「何もしてないように見える」って言われる仕事の、何も知らない人へ

「何もしてないように見える」って言われる仕事の、何も知らない人へ

「何もしてないように見える」って言われる仕事の、何も知らない人へ

パソコンの前で座ってるだけに見えるらしい

司法書士という仕事は、傍から見ると「じっと座っているだけ」「書類をちょこちょこ書いているだけ」に見えるのかもしれません。ある日、知人に「それ、誰でもできるんじゃないの?」と言われて、言葉に詰まりました。確かに、見た目だけで判断すれば、そう見えても仕方ない。でも、私たちが日々神経をすり減らしてやっていることは、その見た目の静けさの何十倍も濃くて重たいのです。

動かない=働いてない、ってどういう理屈

司法書士の仕事は、体を動かすことが少ない分、頭と心をフル回転させる必要があります。登記一つでも、確認すべき書類は多岐に渡り、慎重を重ねないと致命的なミスになりかねません。でも、それをしている姿は、ただ「じっとしている人」にしか見えないようです。思えば学生時代もそうでした。静かに読書していると「サボってる?」って言われたものです。大人になっても、静かな努力は評価されづらいのかもしれません。

「暇そうだね」と言われるたびに消耗する

たまたま午後に依頼が重ならず、少し肩の力を抜いていたときのこと。来客があり「お、暇そうだね」と言われ、内心ぐさっときました。その日は朝からトラブル処理で神経を削り、休憩もまともに取れず、やっと落ち着いたタイミングだったんです。それでも見た目には伝わらない。私は笑ってごまかしましたが、その夜は疲れがどっと出てしまいました。仕事の忙しさって、動きじゃなくて中身なんですよね…。

書類一枚にどれだけ神経使ってるか、誰も知らない

たかが紙一枚、されど紙一枚。司法書士にとっては、その「一枚」が運命を分けることもあります。特に法務局への提出書類は、一つの誤字、押印のズレで不受理になり、依頼人の信頼を失うリスクすらあります。事務所にこもって黙々と書類を確認する姿は、誰の目にも地味で静か。でも、こっちは毎日が緊張の連続。ほんの数ミリの差に、胃がキリキリすることもあるのです。

ミスが許されない世界に生きてます

この仕事には「ちょっとくらい」は通用しません。登記や相続の処理では、一つのミスが数百万、いやそれ以上の損失になる可能性もあります。あるとき、地番の記載を一文字だけ誤ってしまい、全部差し戻しになった経験があります。もちろん依頼人には平謝り。その後はチェック体制を三重に強化しましたが、それでも「絶対」はありません。慎重すぎるくらいで、ようやく「普通」なのです。

印鑑の押し間違い一つで地獄が始まる

ある日、依頼人に押印をお願いしたところ、実印と認印を間違えて押されてしまいました。訂正印をもらうにも時間がかかり、納期ギリギリ。冷や汗をかきながら電話し、資料を再送し、やっとの思いで間に合わせたあの日。周囲から見れば「書類が一枚増えた」だけの出来事ですが、こっちは必死だったんです。たった1個の印鑑で、人生がぐらつくような感覚。これが司法書士の日常です。

「簡単な書類でしょ?」の破壊力

登記簿謄本を取り寄せて内容確認、法的な裏付け、依頼人の意図のすり合わせ…それら全部終えて、ようやく作成できた書類を渡したとき、「え?これだけ?簡単そうだね」と言われた瞬間、心が折れそうになりました。裏で何十時間費やしたかなんて、見た目にはわからない。だからこそ、自分の中で納得するしかない。「見えない苦労こそ、プロの証」と。だけど、ちょっとくらいねぎらってくれても、バチは当たらないんですけどね…。

目立たない仕事は、仕事じゃないのか?

誰かの前で話したり、評価されたり、拍手をもらったり。そういう「目に見える成果」がある仕事は確かにかっこいい。でも、司法書士の仕事はその逆。静かで、目立たず、誰にも気づかれない。でも、誰かの暮らしを支えているという実感は確かにあります。見えないところで積み上げる。そういう「影の仕事」も、この社会には必要なんだと思いたいんです。

目に見えない努力が一番多い職種

毎日の業務、記憶にすら残らない細かいチェック。何度も読み返し、確認して、また見直して…。派手な会議もプレゼンもありません。誰かに褒められることもめったにない。でも、静かに積み重ねていくその行為自体が、司法書士の本質なんじゃないかと最近感じます。正直、報われないと思うこともあります。でもそれでも、誰かの安心のために黙って動くのが、私たちの役割なんです。

「なんでそんなに疲れてるの?」と聞かれて詰む

週末、知人に「顔色悪いね。そんなに疲れる仕事?」と聞かれました。その瞬間、どう答えたらいいのか、言葉に詰まりました。疲れている理由が、目に見えるものじゃないから。走り回ってるわけでもないし、大声で会議してるわけでもない。ただ、気を張って、責任を背負って、静かに神経をすり減らしている。それって、説明しても理解されにくいんですよね。「お疲れさま」って言われたら、泣いてたかもしれません。

ひとり事務所、孤独と責任と胃痛と

地方の小さな司法書士事務所。職員は一人、私を含めても二人きり。日々のすべての判断を自分で背負い、失敗しても誰のせいにもできません。孤独との戦い、プレッシャーとの付き合い方、そしてなかなか消えない胃の痛み。お金のこと、人間関係、老後の不安。全部抱えながら、今日も書類と向き合っています。笑えるほどに静かで、笑えないほどにしんどい毎日です。

誰にも頼れない日々の中で

事務員さんはいても、全責任を負うのは自分です。判断を誤れば、そのツケは全部自分に返ってくる。誰にも頼れず、誰にも相談できず、それでも依頼人の信頼には応えなきゃいけない。深夜まで一人で資料を見直す日、ふと「自分は何やってるんだろう」と思うこともあります。でも、結局は明日もまたパソコンの前に座っている。そうやって生きてる司法書士、多いんじゃないでしょうか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。