裁判所に通う日々が日常になってしまった
気づけば、週に何度も裁判所へ足を運ぶのが当たり前になった。登記申請や調査、依頼者との手続きのため、朝から夕方まで移動と事務作業の繰り返し。まるで裁判所が職場の一部かのように思えてくる。だけど、ふと我に返る瞬間がある。こんなに人と会っているのに、なんだか一人ぼっちだ。
朝のルーティンは判子と申請書
毎朝、事務所に来て最初に確認するのは郵便物と申請書類。それから、登記用の書類に印鑑を押して、チェックして、ファイルにまとめる。もはや呼吸をするのと同じくらい自然な流れになってしまった。だけどこの流れの中に、人間らしさを感じる余地がない。
恋よりも早く登記が完了する
登記申請を出してから完了するまでの期間は、案件によるが数日から一週間くらい。相手もいない恋の芽が育つより早く、法務局は粛々と処理してくれる。寂しさを仕事のスピードで紛らわせているような気もする。効率的な作業に囲まれて、自分の感情はどんどん置き去りになっていく。
会話相手は窓口の担当者ばかり
「こんにちは、いつもありがとうございます」「この訂正お願いします」そんな言葉のやりとりはする。でもそれは仕事の一部であって、心が通うような会話ではない。名前すら知らない担当者と、業務的なやりとりだけを何年も続けている。その間、自分が誰かとちゃんと向き合って話した記憶はほとんどない。
どこで間違えたのか分からない
独立して司法書士事務所を構えたときは、それなりに希望もあった。「地域の人の役に立ちたい」とか「自由な働き方ができる」とか。けれど、現実は思っていたより孤独で、責任ばかりが重くのしかかってくる。自分で選んだ道なのに、なんでこんなに疲れてるんだろう。
独立した頃はまだ夢があった
地元で独立開業したあの日。親戚や友人からは「すごいね」「頑張って」と励まされた。事務所の内装にこだわったり、ホームページも自分で作った。だけど、忙しさに追われる日々の中で、最初の志やワクワクした気持ちはどこかへ消えてしまった。
忙しさが寂しさを隠してしまった
たしかに仕事は忙しい。ありがたいことに依頼も切れない。でもそれは、自分が寂しさに気づかないための言い訳だったのかもしれない。いつの間にか、休日に人と会うのが億劫になり、趣味も減っていった。誰かと一緒に笑う時間より、請求書と向き合う時間の方が多くなっていた。
気づけば孤独と仕事が隣り合わせ
人と接する仕事をしているのに、孤独とは不思議なものだ。依頼者とは話すし、事務員もいる。だけど、そこには”自分”としての関わりではなく、”司法書士”としての役割が優先されている。気づけば、自分の存在がどんどん「機能」になっていくような感覚になる。
事務員との会話が唯一の雑談
事務所にいる事務員の女性は真面目で、気が利く人だ。でも、お互い気を使っているのが分かるし、仕事以外の話はあまりしない。たまにコンビニのお菓子の話や天気の話をするだけで、それが自分にとっては「唯一の雑談」だったりする。悲しいけれど、それが現実だ。
気を使われることに疲れる日もある
事務員にしても、依頼者にしても、「先生」として接してくれる。でも、こっちも完璧じゃないし、ミスだってある。なのに常に気を張っているのは、想像以上に疲れるものだ。「もっと気楽にいきましょうよ」と言ってくれる誰かがいたら、少しは変わっていたかもしれない。
本音を言えない距離感がつらい
「最近どうですか?」「ちょっと疲れてます」この一言がなかなか出てこない。弱音を吐くと信頼が下がるんじゃないかと思ってしまうし、仕事のパフォーマンスにも影響しそうで言えない。本音を言えない距離感は、じわじわと精神を削っていく。
モテない人生と向き合う時間
