人付き合いがしんどいと感じる瞬間
登記の仕事は黙々と書類を整えていればいい、そう思われがちですが、実際には人間関係の方が何倍もしんどいのが現実です。クライアント、事務員、同業者、役所の職員――一日が終わるころには、書類よりも人とのやり取りで疲れていることに気づきます。特に私は気を遣いすぎる性格なので、誰かの一言が何時間も心に刺さったまま残ることがあります。優しさが仇になるってこういうことなんでしょうね。
登記の知識では解決できない現場の空気
どれだけ登記法を理解していても、それだけではどうにもならない「現場の空気」があるのがこの仕事のやっかいなところです。たとえば相続登記で依頼人の兄弟姉妹が顔を合わせる場面。こちらは法律通りに進めるだけのはずなのに、妙な沈黙が流れたり、険悪なムードになったり。下手な言葉を挟めば火に油、かといって無言で進めるのも不自然。ああ、この空気、資格試験では出てこなかったやつだな…と心の中で嘆くことが何度もあります。
お客様は神様ではないけれど
昭和的な言い方ですが、いまだに「こっちは客だぞ」という態度の方がちらほらいます。すべての依頼者がそうではありませんが、たまにいるんです、上から目線の人。こちらが丁寧に説明しても「そんなの当たり前でしょ」と返されたり、「もっと早くやってよ」と言われたり。心の中では「こっちも人間なんですけど」と叫びたくなります。でも言えないんですよね。たぶん私が独身で、気弱で、体育会系だったのが災いしてるんだと思います。
気を遣いすぎて心がすり減る日々
もともと人の顔色を伺いながら生きてきたせいか、依頼者のちょっとした表情の変化にも神経をとがらせてしまいます。「今の言い方、まずかったかな」と帰宅後に何度も反芻して、気づけば眠れない。事務所の中でも、事務員さんが不機嫌そうだと「自分が何かしたのかも」と気になってしまう。気を遣うことは悪いことじゃないんですが、度を超えると自分の心が削られていくんですよね。
電話一本に悩まされる朝
ある朝、コーヒーを入れながらふと携帯を見たら、留守電が2件。「ちょっと相談が…」の声に、もう嫌な予感しかしません。内容は大したことじゃなくても、対応を間違えたら信頼を失う。たった一本の電話で、その日のテンションがガタ落ちになること、司法書士あるあるだと思います。登記の知識以上に、瞬時の判断力や言葉選びが求められるんですよね。
「ちょっとだけ聞きたい」に隠れた地雷
「すみません、ちょっとだけ聞きたいんですけど」――このフレーズ、怖いです。だいたい「ちょっと」じゃ済まないし、聞かれた内容がどこまで責任を伴うのか判断がつきにくい。答え方を一歩間違えると、「あのとき司法書士がそう言った」と後から言われかねない。電話での何気ない会話でも、頭はフル回転です。もう、気軽に話すってどうやるんだっけって感じです。
時間泥棒の対処法を考える
「ちょっとだけ」と言われて30分話し込まれる、そんな電話が日に何本もあると、本当に予定が崩れます。でも冷たく切るのもできない性格で、結局ズルズルと。最近はタイマーをつけて「すみません、10分だけで…」と先に伝えるようにしていますが、それでも結局オーバーしがちです。誰か「やんわり断る力」を養う方法を教えてくれませんか。
事務所の人間関係も一筋縄ではいかない
登記は正確性とスピードの勝負。でも、事務所内の空気が悪いと、すべてが崩れていくことがあります。特に小規模事務所だと、人間関係が「運命共同体」になりがちです。雇った事務員さんとの関係がうまくいかないと、心身ともに疲弊していくのがよく分かります。
ひとり雇ったはずが、ひとりじゃなかった
事務員さんを一人雇ってから、事務所の空気はがらりと変わりました。良い意味でも悪い意味でも。最初は「誰かがいてくれるって心強い」と思っていたのですが、だんだん「この人のご機嫌をうかがいながら仕事する」という別の負荷が生まれました。雇うって、思った以上に覚悟がいることなんですね。
事務員さんとの距離感が難しい
