業務の合間に心が抜け落ちる――“空白”の時間に潜むもの
日々、書類と締切に追われながら過ごしていると、ふとした瞬間に「心がどこかに行ってしまった」ような感覚に襲われることがあります。頭は働いているはずなのに、指が止まり、次に何をするべきかもぼやけてしまう。その空白の時間はわずか数分かもしれませんが、積み重なればじわじわと自分を蝕んでいく。この感覚に名前をつけるなら、“心の欠損”なのかもしれません。司法書士という職業の特性上、気を抜くことが許されない毎日。その反動が、業務の“スキマ”に現れるのではないかと感じています。
ふと気づくと、心ここにあらず
集中していたはずが、急に手が止まる瞬間
午前中に登記関係の書類を2件チェックし、午後は相続の相談。事務員には郵送書類の準備を頼んでいたはず…と思った次の瞬間、ふとペンが止まりました。「…あれ、いま何してたっけ?」そんな感覚です。決して眠いわけではないし、集中していないつもりもない。でも、突然意識が浮いてしまうような、まるで魂だけが席を外しているような不思議な感覚。それは疲労とも違う、言葉にしにくい“空白”のようなものでした。
「この仕事、何のためにやってるんだっけ?」という問い
そんな空白の中で、思考が勝手に問いを生みます。「この仕事って、誰のためにやってるんだろう」「今日の仕事、意味あるのかな」。依頼人がいて、書類の整備が必要で、自分の責任でやるべきことは明白です。それでも、その“意味”が心に響かなくなる瞬間がある。まるで毎日、書類の山に追われるうちに、自分の存在理由さえ霞んでしまうような感覚です。
小さな“抜け”が積み重なる恐怖
登記の確認ミス、書類の宛先ミス…原因は“ぼんやり”
「えっ、この住所間違ってるじゃないか」―自分で投函した後に気づくミスほど怖いものはありません。しっかり確認したつもりでも、どこかで“抜け”が生じている。その原因は、焦りや忙しさだけではなく、意識の“ぼんやり”がもたらしている気がしています。たった一つの住所間違いで、依頼人との信頼関係が揺らぐこともある。司法書士にとって、“スキ”は命取りなのに、そのスキがどこからともなく忍び寄ってくるのです。
それでも業務は待ってくれない現実
どれだけ疲れていても、どれだけ迷っていても、目の前の案件は止まりません。たとえば午前中に登記の電話相談が入り、そのまま裁判所に出す添付書類の確認、午後は訪問予定の高齢者宅での書類署名。1日のどこに“心を整える時間”があるのか、疑問に思うほど詰め込まれています。そうして“心”がついてこないまま、“体”だけが予定をこなしていくような日々が続くと、確実にどこかに“抜け”が生まれるのです。
事務所経営と孤独感の狭間
事務員がいても、結局は一人で抱える責任
事務員が一人いるとはいえ、業務の最終確認や判断はすべて自分。特に司法書士の署名・押印を伴う処理では、責任を分散することはできません。ミスがあればすべて自分に返ってくる。事務員には相談できないような内容や、判断が微妙な案件も多い。結局、気軽に“どう思う?”と話せる相手がいないということが、余計に自分を孤立させている気がします。
「誰かに相談したい」が言い出せない日々
司法書士同士で集まる機会があっても、仕事の愚痴や不安を本音で話す場は限られています。「あの人、疲れてるんじゃない?」と思われたくないという防御反応もありますし、聞いてもらったところで現実が変わるわけじゃないという諦めもある。だからこそ、自分の中だけでぐるぐる考えてしまい、気づけば心が“迷子”になってしまうのです。
時間の“スキマ”に迷い込む心
次の仕事までの10分で、急に落ち込む理由
意外と危険なのが、“10分の空白時間”。例えば、次の相談者が来るまでのちょっとした時間や、書類のプリント待ちの数分。予定が空いたことでふと気が緩み、考えなくてもよかったことが頭をよぎる。「あの依頼人、なんだか気まずい顔してたな…」「また同じこと、聞き返してしまったかも」など、自己否定的な思考が静かに押し寄せてくるのです。
予定がすべて埋まっている方が気が楽という皮肉
「忙しい方が楽」というのは、矛盾しているようですが本音です。スケジュールがぎっしり詰まっていると、余計なことを考えずに済みます。でも、それは“逃避”に過ぎないのかもしれません。本来は向き合うべき心の声を、業務で押し込めているだけ。気づかぬうちに心の“借金”が膨らんでいき、ある日突然、重くのしかかってくるのです。
この感覚に名前をつけるなら
燃え尽きではなく、じわじわ削られていく感覚
“バーンアウト”というには派手さがなく、かといって元気なわけでもない。ただじわじわと、確実に心のエネルギーが削られていく。これが一番近い表現かもしれません。何か大きな失敗があったわけでもなく、誰かに叱られたわけでもない。でも、気づけば笑えなくなっていたり、食事の味がしなかったりする。それが日常になりつつあるのが、また怖いところです。
「迷子」になったのは、仕事じゃなく“心”
自分の業務は回っているし、予定もこなしている。でも、その中に自分の“心”がちゃんと存在しているかと聞かれると、自信がありません。「やっている自分」と「感じている自分」がズレてしまっているような、そんな違和感。この“心の不在”に気づいていながらも、見ないふりをして進み続けるのが、今の私の現状なのかもしれません。
司法書士という仕事の構造的な“欠損”
完璧を求められるのに、人間らしさは邪魔になる
司法書士の仕事では、書類の不備一つで手続きがストップしたり、信頼を損ねるリスクがあります。そのため、極端に「ミスをしない」ことが求められ、人間的な揺らぎや迷いは“ノイズ”扱いされがちです。でも、人間なのだから当然疲れるし、不安になる。それが許容されにくい風土の中で、心が押しつぶされていく。これが、構造的な“欠損”だと感じています。
ミスを許されない職業の“正しさ疲れ”
“正しくあること”に全力を注ぎ続けると、知らぬ間に心が磨耗していきます。「あれもこれも確認したか?」「全ての要件を満たしているか?」と自問自答する日々。たとえば登記完了後に、ふと「本当にこれで良かったのか」と不安が湧き上がる。正しさの追求が、疲労という形で跳ね返ってくるのです。
どう向き合えばいいのか
休んでも回復しないのはなぜか
少し休みを取ってみたこともあります。温泉に行き、自然を眺め、スマホを見ない時間を意識して過ごしました。でも、戻ってきてみると、また同じ空白感がすぐに顔を出す。これは肉体的な疲労ではなく、もっと根の深い“心の疲れ”なのかもしれません。つまり、根本的な「在り方」への問いが、私たち司法書士には必要なのだと思います。
同業者との“本音”の対話が救いになるかもしれない
実は最近、地域の若手司法書士とお茶をする機会がありました。仕事の悩みや“迷子の時間”について話してみたところ、「実は自分もそういうときがある」と返ってきた。その瞬間、少しだけ心が軽くなった気がしました。誰かと“本音で話す”という、たったそれだけのことが、迷子の心を少しだけ引き戻してくれるのかもしれません。