ありがとうって言われたいだけの毎日

ありがとうって言われたいだけの毎日

心からの感謝を求める気持ちは甘えなのか

「ありがとう」が聞きたくて仕事をしてるわけじゃない。そう自分に言い聞かせてきた。けれど、ふと気づくと、心のどこかで「たまには誰かに心から感謝されたい」と思ってしまっている自分がいる。日々の業務は滞りなくこなし、ミスもなく、依頼にも淡々と応じる。けれど、その積み重ねが当たり前になっていくと、感謝の言葉すらもらえなくなることがある。そのとき、「これは甘えなのか」と、自分の気持ちを責めてしまうのだ。

日々の努力が当たり前になると

司法書士として働いていると、正確さや迅速な対応が求められるのは当然だとされている。それをこなしても「できて当然」という空気になるのが常だ。特に長年付き合いのある顧客や、同じ行政書士・弁護士などの士業仲間とのやりとりでは、感謝の言葉どころか反応すらないこともある。これは単なる慣れかもしれないし、信頼の裏返しかもしれない。でも、それでもやっぱり、どこかで「一言くらい…」と思ってしまう日がある。

「できて当然」が積もるとき

「また頼むね、よろしく」で終わるやりとりがほとんどだ。「ありがとうございました」の一言もなく、業務は無言で完了していく。こちらも仕事だから淡々とこなすけれど、ふとした瞬間に「俺って機械か何かか?」と虚しくなる。例えば、休日返上で登記の手続きを進めたことがあった。急ぎの案件で、依頼者の要望にも丁寧に応じた。なのに「助かりました」どころか、領収書の請求しかこなかった。そんなとき、ぐっとくる。

たった一言で救われる瞬間

ある日、何気ない登記手続きを終えたあと、高齢の依頼者から「本当に助かりました。あなたがいてくれてよかった」と言われた。驚いたのと同時に、なぜか涙が出そうになった。特別なことをしたわけじゃない。ただ、急な対応に応じただけ。でも、その一言だけで数週間分の疲れが吹き飛んだ気がした。結局、感謝って、人を動かすエネルギーにも、癒しにもなるんだと気づかされた。

司法書士という仕事の見えにくさ

司法書士の仕事は、華やかさとは無縁だ。トラブルを予防したり、地味な書類を何枚も確認したりと、裏方の仕事がほとんどである。目立たない、でも大事。だからこそ、周囲からの感謝が表に出にくいのかもしれない。それが分かってはいても、心が折れそうになる瞬間はある。

トラブル解決の裏方であるという現実

裁判や調停などの表に出る仕事に比べ、司法書士の仕事は「縁の下の力持ち」だ。問題が起こらないようにするために神経を使っているのに、何も起きないことが当然とされてしまう。例えば相続登記を期限内に完了させたとしても、依頼者には「まあ終わったのね」程度のリアクションしかない。何も問題が起きなかったこと自体が、自分の仕事の成果だと伝えるのは難しい。

ありがとうより先に来るのは請求書

登記完了後に待っているのは、感謝の言葉ではなく「請求書はどこですか?」という問い合わせ。報酬の話が先に来ると、こちらの熱意も少し冷めてしまうことがある。生活のためにお金は大事。でも、お金だけじゃなくて、「あなたに頼んでよかった」という一言があれば、もっと前向きになれるのにと感じることが増えてきた。

それでも引き受けてしまう性分

愚痴をこぼしながらも、結局また依頼がくれば引き受けてしまう。根がまじめで、断るのが苦手な性格もあるかもしれない。でもそれ以上に、やっぱり「誰かの役に立ちたい」という思いが根底にあるのだと思う。元野球部だったからか、チームのために黙々と動くのは性に合っている。でも時々、ベンチの誰かが声をかけてくれるだけで、モチベーションがぐっと上がる。あの感覚が、今も恋しい。

事務所という孤島で働く日々

田舎の司法書士事務所は、まさに孤島だ。事務員さんは一人、来客も少ない日が多い。相談相手もおらず、昼ごはんはコンビニのおにぎりをデスクで食べながら書類を見る日々。誰とも会話を交わさない日すらある。そんなときに、ふと「誰かから必要とされてるのかな」と不安になる。

事務員さんとの距離感と空気

事務員さんはとてもよく働いてくれている。でも、距離感が難しい。「ありがとう」と言えば気を遣わせてしまいそうだし、無言だと冷たいような気がする。かといって世間話を始めると業務が止まってしまう。そんな微妙な空気の中、言葉をかけるタイミングを毎日探っている。

感謝されたいが気を遣われすぎたくもない

ややこしい性格だと自分でも思う。「ありがとう」と言われたいくせに、あまりにも丁寧すぎる感謝はかえって居心地が悪い。「気を遣わないでほしい」という思いと、「何も言われないのもつらい」という気持ちが同居している。このへんの不器用さは、独身の理由かもしれない。

感謝のない日々に慣れてしまう怖さ

人は慣れる生き物だ。感謝されない毎日が続くと、それが普通になる。そして気づけば、自分も他人に感謝を伝えなくなっている。そんなときふと、自分が誰かに感謝していたあの頃を思い出す。感謝する気持ちがなくなることは、自分の心をすり減らすことにも繋がってしまう。

承認欲求との向き合い方

感謝されたい、認められたい。それは決して悪いことじゃない。でもそれを外に求めすぎると、期待通りにいかなかったときに傷つく。承認欲求との距離感をどう保つかは、ひとり仕事をする者にとって大きな課題だ。自分自身で「よくやってる」と認められる力をつけることも大切だ。

他人からの評価よりも自分を認められるか

一日の終わりに「今日はあの書類、きっちりまとめられたな」と自分で思えるだけでもいい。依頼者が何も言わなくても、自分はわかっている。そういう内面的な充実を持てるかどうかで、長く仕事を続けられるかが決まる気がする。とはいえ、やっぱり誰かに言ってほしいときもある。

感謝を求める自分を否定しないこと

「ありがとう」と言われたいと思うのは、弱さじゃない。誰だって、人に認められたい。そんな自分を責める必要はない。むしろその気持ちを受け入れて、誰かに対して先に感謝の言葉を届けてみようと思えるかどうか。そういう循環の中で、きっとまた心からの「ありがとう」が返ってくるのだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