登記と妄想でなんとか一日保たせる
忙しさに紛れて妄想だけが癒やし
司法書士という職業は、見た目には堅実で静かな仕事に見えるかもしれない。でも実際は、地味で繊細で、何よりも神経をすり減らす毎日だ。朝から晩まで数字と文字の世界に没頭していると、どこか自分が機械になったような感覚すらしてくる。そんなとき、僕を救ってくれるのが“妄想”だ。現実逃避かもしれない。でも、このささやかな逃げ道がなければ、心がもたない。例えば、急に「もし今すぐ宝くじが当たったら」とか、「実は隠された才能が開花して小説家デビューしてたら」なんて考えてしまう。書類の間違いには直結しないように気をつけてはいるが……。
午前中は現実 世界一地味な書類との闘い
午前中はたいてい、現実と真っ向勝負。依頼者の登記申請書を作成し、法務局とのやり取りを頭に思い浮かべながら、ひとつひとつチェックしていく。まるで地味なパズルのような作業だ。特に相続登記のときなんかは、戸籍を読み解きながらまるで家系探偵のような気分になる。でもこちらの苦労をわかってくれる人は少ない。完成した書類を依頼人に渡したとき、「ああ、これで終わりですか」と言われた時のあの虚無感。いや、それで終わりじゃないんだよ、本当は。ここに来るまでがどれだけ地道で神経質な作業だったか、わかってほしいなんて思っても仕方ないけれど、思ってしまう自分がいる。
登記簿と向き合いながら考えていた別の人生
登記簿とにらめっこしながら、ふと「もし違う人生を歩んでいたら」と妄想することがある。元野球部だった僕は、学生時代にはプロを目指していた時期もあった。夢は夢のまま終わったが、もしあのとき違う選択をしていたら……と、妄想は広がる。たとえば今ごろ、グラウンドの土の匂いを嗅ぎながら、後輩たちに熱血指導していたかもしれない。いや、もしかしたらトレーナーや野球解説者としてスポットライトを浴びていたかも、なんて想像すると少し笑えてくる。現実は無音の事務所。キーボードの音だけが響く中、そんな妄想が妙にリアルに思えてくるのだ。
メジャーリーガーになっていたかもしれない俺
極端な話だが、時折「もし僕がメジャーリーガーになっていたら」なんて妄想もする。球場のスタンドから歓声が上がり、背番号6の僕がホームランを打ってヒーローインタビューを受けている……。そんな非現実的な世界が、なぜか登記簿の合間に浮かんでくるのが不思議だ。現実には、法務局からの補正通知に震え、事務所のエアコンの効き具合に文句を言ってる僕がいる。でも、この“ありえない妄想”こそが、僕のメンタルをぎりぎり保ってくれているのだと思う。夢を見るのは自由だ。だから今日も登記と妄想、二本立てで頑張っている。
事務員との会話は貴重な社会との接点
僕の事務所には、事務員の女性がひとりいる。彼女は真面目で几帳面、そして何より“絶妙に冷静”だ。僕がうっかり声に出して妄想の一端を話してしまっても、「はあ…」とだけ返して、次の書類に目を通している。でもそんな塩対応すら、今の僕にとっては社会との接点なのだ。家に帰れば誰もいないし、SNSなんて気力がなくて開く気にもなれない。せめて一日数回でも、誰かと会話ができるという事実が、自分が“社会の中にいる”感覚をかろうじて保ってくれている。
彼女の一言が意外と心に刺さる
たまに、彼女がふと口にする一言が、胸に刺さることがある。「先生、それたぶん疲れてますよ」とか、「この間のミス、ちょっと心配でした」とか。注意でも、批判でもないその言い方が、逆に響く。自分がちゃんと“見られている”という事実は、不思議と安心感をくれるものだ。彼女の存在がなければ、僕の登記人生はもっと味気なかっただろう。いや、今でも十分味気ないんだけど、それでも誰かと共有できる日常があるだけで、まったく違う。
愚痴も笑って流してくれる存在に救われる
僕はとにかく愚痴が多い。「また補正かよ…」「法務局の書式変わりすぎじゃない?」そんな小言をこぼすたび、彼女は笑って「また始まった」と返してくれる。それだけで、どこか安心する自分がいる。たぶん彼女にとっては“日常のノイズ”みたいなものなのだろうが、それでも誰かが受け止めてくれるというだけで、心は少し軽くなる。ありがたい存在だと、たまにこっそり思う。でも、面と向かっては言えない。
でも僕の恋愛相談は最後までスルーされる
一度だけ、軽いノリで「最近モテないんですよね」と言ったら、彼女は書類から顔も上げずに「でしょうね」と一言。その潔さに逆に感心した。僕は恋愛にも自信がない。誰かと食事に行くこともなければ、告白なんて遠い昔の話。仕事を通して、誰かとの絆を感じたいと思うのは、少し甘えなのだろうか。そんなことを思いながら、今日も登記簿と向き合う。妄想の中では、誰かが僕を必要としてくれているのに。
それでも明日も登記と妄想の繰り返し
ここまで書いていて、自分でも驚くほど“現実と空想のあいだ”で生きていることに気づく。でも、それが僕の生き方だ。登記という現実に向き合いながら、妄想という逃げ道で自分を保っている。誰にも迷惑をかけずに、自分なりに毎日をこなしている。それだけでも、少しは誇っていいのかもしれない。いつか、妄想じゃない誰かが、僕のそばにいてくれたらとも願うけれど、今はこの生活が僕にとっての“バランス”なのだ。
この生活に意味があるとしたら
もしこの生活に意味があるとしたら、それは誰かの不安を登記によって支えていることだと思う。書類一枚で人生が変わることもある。そんな重みを背負っている以上、責任は大きい。でも、それが仕事だ。誰かの人生の安心を支える立場にあるからこそ、自分の生活が単調であっても価値がある。そう信じて、今日もまた登記と妄想の世界を行ったり来たりしている。
誰かの安心の土台を支えている実感
「先生に頼んでよかったです」たったその一言のために、何十時間も書類に向き合う。その繰り返しだ。でもその言葉を聞いた瞬間、少しだけ胸が熱くなる。依頼者にはわからないかもしれないが、僕たち司法書士は陰で支える存在だ。その支えがなければ、不安が増す人生の節目に、人はもっと迷ってしまう。僕の存在が、少しでもその“支え”になれているのなら、この地味な日々も無駄じゃないと思える。
そして妄想が僕を壊さずに保ってくれる
真面目にやればやるほど、壊れそうになる仕事だ。でも、妄想のおかげで、僕はバランスを取れている。別に夢を追っているわけじゃない。ただ、自分の心を守るための、ささやかな逃げ道。それがあるから、また明日も登記簿を開ける。登記と妄想。ふたつでなんとか、一日を保たせる。それが今の僕のリアルで、少し笑える生き様だ。