なぜか深刻な話ばかりが集まってくる日常
気づけば、今日も重たい話を聞いていた。そんな日が続くと、「なんで自分のところにばかり深刻な話が集まるんだろう」と考えずにはいられない。別に相談窓口でもないのに、友人も知人も、取引先さえも、人生の岐路や悩みを打ち明けてくる。もちろん司法書士という職業柄、相談にのること自体は日常の一部だが、それにしても私生活の雑談までが「実はさ…」で始まるのは、なんだかおかしい。
「ちょっと聞いてよ」から始まる長い相談
最近はコンビニの前で偶然会った知人にまで、離婚問題を打ち明けられる始末だった。「誰にも言えなくて」と言われると、こちらも突き放すわけにいかない。仕事終わりでクタクタなのに、30分以上立ち話で愚痴を聞かされた。内容が内容だけに適当な相づちも打てないし、「それは大変だね」と共感してしまうと、さらに深堀りされてしまう。気づけば、日常が相談会と化している。
ランチに行っただけで離婚話を聞かされる
先日、久々に学生時代の友人とランチに出かけた。昔話で盛り上がるかと思いきや、注文も済まないうちに「実はさ、嫁ともうダメでさ」と話が始まった。しかも内容がリアルすぎて、まるで家庭裁判所の待合室にでもいるような気分になった。「法律的にどう思う?」なんて聞かれると、もう友人というより相談者になってしまう。ランチの味なんてまったく覚えていない。
職業柄なのかそれとも顔に出てるのか
それにしても、なぜこんなにも人の悩みを引き寄せるのか。司法書士という肩書きが「なんでも話せる人」オーラを放っているのだろうか。それとも、元野球部で坊主だった名残か、聞き役っぽい雰囲気が漂っているのかもしれない。鏡を見るたびに「話しやすそうな顔ってどんな顔だよ…」と呟いてしまう。
悩みを抱えた人の終着点になっている気がする
事務所に来る依頼者の中には、初対面なのに号泣する人もいる。登記の相談のはずが、最終的には「子どもともうまくいかなくて…」という人生相談になることも。もうこちらは相談員なのか心理カウンセラーなのか、自分でも分からなくなるときがある。終着点のように人の感情が自分に流れ込んでくる感覚に、気づけば溺れそうになっている。
言葉の責任が重くて返事にも神経を使う
だからといって適当に返事をするわけにもいかない。「こう言ったからあの人は決断した」なんてことになったら、こちらも眠れなくなる。言葉一つで人の人生に影響を与える仕事だという自覚があるからこそ、軽率な言葉は吐けない。だから余計に疲れてしまう。
無意識のうちに「話しやすい空気」を出してしまう
自分では普通にしているつもりなのに、どうやら「話しやすい」「頼りがいがある」「聞いてくれそう」というオーラが出ているらしい。近所のスーパーでも「〇〇さんて司法書士さんだよね?実はうちの土地が…」なんて話しかけられることがある。カゴにネギと納豆を入れているときに土地問題を語られても、こっちも困る。
聞き上手もほどほどにしておけばよかった
昔から「聞き上手だね」とは言われていたが、今となってはそれが仇となっている気がする。特に事務員にも「先生、また長話になってましたね」と言われることが増えた。断れない性格も手伝って、結局最後まで話を聞いてしまう。そして事務作業は夜にずれ込む。聞き上手の代償は、結構大きい。
共感力が高いことが仇になる場面もある
依頼者の話に心を寄せてしまうと、こちらまで気分が沈んでしまう。でも、他人事のように振る舞うことができない。司法書士としての冷静さと、人としての温かさ。そのバランスがいつも難しい。共感しすぎると引きずられるし、突き放すと信頼を失う。
本音を吐き出されるけどこちらの心が持たない
「誰にも言えなかったんです」と打ち明けられるたびに、こちらも受け止める覚悟を決める。でも一日に何人もの人の「人生の裏側」を見せられると、正直こっちのメンタルも削られる。自分の感情を後回しにしてしまうクセがあるから、帰宅後にどっと疲れがくる。
自分の時間がどんどんすり減っていく感覚
深刻な話を聞くことに慣れすぎて、自分の感情や生活リズムが犠牲になっていることに気づかないまま過ごしていることがある。気がつけば休憩も食事もそこそこに、依頼者や知人の話を優先してしまう。それが積もり積もって、心の余白がなくなっていく。
業務外の「相談役」になってしまう現実
司法書士としてではなく「話を聞いてくれる人」としての役割を求められている場面が多すぎる。登記や相続の書類作成はそっちのけで、心の整理を手伝う羽目になる。誰かの悩みに寄り添うことが、いつの間にか仕事になってしまっている気がしてならない。
電話もLINEも休日も関係なく届く相談
日曜の朝にLINEで「ちょっと相談いいですか?」と送られてくるメッセージを見るたびに、ため息が出る。こっちは洗濯物を干してる最中だ。休日が境界線にならなくなった今、オンとオフの切り替えはもはや幻想だと思うこともある。
「ちょっとだけいい?」が地味に効く
「ちょっとだけ」と言われた相談ほど、長くて重たいのが常。しかもその“ちょっと”の積み重ねが、こちらの心身に地味に効いてくる。「ちょっとの積み重ねが大事」とはよく言うが、それは筋トレだけでいい。
それでもこの仕事をやっている理由
じゃあなぜ辞めないのかと聞かれたら、たぶん「誰かの役に立っている実感があるから」と答えると思う。深刻な話を聞くこと自体が嫌なわけじゃない。ただ、自分をすり減らすこととのバランスが難しいだけだ。自分が選んだ道だからこそ、簡単には投げ出せない。
誰かの「ありがとう」が唯一の救い
たとえ疲弊しても、依頼者の「本当に助かりました」の一言に救われる。それがあるからまた頑張れる。深刻な話のなかに光が差す瞬間がある。その一瞬を見られるから、この仕事をやめられない。
人の人生に深く関わることの責任とやりがい
書類を作成するだけでなく、人の想いに触れる仕事だと再確認する。つらい話ばかりかもしれないが、その分、感謝の言葉の重みも格別だ。人生の節目に立ち会うからこそ、責任もあるがやりがいもある。
しんどさの中にある誇りのようなもの
「司法書士って、大変だね」と言われるたびに「まあね」と答えつつも、心のどこかで少しだけ誇らしく思っている自分がいる。深刻な話ばかりの日々でも、その中にある小さな誇りが、自分を支えている。