争いの裏にあったもの――相続の現場で見た、家族の本当の想い

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争いの裏にあったもの――相続の現場で見た、家族の本当の想い

「争族」の現場は、今日も静かに荒れている

司法書士をやっていると、避けて通れないのが相続。中でも相続人同士で揉めているケースに出くわすと、何とも言えない気持ちになる。見た目は冷静を装っていても、メールや書類の文面に込められた言葉には棘がある。静かに、しかし確実に家族関係が壊れていく音が、紙の裏から聞こえてくるようだ。何がここまで人を頑なにさせるのか。理由は一つじゃない。それでも、やはりしんどい。

書類のやり取りからにじみ出る感情

ある相続案件で、きょうだい3人からそれぞれ「言い分」がメールで届いたことがある。形式は整っているが、言葉の節々から相手への不信と怒りが透けて見える。「兄は父の看病を一度もせず、遺産だけ主張している」「妹は勝手に仏壇を持っていった」――もうこれは感情のぶつけ合いだ。けれど、それを“手続き”に変換しないと前に進まないのが司法書士の役割であり、苦悩でもある。

言葉では語られない、目線と沈黙

面談時、3人が揃った場では、誰も最初に口を開こうとしなかった。誰かが喋れば、誰かがため息をつく。目線は合わせず、書類の内容にだけ集中しているふりをしていた。沈黙が一番つらい。怒鳴られる方が、まだマシだと思えるくらい、張りつめた空気にこっちが耐えられなくなる。

もつれた糸のような家族関係

揉めている家族は、何か大きな事件があったわけではないことが多い。むしろ「些細なこと」の積み重ねが限界を超えた結果というケースがほとんどだ。誤解、思い込み、連絡不足――そのどれもが小さな火種で、いつしか大火事になってしまう。

きっかけは、ほんの些細な誤解から

生前、親が誰に何を言ったか。それが記憶違いだったり、伝え方が曖昧だったりすると、「自分は信用されていなかったのか」と疑心暗鬼になる。たとえば「長男に家を継がせたい」と言った言葉が、次男には「差別された」と響く。家族だからこそ、許せないことが増えるのかもしれない。

誰が悪いわけでもない。それが一番やっかい

相続争いで困るのは、誰が明確に「悪者」かという線引きができないことだ。それぞれの立場に正当性があり、それぞれが「自分が一番我慢してきた」と思っている。だから、誰も引かない。そして司法書士は、そこに巻き込まれていく。

「公平」と「平等」は違うという現実

「法律的には平等です」と伝えるたびに、相手の顔がこわばるのを見ることがある。平等=正義と思われがちだが、家族の中では「公平」の方が重視されることもあるのだ。現実の感情は、法とは違う尺度で動いている。

法律だけでは割り切れない感情の壁

例えば、親の介護を一手に引き受けていた人が、「きょうだいと同じ割合で相続」と言われて納得するはずがない。理屈ではわかっていても、感情は別だ。司法書士がいくら「法律では…」と説明しても、「先生にはわからないでしょうね」と言われたら、何も返せない。

一番世話をしていた人の葛藤

「親の最後を看取ったのは私なんです」と、涙を浮かべて語った女性がいた。数年間、実家で介護しながら自分の生活を削ってきた。その人にとって、遺産は「対価」ではない。せめて自分の気持ちを認めてほしい、という叫びだった。

何もしてこなかった人の主張

一方で、遠方にいて介護できなかった人にも、それなりの言い分がある。「やれる範囲で援助はしてきた」「親もそれでいいと言っていた」など、疎外されていたという自覚はない。どちらも正しい。でも、噛み合わない。それが相続の現場の難しさだ。

調整役に回る司法書士の孤独

こういう現場での私は、調整役というより「火消し役」だ。書類をそろえるだけで済めばどれだけ楽か。実際には、感情の衝突をいかに表に出さず処理するか、という作業にエネルギーを奪われる。

法律家なのか、聞き役なのか

「先生、ちょっと聞いてくださいよ」と、話が始まると止まらない。愚痴、不満、過去の怒り――もはや相続とは無関係な話まで飛び出してくる。でも、それを遮ったら場が壊れる。だから、聞く。けれど、本音を言えば「こっちも聞いてるだけでツラいんですよ」と言いたくなることもある。

板挟みに耐える日々の疲れ

兄弟それぞれの電話に出て、違う主張を聞き、どちらにも同じテンションで対応する。客観的でいようと努めるほど、自分の中が削れていくような感覚になる。正直、週末になると頭が真っ白になることもある。

