自分を好きになれないまま大人になった男の話

自分を好きになれないまま大人になった男の話

誰にも言えないけど 自分が嫌いなまま生きている

気づいたらもう45歳だ。司法書士として独立して10年以上になるけど、いまだに「自分が好き」とは言えない。何がダメってわけでもないけど、どこかいつも足りない気がしていて、心のどこかに「お前なんか」という声が住み着いている。人から見れば「堅実な職業」と言われるし、事務所もなんとか回ってる。でも、自分の中ではずっと何かが欠けたままだ。ふと一人になった瞬間、その空洞のような気持ちが顔を出す。そんな自分を誰にも言えないまま、今日も仕事してる。

「好きになれなかった」ってだけで 何かが足りない気がして

自己肯定感って言葉を最近よく耳にするけど、そんなもん、俺の中には最初から存在してなかったんじゃないかと思う。何をやっても「まあまあ」だし、人より秀でたことなんてなかった。司法書士になったのも、「手に職があればなんとか食えるだろう」という現実的な選択でしかなかった。だからなのか、何かを達成しても「それで?」という気持ちがつきまとう。成功しても、自分の価値が上がるわけじゃない。結局、自分を好きになれなきゃ、どんな肩書きも空虚なんだと思い知らされる。

子どものころの違和感 誰かと比べ続けた日々

小学生の頃からずっと「誰かと比べてばかり」だった。成績がいいやつ、スポーツができるやつ、友達が多いやつ。自分には何ひとつ誇れるものがなくて、親の期待にも応えられず、「なんでこんなにダメなんだろう」と悩んでいた。親戚の集まりで「〇〇くんはすごいね」と言われるたびに、自分がちっぽけに感じた。あの頃からずっと、自分を“その他大勢”だと思い込んで生きてきた。その根っこは、大人になった今も残ったままだ。

元野球部だった僕が感じていた孤独と劣等感

高校時代は野球部だった。ポジションはベンチだったけど、練習は人一倍やっていたと思う。それでもレギュラーにはなれなかったし、試合で活躍することもなかった。周りの仲間たちは輝いていて、打った瞬間に拍手が起きる。俺はその拍手を遠くから見ていた側だった。ユニフォームを着ていても、心はずっと観客席だった気がする。努力しても報われないことってあるんだな、という諦めが、あの頃の僕に根を下ろした。その感覚は、今も変わらず胸に居座っている。

司法書士になっても 自信が持てなかった

「司法書士になったら、さすがに何か変わるかも」なんて思っていたけど、甘かった。資格を取った瞬間も、合格通知を見ても、心が震えることはなかった。「へえ、やったじゃん」と誰かが他人事みたいに言うような、そんな感覚だった。周囲からは「すごいね」と言われるけど、自分自身はその言葉を素直に受け取れなかった。どこかで、「俺なんかが司法書士やってていいのか」という思いが離れなかった。自信って、紙一枚じゃ手に入らない。

資格を取っても埋まらなかったもの

資格って、確かに仕事の武器にはなる。でもそれが心の武器になるかというと、全然違う。開業しても最初は依頼も少なく、貯金を切り崩しながらの毎日だった。そんな中で、「やっぱり自分には向いてないんじゃないか」と何度も思った。事務所の看板はある。でも、心の中には「お前なんかが…」という声がこだましていた。埋めたかったのは経済的な不安じゃなく、もっと根っこの自己否定だった。でもそれは、資格じゃ埋まらなかった。

人から感謝されても心は冷めたままだった

依頼者から「助かりました」と言われることがある。普通なら嬉しいはずの言葉なのに、どこか冷めて受け止めている自分がいる。「いやいや、誰でもやれることでしょ」「たまたま上手くいっただけ」そんな風に心の中で打ち消してしまう。これはもうクセになってしまった自己否定の反応だと思う。でもこれじゃ、どんなに感謝されても自信には繋がらない。感謝が嬉しくないんじゃない、ただ、それを受け取れる器が自分にないだけなんだ。

事務所を回していく現実 愚痴とやさしさと少しの諦め

この事務所を続けていくには、それなりの覚悟が必要だ。といっても、大それた理想とか信念ではなく、もっと現実的な意味での“覚悟”だ。依頼は急に来るし、相続関係の書類は思うように集まらないし、土日が潰れることも珍しくない。そんな中で、愚痴をこぼしながらも何とか毎日をこなしている。事務員さんの気遣いに助けられながら、何とかバランスを取ってる。諦め半分、やさしさ半分の、絶妙なバランスで回ってる感じだ。

「人を助ける」ことが苦しくなる瞬間

司法書士の仕事は“人の問題を解決する”側に立つことが多い。けれど、自分自身がボロボロのときに誰かを助けるって、正直しんどい。依頼者の言葉がプレッシャーになるときもあるし、理不尽な要求に耐えることもある。そんなとき、「もう全部放り出したい」と思うこともある。でも結局、また机に向かってしまうのは、自分にできることがこれしかないからかもしれない。「ありがとう」をもらっても、心の奥は疲れ果てていることもある。

