あとでねと言われたまま時が止まったLINE

あとでねと言われたまま時が止まったLINE

忘れたふりをしても気になってしまう一言

「あとでね」と送られたLINEが、ずっと通知の下の方に埋もれている。それを見てしまうと、どうにも気になってしまう。忘れたつもりで仕事に没頭していても、ふとした瞬間に思い出してしまう。あの一言の「あとで」が、まだ来ていない。もう半年以上経ってる。時間が止まっているのは画面の中だけじゃなく、たぶん自分の中でも止まってるのかもしれない。くだらないと思いながら、気にしている自分が一番くだらない気がする。

仕事中にふとよぎる既読スルーの画面

お昼の一息のとき、ふとスマホを手に取る。そして無意識にあのLINEを開いてしまう。返信はないのに、既読の文字だけが虚しくそこにある。「あとでね」って便利な言葉だ。忙しいふりも、距離を置くときも、優しさに見せかけて断絶をにじませることができる。こっちはその言葉を信じてしまう。「きっと今は手が離せないだけだろう」と。でも、夜になっても次の日になっても、何も返ってこないままだ。

あのときの「あとでね」は社交辞令だったのか

送られてきた文面に悪意はなかったと思う。たぶん、優しさなんだ。すぐに「もう連絡しないで」と言わないだけ、まだやさしい。そんなふうに受け止めて、自分を納得させようとしている。でも、それが社交辞令だったとしたら、それを真に受けて何ヶ月も待ってる自分はなんなんだろう。こっちも大人だ、そろそろ気づかなきゃいけない。でもね、「もしかしたら」という希望は、簡単には消えないんだ。

割り切ったつもりでも未読はしない臆病さ

通知を切ることも、ブロックすることも、未読のまま放っておくこともできる。でもできない。割り切ったつもりでも、心のどこかでまた何か返ってくるのを待っている。たとえスタンプひとつでも、誤送信でも。それがあれば、この重い気持ちから少しは逃れられる気がする。自分から送る勇気もないまま、画面だけが静かに時を止めている。

孤独と忙しさは似ているようで違う

「忙しいから仕方ない」と、自分に言い聞かせてはみるけれど、それは言い訳だ。たしかに日々の業務は山積みだし、書類は待ってくれない。でも、その忙しさに紛れて忘れることができるほど、簡単な話じゃない。孤独と忙しさは別物だ。どれだけ仕事に追われていても、ふとした瞬間にぽっかりと空く穴がある。その穴には、何も埋まらない。

ひたすらに追われる日々が心を鈍らせる

朝一番に法務局へ行って、午後はお客さんとの打ち合わせ、帰ってきてからは登記の確認。そんな毎日を送っていると、自分の気持ちの処理なんて後回しになる。でも、それが習慣になると、だんだんと感情の出し方がわからなくなってくる。鈍っていく感覚の中で、LINEひとつに揺さぶられる自分が情けないやら、愛おしいやら。

たった一通のLINEが心をざわつかせる理由

あの「あとでね」は、たった一言だった。でも、その裏に勝手に意味を見出して、勝手に期待して、勝手に傷ついている。まるで自分だけが会話を続けているような錯覚。だけど、LINEってそういうものだ。送り手と受け手の温度差が、まざまざと見えてしまうツール。見なきゃよかった、送らなきゃよかった、そう思っても、気づいたときにはもう遅い。

それでも仕事だけは裏切らない

唯一、裏切らないのが仕事だ。書類は黙って待ってくれるし、登記は出せば受け取ってくれる。数字は正確だし、期限も決まってる。人と違って、無視もしないし既読スルーもしない。だからこそ、自分は司法書士を続けているのかもしれない。少なくとも、自分の努力が確実に形になる世界がそこにはある。

期待した自分が悪いと思う夜

夜、風呂から上がってスマホを手にする。またあの画面を見てしまう。「あとでね」の文字。その下に、返信はない。ああ、自分がバカだった。期待するから傷つく。わかっていたはずなのに。それでも、「あのときちょっとでも返信があれば」と思ってしまう。何度こういう夜を繰り返してきただろう。

返信がないのは自分に価値がないからなのか

こんなに仕事も頑張ってるのに、なぜ誰にも必要とされないんだろう。こんなに気遣ってメッセージを送ったのに、なぜ返事がこないんだろう。そう考えてしまうと、まるで自分に価値がないような気がしてくる。人に必要とされないって、こんなにも苦しいものなのかと、あらためて知った。

もしかして既にブロックされているのかも

確認はしていない。するのが怖いから。LINEの仕様でブロックされていても、こちらからは見えない。でも、返信がない時間が長くなると、つい悪い想像ばかりしてしまう。だったらいっそ、はっきり拒絶してくれた方がマシなのに。曖昧な優しさは、余計に苦しい。

司法書士という孤独な肩書き

司法書士という肩書きは、世間的にはしっかりしているように見られる。でも実際は、孤独な仕事だ。基本的には一人で判断し、一人で責任を背負う。顧客の人生には関わるけれど、自分の人生には誰も踏み込んでこない。名刺には立派な肩書きがあるのに、プライベートは空っぽだ。

人の人生の節目に関わるのに自分は取り残されている

結婚、相続、不動産登記…誰かの人生の節目には必ず立ち会う。でも、自分の人生の節目はどこにもない。人の幸せの記録を整えるたびに、自分の空白がくっきりと浮かび上がる。人の幸せを支えながら、自分はずっと独身のまま、事務所にこもっている。

「先生」と呼ばれてもプライベートはからっぽ

「先生、ありがとうございます」って感謝されるたびに、なんとなく申し訳ない気持ちになる。そんな立派な人間じゃないし、誰かの役に立ってる実感も薄い。帰っても誰も待ってない部屋で、冷えたご飯を食べて、一人で眠るだけ。そんな自分が、「先生」と呼ばれていることに違和感すら感じてしまう。

元野球部のくせに打たれ弱い

高校の頃はキャッチャーで、どんなボールでも止めてたのに。今はたった一言の既読スルーにすら耐えられない。あの頃は、根性がすべてだと思っていた。でも、大人になると根性では乗り越えられないものがある。それが、感情だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。