ふとした一言で空気が変わることがある

けれど、そんな中でも、ごく稀に「ほっ」とする瞬間がある。争いの中で、ふとしたきっかけから本音がこぼれ落ちるとき。それは怒りでも主張でもなく、ただの「想い」だ。そこに、家族の形の原点が見える。

「あの人は本当は…」と語られた想い

ある日、長女の方がこう言った。「兄は不器用で、でも、父のことは一番気にしてました」。それまで敵視していた兄に対して、ふと漏れた言葉だった。たったそれだけで、場の空気がやわらいだ。その瞬間を、私は忘れない。

怒りの奥にあった、悲しみと後悔

「本当は、もっと話したかったんです」。亡くなった親との関係に未練があるからこそ、きょうだい間で感情がぶつかる。怒りの裏には、実は深い悲しみがある。司法書士はそれに気づいても、直接触れることはできない。ただ、そっと見守るだけだ。

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私が崩しかけたとき、ふと聞こえた言葉

感情のぶつかり合いの調整に疲れ果て、「もうこの仕事向いてないんじゃないか」と思うことがある。そんなとき、依頼人のひと言に救われることがある。たとえ一瞬でも、「わかってもらえた」と思えるその瞬間が、続ける理由になる。

「先生、大変ですね」と言われて泣きそうになった

ある案件で、無口だった依頼人が手続きの最後にポツリと、「先生、大変ですね」と言った。たったそれだけ。でも、それだけで「報われた」と感じた自分がいた。誰かの“理解”が、どれだけ救いになるか、身に染みてわかった。

書類だけじゃ、人は救えないと思った瞬間

登記や戸籍の手続きは、法律的には“整った”ことで終わる。でも、気持ちは整っていないままの人がほとんどだ。書類だけでは、人の感情は収まらない。その現実を、肌で感じる。だからこそ、もう一歩寄り添いたくなる。でも、その一歩が、とても難しい。

それでも手続きを進める理由

「もうやめたい」と思ったことは一度や二度ではない。それでも、手続きを進めるのは、誰かがやらなきゃならない仕事だからだ。面倒なこと、感情的なこと、それらを“業務”として処理するのが私たち司法書士の役割でもある。だからこそ、逃げずに向き合う。

「誰かがやらなきゃいけない仕事」だから

家族の誰も冷静になれない中で、第三者として淡々と処理していく。書類を揃え、必要な確認をし、期限を守る。当たり前のことを当たり前にやる。それだけでも、ひとつの「役割」としての価値はあると思いたい。

ほんの少しでも関係が戻るなら

「少しだけ話せるようになった」「最初より冷静になれた気がする」。そんな感想がもらえると、「この仕事をやっていてよかった」と思える。関係修復のきっかけをつくれたかもしれない――そんな小さな希望が、次へのエネルギーになる。

相続は「終わり」ではなく、通過点かもしれない

人が亡くなってからの手続きは、「終わり」に見えて、実は残された人たちの「始まり」でもある。家族のかたちが変わる、その節目に立ち会っているのだという感覚がある。そう思えるようになってから、少しだけ気が楽になった。

家族の形が変わる、ひとつの節目

親がいなくなることで、家族は自然と再編される。年賀状の送り先が減り、帰省する理由も減る。そんな中で、改めて「自分たちだけで家族をつくっていく」ことが求められる。相続とは、そういう再構築のスタートラインでもあるのかもしれない。

心に残るのは“分けたもの”ではなく、“言えなかったこと”

遺産の金額や不動産の有無よりも、あとから心に残るのは「ありがとう」や「ごめんね」と言えなかったことだと、何度も感じてきた。言葉にできない想いが、相続の場で噴き出す。それを受け止める仕事だと、割り切るしかない。

今日もまた、書類の向こうに感情を見る

登記簿の数字や遺産分割協議書の文字列。その向こうに、複雑な人間関係と、誰にも言えない想いがある。司法書士として、そこにどこまで踏み込むべきか、いつも悩む。それでも私は今日も、愚痴をこぼしながら、次の相談者のために書類をめくっている。

形式を超えたところにある「人間の営み」

相続という“制度”を扱っているはずなのに、そこで向き合うのは結局“人”だ。形式の正しさと、感情の不器用さ。その両方をどうにかすり合わせる。それが、私の仕事であり、終わりのない日常だ。

そして、愚痴をこぼしながら、また次の相談へ

「またか…」と思いながらも、「今度こそは何か伝えられるかも」と期待してしまう自分がいる。疲れるし、めんどくさい。でも、たまに見える“家族の本当の想い”が、心にしみる。それだけで、明日も机に向かう理由になる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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