回…と言いたいところだが、実際は月に何度もある。見通しが甘いのか、運が悪いのか。いや、たぶん両方だ。依頼者には「今日中には済みます」と言ってしまった手前、気持ちは焦るばかり。補正なんて、サッと出し直せば済むと思ってた自分に、朝の時点で説教したいくらいだ。

予定では11時には終わっていた

あの朝は、「これは楽勝だな」と思っていた。補正内容も簡単そうに見えたし、何より他の予定が詰まっていたから、どうしても午前中に終わらせたかった。おにぎり片手にコーヒーを啜りながら、片手間で処理するような気分だった。だが、それが慢心だったのかもしれない。司法書士の仕事に“簡単”なんてものは存在しない。簡単に見えた内容ほど、後からひっかかる。過去に何度も学んだはずなのに、どうしてもその教訓が定着しないのが情けない。

軽い気持ちで始めた書類の修正

最初に目を通した瞬間、「あぁ、この住所表記を直せば終わりだな」と思った。でも、登記官の言う「ここを直してください」には、だいたい“見えない裏”がある。法務局独自のルール、微妙な様式の違い、過去の添付書類との整合性。気づけば「これも直さないと」「あれも確認が必要か」と芋づる式に広がっていく。自分では修正したつもりなのに、送信後にすぐ差し戻しされる虚しさは、慣れることがない。

登記官からの指摘は「ちょっとしたこと」だったはず

補正の電話があったとき、登記官はこう言った。「少し気になった点があったので、軽く確認させてください」。その“軽く”の一言に、完全に油断した。でも司法書士あるあるだが、軽くと言われた修正ほど、根が深い。「ここだけ直せば大丈夫ですから」と言われたにもかかわらず、別の資料を確認しているうちに、他にもズレが出てくる。まるでワンパンで倒せると思った雑魚敵が、急に第二形態になるゲームみたいだ。

午前中どころか昼を越えても終わらない

昼過ぎには、すでに「これは今日中に終わらせられるか?」という疑念が芽生えていた。11時どころか13時になっても終わらない。それどころか、確認すべき書類が増えていく。依頼者への確認も必要になり、電話をかけるも出ない。資料を見直しているうちに、前の担当司法書士の記載ミスまで見つかる始末。気が付けば「自分のせいじゃない補正」にも対応せざるを得なくなっていた。

新たな書類が必要になった瞬間の絶望

「印鑑証明書の期限が切れてるかもしれない」――それに気づいたとき、全身から力が抜けた。午前中どころの話じゃない。これ、今日中に終わらないやつだ、と確信した瞬間だった。そこからは、時間との戦いではなく、諦めとの戦いに変わった。「今から取り寄せても明日以降だな…」と思いながら、依頼者に状況を説明する文章をひたすら考える時間が始まる。

依頼者に連絡する手間と気まずさ

正直、この連絡が一番気が重い。「午前中に終わるって言ってたのに、どういうこと?」と思われるのが怖い。でも、事実は事実。「書類の期限が過ぎていたため、再度ご準備をお願いすることになります」と丁寧に、でもなるべく冷たく聞こえないように説明する。相手が怒ることはあまりないけど、自分の中で「信用を少し失った」気がして、それが一番堪える。

補正対応がもたらす精神的消耗

補正は、技術的に難しいことは少ない。でも精神的にはしんどい。自分のミスであれ、他人のミスであれ、「直す」という作業は前向きにはなりにくい。時間が押す、予定が狂う、気持ちが沈む。しかも誰も褒めてくれない。達成感もほとんどない。ただ、「ああ、やっと終わった」と思うだけ。だからこそ、補正は疲れる。静かに、じわじわと、心を削ってくる。

何度やっても「これで完了」にならない

一度送ったら終わり、という補正は稀だ。だいたい一回、二回と差し戻される。理由も曖昧で、「もうちょっと丁寧に書いてください」とか、「備考欄に補足してください」とか。じゃあ最初からそう言ってよ、と思うけど、登記官も人間だから仕方ない。とはいえ、終わったと思っていた仕事が再度返ってくるのは精神的にかなりの打撃だ。毎回、「もう許してくれ」と心の中で叫んでいる。