元野球部だった頃、そこそこ運動神経には自信があった。でも社会に出てからは、魅力の見せ方が分からなかった。真面目に働いて、誠実でいればいいと思っていたけれど、それだけじゃ何も始まらない。誰かと付き合いたいと思っても、アプローチする余裕も自信もない。
昔の仲間は家庭を持っている
地元の友人たちは、すでに家庭を築き、子どもの写真をSNSにアップしている。そんな投稿を見るたびに、「おめでとう」とは思う。でも、その裏で少しだけ、自分の空白に気づいてしまう。何かを積み上げてきたつもりが、手にしていないものもたくさんあることに。
元野球部だった頃の自分はどこへ
甲子園を夢見て、泥まみれになって白球を追っていたあの頃。仲間とふざけ合い、声を張り上げていた自分。そんな自分は今、黙々と書類を整理し、静かな事務所でため息をついている。もちろん成長した部分もある。でも、情熱のかけ方は変わってしまったように思う。
司法書士という仕事の重み
司法書士の仕事は、地味だけど重い。手続き一つひとつが誰かの生活や人生に関わっている。だからこそ、ミスが許されない。緊張感と責任感の中で仕事をする日々は、自分を支えてもくれるけれど、時に押しつぶす。
責任感と不安のはざまで
依頼者の信頼を預かるということは、その信頼に応えるプレッシャーと隣り合わせだ。特に不動産や遺言、相続関係の仕事は、感情や思い出も絡んでくる。自分の一押しで誰かの人生が変わってしまう。その重さに、夜眠れなくなることもある。
小さなミスが許されない現実
ちょっとした入力ミス、確認漏れ。それだけで補正通知が届いたり、依頼者に迷惑をかけたりする。ミスをしないために、何度も見直し、慎重になりすぎて時間が足りなくなる。それでも、完璧ではいられない自分に、苛立ちが募る。
人の人生を預かるというプレッシャー
登記や契約は、単なる手続きではない。人の思いが詰まった記録を法的に支える作業だ。だからこそ、そのプレッシャーは計り知れない。誰かの人生の一部を預かっている実感が、自分を突き動かしながらも、時に重荷となってのしかかってくる。
休めない理由は収入だけじゃない
個人事業主という立場上、収入面の不安は常につきまとう。でもそれ以上に、「頼られているから」「待っている人がいるから」という気持ちが、自分を休ませてくれない。本当は一日、何も考えずにぼーっとしたい日だってあるのに。
信頼を失う恐怖と向き合う
一度でも大きなミスをしたら、口コミで一気に広まるこの業界。田舎の狭い人間関係の中での失敗は致命的だ。だからこそ慎重になり、神経をすり減らす。信頼を積み重ねるには時間がかかるのに、失うのは一瞬だ。
「誰かのため」がいつの間にか「自分を追い詰めるもの」に
最初は「誰かの役に立ちたい」と思って始めた仕事だった。でも、今は「ちゃんとしなきゃ」「迷惑かけちゃいけない」が先にくるようになった。善意で始めたことが、自分を責める材料になっていると気づいたとき、少しだけ泣きたくなった。
それでも今日も裁判所へ向かう理由
そんな日々でも、仕事を辞めようとは思わない。裁判所に行く道の途中、ちょっとした風景に癒されたり、依頼者の「ありがとう」に救われたりすることがある。それがたまにしかなくても、心のどこかで「やっててよかった」と思える瞬間がある。
誰かに必要とされている実感
報酬よりも、「あの人にお願いしてよかった」と言われたときの感情の方が心に残る。孤独でも、不安でも、必要とされている限りは立ち止まれない。そんな気持ちが、自分を毎日デスクに向かわせ、裁判所へと歩かせている。
自分だけは自分を諦めたくない
誰かと付き合いたい気持ちは正直ある。でもそれ以上に、自分で自分を嫌いになりたくない。元野球部の意地かもしれないし、ただの負けず嫌いかもしれない。でも、どこかで自分を信じていたい。だから今日も、登記簿とにらめっこしながら、未来をあきらめないでいる。