仕事仲間であり、部下であり、でも人として大切にしたい存在。そんな風に考えるからこそ、距離の取り方が難しくなります。プライベートに踏み込んでいいのか、何をどこまで伝えるべきか。私のような人付き合いが苦手なタイプには、このバランスがとても難しい。仲良くなりすぎてもダメ、壁を作りすぎてもギクシャクする。人間関係の方程式、誰か解いてください。
優しさが仇になることもある
「優しいですね」と言われることがありますが、それが裏目に出ることもあります。たとえば注意したい場面で、遠回しに言いすぎて伝わらなかったり、相手に気を遣って本音を言えなかったり。結局、自分が我慢して終わる。元野球部で上下関係には慣れているはずなのに、職場ではうまくコントロールできない。たぶん、監督のような怖さが自分にはまったくないせいでしょうね。
司法書士という肩書きが邪魔をする
司法書士という肩書きがあることで、逆に「人」として見てもらえない瞬間があります。先生、士業、専門家――それらの言葉が、妙な壁を作ってしまうんですよね。こちらは一人の人間として接したいだけなのに。
「先生」という言葉に込められた距離
「先生」と呼ばれると、たしかに少しだけ誇らしい気持ちもあります。でも同時に、その言葉がもたらす「距離」がつらく感じることもあります。人としての弱さや悩みを吐き出せる関係を築きにくくなるんですよね。特に私は愚痴が多い方なので、「先生っぽくない」と言われることもしばしば。でも、そもそも“っぽさ”ってなんなんでしょうか。
舐められるのも、持ち上げられるのも辛い
「士業は偉い」と思っている人もいれば、「どうせ書類屋だろ」と見下してくる人もいます。その中間が少ないんですよね。どちらにしても、対等に向き合ってもらえないのは疲れます。結局、「人としてどう接するか」に尽きると思うのですが、こっちの態度だけでは限界がある。優しさも正義も、うまく機能しないときはあります。
元野球部の上下関係が役に立たない
高校時代は、上級生には絶対服従、後輩には厳しく、という世界にいました。でも今は、「上下」ではなく「信頼関係」で成り立つ仕事。あの頃の「気合いと根性」ではどうにもならない現実を、日々痛感しています。むしろ、当時の体育会系ノリが今の場面で浮いてしまうことさえあります。人付き合いに必要なのは、筋トレじゃなかった。
本音が言えない仕事だからこそ
この仕事、誰かに本音をさらけ出すのが本当に難しいです。お客様には弱みを見せられないし、同業者とはライバルでもある。そんな中で孤独感を感じることは、たぶん私だけじゃないはずです。
モテないことが寂しいわけではない
結婚もせず、彼女もいない。そんな自分を「寂しい」と思うこともありますが、本当に欲しいのは恋人というよりも、「わかってくれる誰か」なのかもしれません。仕事の愚痴を言っても否定せず、ただ聞いてくれる存在がいれば、それだけで明日も頑張れる。人はやっぱり、独りでは戦えないんですよね。
心を許せる人がひとりでもいれば
先日、昔の同級生と久しぶりに飲みに行きました。仕事も全然違うのに、不思議と話が通じる。その夜は、久々にぐっすり眠れました。やっぱり、人って「誰と繋がっているか」が心の安定に直結してる気がします。毎日が戦場のような日々でも、心の避難所がひとつあるだけで変わるんですよね。
愚痴をこぼせる場が欲しい
本当はこうして、誰かに愚痴をこぼせる場所がもっとあればと思います。SNSは炎上が怖いし、同業の集まりでは建前が多い。だったら自分で作ってしまおう――そんな思いで、こうしてコラムを書いています。これを読んで「わかる」と思ってくれる誰かがいれば、それだけで少し救われる気がします。
独り言の延長にある希望
これはきっと、独り言のような文章です。でも、誰かに届く独り言なら、それは立派な「発信」になると思うんです。誰にも言えないことを、少しだけ吐き出して、また明日も書類と人と向き合う日々。そんな自分を、少しでも誇れるように。これからも、続けていこうと思います。