今日も帰り道は一人きり(でもまあ自由だ)を乗り越える方法という日常

今日も帰り道は一人きり(でもまあ自由だ)を乗り越える方法という日常

一人きりの帰り道に感じる虚しさ

夕方、法務局からの帰り道。車を走らせながら、ラジオの音に耳を傾けるふりをしながら、実は何も聞いていないことに気づく。仕事が一区切りついたその瞬間から、ふと心にぽっかりと穴が開いたような感覚が広がってくる。今日もまた、帰る家には誰もいない。家の電気も、自分でつける。温かい言葉も、出迎えの笑顔も、あるわけがない。

仕事が終わった瞬間、心に広がる空白

依頼者との面談が終わり、書類の処理を終えた瞬間、達成感と一緒にやってくるのが空虚感。誰かに「お疲れさま」と言ってもらうこともないし、自分の頑張りを分かち合う相手もいない。事務所の戸締まりをしながら、「今日も何とか終わったな」と独りごちる。その一言に、少しだけ寂しさが混じっていることに気づくのは、夜道に出たあとだった。

夜道の静けさが胸に染みる理由

田舎町の夜道は静かだ。人の気配もまばらで、たまにすれ違う車のライトがやけに眩しく感じる。そんな中を、ただ車を走らせていると、自分の孤独がやけに浮き彫りになる。若い頃は一人の時間が好きだったが、今はその静けさが心を刺す。家族連れの姿や、居酒屋から漏れる笑い声が、まるで別の世界の話に思える。

「でもまあ自由だ」と自分に言い聞かせる夜

誰にも予定を合わせることなく、好きな時間に帰って、好きなものを食べる。それは確かに「自由」ではあるけれど、それが本当に望んでいた形だったのか、時々自問してしまう。自由には責任が伴う。孤独という副作用もある。夜のコンビニで缶ビールを手に取るたび、自由と引き換えにしたものの重さを噛みしめている。

自由と孤独は表裏一体なのか

誰かと暮らすことを選ばなかった自分にとって、自由は確かにありがたい。だが、その自由が時として、寂しさや焦りに変わる。周りが結婚し、家族を持ち、子どもと過ごす時間をSNSにアップしているのを見ると、自分の選択が間違っていたのではないかと、心のどこかで不安になる瞬間もある。

誰にも縛られないことの代償

束縛されない代わりに、誰かに甘えることもできない。風邪を引いた日も、部屋で倒れそうになった日も、すべて一人で乗り越えるしかない。それを「慣れ」と呼ぶこともできるが、「孤独」と呼ぶのが正直なところだ。自分で決めたこととはいえ、その重みは、年を重ねるごとに増してくる。

司法書士という仕事と孤独の相性

この仕事は、基本的に一人で完結することが多い。依頼者と面談して、書類を作って、法務局に行って…。事務員もいるが、そこに情緒的なつながりは薄い。感謝の言葉はあっても、心の交流は少ない。そんな日々を続けていると、人と話すこと自体が億劫になってきたりする。

依頼者の人生に寄り添っているようで、実は一人

登記や相続、遺言など、人の人生に深く関わる業務であるはずなのに、自分自身はその中に入り込めない。事務的にこなすことが求められるからこそ、感情を出すこともないし、出されることもない。まるで、人生の縁に立ち会っているのに、蚊帳の外にいるような感覚だ。

感謝されても、心は埋まらない

「本当に助かりました」「先生にお願いしてよかったです」——そう言ってもらえることは、確かに嬉しい。でも、それが終わればまた日常に戻る。その言葉の温もりも、夜の静けさに飲まれて消えていく。やっぱり、自分の人生には、もう少しだけ誰かとのつながりが欲しい。

事務所を出た後の“無”の時間の意味

パソコンの電源を落とし、カバンを持って帰るだけの時間。音もなく、思考もなく、ただ「帰る」という作業をしているだけのような日がある。そんな“無”の時間を、どうやって意味あるものに変えるかは、自分に課せられた宿題かもしれない。

