恋愛に縁のないまま気づけばこの年齢になっていた

恋愛に縁のないまま気づけばこの年齢になっていた

人としては普通に生きてきたつもりなんだけど

自分なりに真面目に生きてきたつもりだ。司法書士として責任ある仕事をこなし、社会の一員として何とかやってきた。それでも、気づけば「恋愛経験がない」という事実が、自分の人生の一部として重くのしかかるようになっていた。別にモテたいわけじゃない。ただ、誰かと一緒に笑ったり、何気ない会話をしたり、そういう小さな出来事を積み重ねる人生を想像していたのに、現実はどうにもズレてしまった。気づけば周囲は家庭を持ち、子どもの話をしている。自分はひとり、休日にコンビニで夕食を買う。

学生時代は野球ばかりで恋愛どころじゃなかった

高校までは本当に野球漬けだった。毎日グラウンドで汗まみれになって、泥だらけのユニフォームで帰宅して、風呂に入って寝るだけの日々。女子と話すこと自体がほとんどなかった。部活内に恋愛ムードなんてなかったし、試合で勝つことがすべてだった。周りには彼女のいるやつもいたけど、自分は「今はそれどころじゃない」と思っていた。気がつけば、気軽に異性と接するタイミングを逃していたのかもしれない。

社会に出てからも恋愛より仕事が優先だった

資格取得後、司法書士として独立するまでの修行期間は地獄のようだった。日中は先輩の下で業務をこなし、夜は自分の知識を補うためにひたすら勉強。恋愛は友達付き合いすらほとんどしていなかった。そこからなんとか自分の事務所を立ち上げ、事務員さんを雇って今に至る。でも、事務所を回す責任の重さと、地方という土地柄、人との新しい出会いもほとんどないまま、時間だけが流れていった。

自分だけが取り残されているような感覚

年齢を重ねるにつれて、「自分だけ取り残されている」という感覚が強くなってきた。特に正月や盆、同級生との再会がある時期はつらい。「うちの子が今年中学でさ~」なんて話題が当たり前に交わされる中、ひとりだけ話に加われない自分がいる。疎外感というより、存在していないみたいな感覚すらある。

同級生の「家族」の話題がしんどい

久々に同窓会に顔を出しても、話題は子どもか奥さんのことばかり。「先生は結婚されてるんですか?」と聞かれ、「いや、まだ独身で」と答えると、その場が少しだけ沈黙するあの空気が苦手だ。悪気はないのは分かってるけど、こっちもどう答えたらいいのか分からない。恋愛経験がないなんて、まさか言えない。

マッチングアプリを開いても開いても閉じるだけ

時代に乗ろうと、マッチングアプリを何度かインストールしてみた。でも、開いては閉じてを繰り返すだけだった。プロフィール文ひとつ書けない。「司法書士です」「趣味は特にありません」「家族構成は一人です」…そんなの、誰が興味を持ってくれるんだろう。

プロフィール文すら書けずに終わる

「はじめまして!真剣にお相手を探しています」なんてテンプレート文を何度も消しては、最終的に保存せずにアプリを閉じてしまう。自分をよく見せようとすればするほど、何かが嘘になる気がする。結局、ありのままの自分をさらけ出す勇気もなければ、嘘をつく器用さも持ち合わせていない。

「いいね」が来てもなぜか怖くて返信できない

奇跡的に誰かから「いいね」が来たこともあった。でも、開いた瞬間、心臓がバクバクして、結局何も返せなかった。「この人、どうして自分に?」という疑念が勝ってしまい、返信ボタンを押すことができなかった。やりとりが始まれば、いつか「経験がない」ことがバレてしまう。そう思うと怖くて進めなかった。

そもそも「恋愛する資格」があるのか分からない

若い頃は、「自分にはまだ可能性がある」と思っていた。けれど、この歳になって振り返ると、自分には「恋愛する資格」なんてないんじゃないかとすら思えてくる。人を好きになる感情すら、どこかに置いてきてしまったような感覚だ。

優しさって恋愛においては評価されないんじゃないか

「優しい人がいい」という言葉、何度も聞いた。でも、それって「当たり前のことをちゃんとする人」の話であって、「恋愛の経験がなくて、気遣いしかできない人」はただの都合のいい人で終わることが多い。優しさは、自分を守るための言い訳になっていたのかもしれない。

仕事ばかりしてきた人間に魅力なんてあるのか

司法書士という職業柄、人の人生には関わるが、自分の人生は停滞しているように感じる。日々、登記や遺言、相続の処理に追われて、気がつけば自分のことは二の次三の次。そんな生活に慣れすぎて、もはや人間らしさを失っているのではと思う瞬間もある。

たまの休みに何をしていいか分からない

久しぶりに一日オフになると、何をして過ごせばいいか分からない。友人と遊ぶ予定もなければ、デートの約束もない。結局、散歩か録画した野球中継を観るだけ。誰かと過ごす休日がどんなものか、もう想像もつかない。

休日の孤独が静かに心を蝕んでいく

日曜の午後、コーヒーを飲みながら静かに流れる時間。その中にいる自分の存在が、まるで意味のないものに思えてくる瞬間がある。何も悪くない。ただ、誰にも必要とされていない気がする。仕事の忙しさで誤魔化していた感情が、休日にだけ顔を出してくる。

司法書士という仕事は、意外と人恋しい

相続や離婚、家族の問題など、人の人生の深部に関わることが多い仕事。だからこそ、自分が「誰とも深くつながっていない」ことにふと気づかされる瞬間がある。書類の山の中で、ふと感じる孤独。それを誰に言えばいいのかも分からない。

他人の人生に深く関わるからこそ、自分の孤独が浮き彫りに

「父が亡くなりまして…」「子どもたちに迷惑をかけたくないんです」そういう相談を受けるたび、こちらは専門家として冷静に対応する。でも、帰宅後、一人の食卓でふと考える。「この人たちは家族がいるけど、自分には?」と。比べても仕方がないのに、どうしても心がざわついてしまう。

「先生はどうなんですか?」という質問が一番痛い

何気ない雑談で「先生はご家族いらっしゃるんですか?」と聞かれると、毎回内心で身構える。「いえ、一人なんです」と答えるたび、相手が気を遣った表情を見せる。そこで話題が切り替わるのが常だけど、それが逆に寂しさを引き立てる。

これからの人生をどう過ごすか

もう若くはない。でも、まだ何かを始めるには遅すぎない気もしている。誰かと過ごす未来を完全に諦めたわけじゃない。けれど、焦って空回りするより、少し立ち止まってもいいのかもしれない。そう思えるようになってきた。

誰かと生きることを諦めたわけじゃない

諦めてしまえば楽になるのかもしれない。でも、自分がこれまで築いてきた経験や優しさが、誰かにとって必要になる日が来るかもしれない。そう信じる気持ちがある限り、恋愛というものを完全に投げ捨てることはできない。

ただ、今は少し休憩してもいい気がしている

恋愛も、仕事も、全部頑張ろうとすると疲れてしまう。だからこそ、今は少し肩の力を抜いて、「自分がどうありたいか」に耳を傾けている。そうすれば、いつかきっと誰かと自然に出会える気がする。無理に求めず、でも心は閉ざさずに。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。