自分を好きじゃない人間が 誰かの味方でいられるのか

「自分を好きじゃないと、他人のことも好きになれないよ」って誰かに言われたことがある。確かにな、と思いつつ、それでもやらなきゃいけない仕事がある。依頼者のことを“好き”かどうかなんて関係ない。ただ、少しでもマシな選択肢を提示できればと思っている。でもそれって、味方でいるってことなのか?自分でもよくわからない。ただ、誰かの荷物を少しでも軽くできたなら、それでいい。自己満足かもしれないけど、それが今の限界だ。

事務員さんの笑顔に救われているのに そのことすら自己否定する

うちの事務員さんは、よく笑う。忙しくて余裕のないときでも、冗談を言って空気を和ませてくれる。そんな笑顔に、何度救われただろう。でもそのたびに思ってしまう。「こんな自分が、誰かに支えられていいんだろうか」って。感謝の気持ちはあるのに、それすらも自己否定で打ち消してしまう。素直になれたら、どんなに楽だろう。だけど今は、ありがとうを心の中で何度も唱えるしかできない。口に出すと、涙が出そうになるから。

女性にもモテず 結婚もせず 気づけばこの歳

恋愛は…まあ、得意じゃなかった。というより、避けてきたのかもしれない。告白する勇気もなかったし、付き合ったことも数えるほどしかない。今はもう、婚活なんて気力もない。「結婚してたら違ったかな」と思うこともあるけど、それももうタラレバだ。自分に自信がないまま人と向き合うのって、やっぱり難しい。誰かを愛そうとすると、自分の未熟さばかりが目についてしまう。だから今も、独りでいる方が楽に感じてしまう。

独身の気楽さと たまに押し寄せる空しさ

独身って、気楽だ。誰にも干渉されず、自分のペースで暮らせる。でもその気楽さの裏には、ふとしたときに押し寄せる空しさがある。コンビニ弁当を食べながらテレビを見てるとき、寝る前に天井を見上げたとき、なんとも言えない孤独が身体を包む。誰かと暮らしていたら、この感じは違ったのだろうか。そう思っても、もう戻れない気がする。ひとりで生きるって、案外、勇気のいることなのかもしれない。

じゃあどうすればいいのか 答えなんてないけど

この問いには、今でもはっきりした答えが出せない。「自分を好きになるにはどうすればいいか」なんて、簡単に言えるものじゃない。ただ、少しだけ思うのは、“完璧じゃなくてもいい”って自分に言ってやること。人に優しくするように、自分にも優しくしてみること。それができるようになったら、少しだけ心が楽になる。そういう小さな積み重ねしか、きっと道はない。でもそれでいいのかもしれない。誰かと比べる必要なんて、どこにもなかったんだ。

自分を好きになれない人間が やっている小さな努力

毎朝、コーヒーを入れる。たったそれだけだけど、「今日も1日が始まる」と思えるようになった。ほんの小さな習慣だけど、それが自分を保つ支えになっている。以前は、朝が来るのが嫌でたまらなかった。ベッドの中で、今日という日が終わってくれないかとさえ願った。でも今は、「まあ、今日も何かやってみるか」と思える。完璧じゃなくていい。そう思えるようになったのは、何年もかかったけど、大きな一歩だ。

朝のルーティンを変えてみたら ほんの少しだけ違った

起きてすぐスマホを見るのをやめて、まずは湯を沸かしてコーヒーを淹れる。それだけで、朝が静かに始まる気がした。たったそれだけの変化なのに、不思議と気持ちが落ち着いた。ルーティンって、侮れない。気分が落ち込みがちな日でも、この“始まりの儀式”があると、なんとか気持ちを切り替えられる。自分に合ったペースをつくることが、自分を認めることにつながっているように思う。完璧じゃなくても、丁寧に生きる。それだけで、ずいぶん違う。

仕事に疲れても「ちゃんと生きてる」って思える瞬間

夜、パソコンを閉じて部屋の電気を消したとき、「今日もなんとか乗り切ったな」と思える瞬間がある。その瞬間だけは、自分に少しだけ優しくなれる気がする。誰にも褒められないし、成果も目に見えない日だったとしても、自分だけは知っている。「今日、自分はちゃんと働いた」って。それだけで、ほんの少し自分が許せる気がする。きっとそれが、生きてる実感なんだと思う。

失敗しても「自分にだけは優しくしよう」と思えた日

ある日、大事な登記手続きを一部ミスしてしまった。幸いすぐリカバリーできたけど、その夜は自己嫌悪で寝つけなかった。でも、ふと思った。「もし事務員さんが同じミスをしても、俺は責めなかっただろうな」と。だったら、自分にもそうしていいんじゃないか。そう思えたとき、少しだけ肩の力が抜けた。完璧じゃなくてもいい。失敗しても、自分にだけは優しくしよう。そう思えるようになったのは、大人になった今だからこそかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。