誰かと話すことがない帰路の重さ

事務員と軽く「お疲れさま」と交わして、それっきり。電話もLINEも鳴らない。帰り道、車内の静けさが逆にうるさく感じる。音楽を流してみても、頭の中の雑念が止まらない。誰かと今日のことを語り合えたら、少しは違うのかもしれない。

自由時間の使い道に迷う日々

時間はある。けれど、何をしていいのかわからない。趣味も中途半端、運動もしない、友達とも疎遠。そんな中で、時間だけが流れていく。何かに没頭できる人が羨ましい。自分には「楽しむ力」がどこかで欠けてしまっているのかもしれない。

YouTube、コンビニ、そしてため息

帰宅後、とりあえずYouTubeを開く。おすすめに出てきた動画をボーっと眺めて、気づけば2時間経っている。風呂に入るのも面倒になって、コンビニで買った弁当をつつきながら、なんとなくの一日が終わる。そしてまた、明日が始まる。

「一人でいい」と「一人はつらい」のあいだ

どちらが本音か、自分でもわからない時がある。一人が気楽なのも事実。でも、ふとした瞬間に誰かの存在を求めてしまう自分もいる。この矛盾を抱えながら生きるのが、いまの自分の日常なのかもしれない。

強がりと本音のすれ違い

「別に一人が気楽でいいよ」と言いつつ、心のどこかでは「誰かといたい」と思っている。この強がりと本音のすれ違いが、自分自身を一番疲れさせている気がする。素直になれればいいのに、それができないのは、過去の失敗や傷が影響しているのかもしれない。

選んだのか、選ばされたのか

この生活は本当に「自分が望んだもの」だったのか。仕事を優先するうちに、気づけばこうなっていたのではないか。選んだつもりで、実は流されてきたのかもしれない。その真実に目を背けたくて、自由という言葉を盾にしている。

「忙しいから」と言い訳してきた過去

誰かに誘われても、「仕事が忙しいから」と断ってきた。でも本当は、怖かっただけかもしれない。傷つくのが。関係を築くのが。だから、仕事に逃げてきた。そして今、少しずつそのツケを払っているような気がしてならない。

でも本当は、誰かが欲しかった

心の底では、ずっと誰かと一緒にいたかった。笑って、喧嘩して、それでも隣にいてくれるような存在。でもそれをうまく求める方法がわからなかった。今さら遅いかもしれないけど、それでも「これから」を諦めるのは、まだ早いと思いたい。

乗り越える、というより「やり過ごす」技術

孤独を完全になくすことはできない。でも、向き合い方を変えれば、少しはラクになることもある。乗り越えるというより、受け入れて、やり過ごす。そんな日々を繰り返していく中で、心が少しだけ軽くなる瞬間もある。

心が壊れないための小さな工夫

朝、散歩してみる。コンビニじゃなくてスーパーに寄る。人とすれ違ったら挨拶してみる。そんな小さな行動が、少しずつ心のバランスを保ってくれる気がする。完璧な解決じゃなくても、崩れないための支えにはなる。

仕事に逃げることの功と罪

仕事は逃げ場にもなるし、誇りにもなる。でも、逃げすぎると、自分自身の本音を見失う。だから、時々立ち止まって、自分に問いかけることが必要だ。「本当にこのままでいいのか?」と。

同じように孤独な誰かへ

この文章を読んでいる誰かが、もし同じように帰り道の寂しさを感じているなら、少しでも「自分だけじゃない」と思ってもらえたら嬉しい。孤独はつらい。でも、共有できる孤独は、少しだけ優しい。

一人きりの帰り道も、誰かの悩みに繋がるなら

司法書士という仕事を通して、人の人生に関わることがあるように、自分の孤独も誰かの役に立てるのかもしれない。そう思えば、今日の帰り道も、少しは意味のある時間になる気がする。

「共感」という灯りを灯すという日常

言葉にして、吐き出すことで、心が少し楽になる。誰かの声に耳を傾けることで、自分も救われる。そんなふうに、日々の中で小さな灯りを灯していけたら、孤独な夜も、少しはあたたかくなる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。