提出→差し戻し→再提出のループ

書類提出、差し戻し、再提出。このループに入ると、どこで終わるか見えなくなる。事務員にも「また戻ってきました」と報告するのが気まずい。毎回「どうして?」と聞かれるのも地味に辛い。全部説明するのも面倒だし、自分でも説明しきれない部分が多いからだ。再提出のたびに、心のどこかで「これが最後」と思う。でも、そうはいかないことの方が多い。

同じことの繰り返しに耐えるしかない

補正の本質って、たぶん“忍耐”なんだと思う。新しい知識も得られないし、スキルが上がる感覚もない。ただひたすらに、同じような作業を繰り返す。地味で、報われなくて、でもやらなきゃいけない。たぶん、この積み重ねが司法書士という職業の“陰の部分”なんだろう。誰にも見えないところで、日々こっそり消耗している。

午後に食い込んだことで崩れる予定

午前中で終わる予定だった補正が午後にずれ込むと、それだけで1日全体が崩壊する。午後から予定していた面談、書類の作成、問い合わせ対応…すべてに影響が出る。しかも、なぜかこういう日に限って、他の案件も立て込んでいたりする。昼食を抜いて対応しても、空腹感よりも「なんで俺がこんな目に」という思いのほうが強い。

午後イチの面談を慌ててリスケ

「午後13時からの面談、大丈夫ですか?」と聞かれて、「あっ、ちょっと今日無理です…」と答えるときの罪悪感。依頼者のスケジュールもあるし、本当は動かしたくない。でも、補正対応は待ってくれない。電話で謝り、日程を再調整し、相手に気を遣わせる自分に自己嫌悪。この仕事、ほんとスケジュール通りにいかないことが多すぎる。

電話一本が気まずくて仕方ない

「リスケのお願い」って、たった一本の電話でも、やたら気疲れする。相手が優しい人だと余計に罪悪感が湧いてくる。「大丈夫ですよ」と言われると、それが逆に辛い。むしろ怒ってくれた方が気が楽かもしれない。こういうとき、なぜか“人に優しくされると申し訳なくなる病”が発症する。結局、自分で自分を追い詰めてるだけなのかもしれない。

「忙しいですね」と言われるたびに心がざわつく

「司法書士さんって本当に忙しいんですね」と言われるたび、どこか胸がざわつく。「忙しい=できない」っていう言い訳に聞こえるんじゃないか、という恐怖。たしかに忙しいけど、もっと段取り良くできてたら…という後悔もある。でも、そんな余裕があったら、そもそもこんな補正で一日潰してない。いつからこんな綱渡りの仕事スタイルになったんだろう。

それでもなんとか終わらせるために

どれだけ気持ちが折れかけても、最終的には「やるしかない」という結論に行き着く。補正対応が終わらなければ、登記は進まないし、依頼者にも迷惑がかかる。愚痴を言いながらも、なんとか一歩ずつ進めていく。終わったときの達成感なんてないけれど、それでも「今日も一つ終わった」と自分に言い聞かせて、また次の案件に向かう。

集中力の限界を超えて書類と向き合う

目はショボショボ、肩はガチガチ。それでも画面の文字を追い続ける。誤字脱字がないか、日付が合ってるか、根拠条文は正しいか。誰も見てないけど、自分が見ている。最後のチェックを終えて、ようやく提出ボタンを押すとき、今日一番の深いため息が出る。やっと、終わった。たぶん。

「この仕事向いてないかも」と思いながら

ふとした瞬間に、「俺、なんでこの仕事やってるんだろうな」と思う。でも、ここまで続けてきた。もう今さら他の仕事なんて考えられない。文句ばかり言ってるけど、たぶん根っこではこの仕事が好きなんだと思う。野球部時代もそうだった。しんどい練習ばっかりなのに、辞めたいとは思わなかった。好きとか嫌いとかじゃなく、「やるしかない」って思ってた。

でも終わればやっぱり少しだけほっとする

一日の終わりに、補正が無事に通ったことを確認する瞬間。「これで良かったんだ」と思えるその一瞬だけは、ちょっとだけ報われた気になる。誰にも褒められないけど、自分で自分を少しだけ認める。今日もなんとかやり切った。そんな小さな積み重ねが、たぶんこの仕事を続ける原動力なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。