今と昔を比べてしまう朝に
目覚ましの音に叩き起こされる朝、カーテン越しの曇り空を見るたび、ふと昔のことを思い出してしまう。「昔はもっと夢があった気がする」と思う瞬間だ。あの頃は、司法書士として独立して、誰かの役に立つ仕事をするんだと胸を張って言えた。ところが今は、夢というよりもタスクに追われている日常。年を重ねて、自分の中の何かがすり減ってしまったのかもしれない。
通勤途中にふと思うこと
車を走らせながら見る景色は、何年も変わっていないのに、自分の中の景色だけが変わっている気がする。看板も建物も同じなのに、心の奥には昔ほどのときめきがない。信号待ちの時間に、ふと「俺はこのままどこへ向かってるんだろう」とぼんやり考えてしまう。そんな日は決まって、仕事中の集中力も欠けてしまうのだ。
いつの間にか「夢」を語らなくなった
昔は飲みの席でも、「いつかこんな事務所を作りたい」とか、「登記だけじゃなく、相続や企業法務にも力を入れていきたい」なんて話をしていた。だけど最近は、そんな話をすることすらない。事務員との会話も、今日の予定とメールの確認だけ。誰に夢を語るわけでもなく、ただ一日をこなすだけの自分がいる。
通学路が通勤路に変わった日を境に
思い返すと、夢というのは学生時代の通学路に置いてきたのかもしれない。あの頃、自転車を漕ぎながら空を見上げては「俺もいつか独立して…」なんて考えていた。けれど今、その道はただの通勤路。慣れた景色に、何の感情も湧かなくなっている自分に気づいてしまうのがつらい。
司法書士になった頃の自分を思い出して
新人の頃は、どんな案件にも緊張して臨んでいたし、依頼者の話にも耳を傾けていた。「こんな風に人の人生の一部に関われるなんてすごい」と感動すらしていた。でも今は、どこかで感情にフタをしてしまっている自分がいる。それは経験を積んだということかもしれないけれど、同時に、何か大事なものも失ったような気がしてならない。
机に向かっていたあの頃の情熱
資格取得のために机にかじりついていたあの頃、睡眠時間を削ってまで条文を覚えていた情熱は、今どこに行ってしまったのだろう。業務に追われる毎日の中で、あの熱は思い出の中でしか感じられなくなっている。今は机に向かうのも、どちらかといえば「やらなきゃいけないから」になっている。
夢が希望だった時代の終わり
かつて「夢」は希望であり、未来を照らす光だった。でも今は、その夢が現実の影に飲み込まれてしまったように感じる。登記ミスひとつで大問題になる現実の中で、夢を語る余裕なんてない。けれど、それでも心のどこかで「もう一度あの気持ちを取り戻せないか」と思ってしまう。
現実と折り合いをつける日々
司法書士としての仕事には誇りを持っている。でも、それだけでは日々の重さは和らがない。仕事に追われ、人との距離を感じ、自分自身ともうまく付き合えない日もある。そんな中で、夢との距離感をどう取ればいいのか、模索する日々が続いている。
書類に追われる毎日が「仕事」になった瞬間
最初のころは、「仕事=やりがい」だった。でも今は、「仕事=締切と戦うもの」になっている。書類を仕上げること、登記を間に合わせること、それ自体が目的になってしまっている。事務所の電話が鳴るたびに、また一つ仕事が増える…そんな感覚に疲弊してしまっている。
登記の数だけ日常が削れていく
一つ一つの登記作業は、確かに重要だ。けれど、数が増えるほど、時間も気力も削られていく。土日も仕事のことが頭から離れないし、年末年始もゆっくり休んだ記憶がない。気づけば、日常の中から「自分の時間」が消えていた。
事務員とのやり取りにも余裕がない
雇っている事務員さんは真面目でよくやってくれている。でも、自分に余裕がないから、つい言葉が冷たくなってしまう。感謝の気持ちはあるのに、それを伝えるエネルギーすら足りない日もある。そうして少しずつ、人との距離も広がっていく。
夢と業務の間にある溝
夢と現実の間にあるもの、それは「業務」だ。日々の業務は食べていくために必要だけれど、それが多すぎると夢に向かう気力を奪ってしまう。いつの間にか、夢は「絵空事」として遠くに置かれてしまっていた。
誰かの役に立ちたかったはずなのに
司法書士を目指したのは、困っている人の力になりたかったからだ。でも今、自分の姿はどうだろう。クライアントに追われ、書類に追われ、心を通わせる余裕がない。理想と現実、その差に折り合いをつけられずにもがいている。
気づけば「こなす」ことが目的になっていた
今は毎日、終わらせることばかりが目標になっている。「今日の予定を全部消化できた」と思えた日は、達成感というよりも、ただ「ホッとした」に近い。夢とか理想とか、それを語ること自体が贅沢に感じてしまう。
昔の夢に戻れない理由
夢をもう一度追いかけるには、勇気がいる。そして、現実を維持しながらでは難しい部分も多い。それでも心の奥底には、どこか諦めきれない気持ちがくすぶっている。ただ、それを再び火に変えるには、何かきっかけが必要なのかもしれない。
責任という名の重たい荷物
一人で事務所を回していると、全部の責任が自分にのしかかってくる。登記のミス、書類の遅れ、スタッフへの配慮、顧客対応…どれも手を抜けない。でもその責任感が、自分の心を重たくしていることにも、気づいている。
一人で背負う日々の中で
「所長なんだから当たり前だろ」と言われればそれまでだけど、人間だって限界はある。ミスを恐れて夜中まで確認作業をしたり、休みの日に「急ぎなんですが…」の電話がかかってくると、ため息しか出ない。でもそれもまた現実だ。
夢は荷物になったのかもしれない
かつて夢だったものが、今は「やらなきゃいけないこと」の一部になってしまった。夢という言葉の響きが、むしろ重く感じることすらある。昔の自分に会ったら、何て言えばいいんだろうか。「夢は叶ったよ」とは言い切れない自分がいる。
それでも今を生きる意味
夢が遠くなっても、今の生活にも意味はある。依頼者の「ありがとう」の一言や、同業者とのちょっとした会話、事務員のさりげない気遣い。そんな小さな瞬間が、何とか自分を支えてくれている。
夢じゃなくても誰かの支えにはなっている
大それた夢じゃなくても、誰かの力になれているなら、それはそれで価値があるんじゃないか。依頼者の悩みを解決できた日には、少しだけ胸を張れる。昔描いた未来とは違っても、今の自分が役に立っているなら、それでいいのかもしれない。
過去の夢が今の現実をつくっている
思えば、夢があったからこそ、司法書士になった。そしてこの仕事に就いたからこそ、出会えた人たちがいる。夢は消えたわけじゃない。ただ、形を変えて、自分の中に今も残っているだけなんだと思いたい。