相談される側にも、不安がある
「なんでも相談してくださいね」と言うのは簡単だけれど、実際には相談される側も不安を抱えていることがある。自分も司法書士として、依頼者から日々多くの相談を受けているが、「自分に本当に答えられるのか」というプレッシャーは常につきまとう。そういう不安を抱えたまま「大丈夫ですよ」と笑って見せるのは、時にしんどい。相談されるというのは、信頼の証だとわかっていても、完璧に応えられる自信がないとき、人は思った以上に揺れる。
「またか」と思われたくない気持ち
相談する側も、何度も同じようなことで相談すると「またかよ」と思われるんじゃないかと不安になる。自分もかつて、同業の先輩に何度か相談したときに、ちょっと嫌そうな顔をされた経験がある。それ以来、簡単なことでも聞けなくなってしまった。だからこそ、自分のところに相談に来る人には、同じ思いをさせたくないと思う。でも、忙しい時には顔に出てしまうこともあるから、自分の表情や態度には気をつけているつもりだ。信頼関係って、ほんの小さな反応で壊れてしまうものだから。
忙しい時に話しかけられる罪悪感
相談に来てくれた人の話をちゃんと聞いてあげたいのに、頭の中では次の登記のことや裁判所の期日のことがぐるぐる回っている。「今じゃないとダメかな…」なんて思いながら聞いてしまう自分に、罪悪感を抱く。逆に自分が誰かに話を聞いてほしいとき、相手がスマホをいじりながらうわの空だとしたら、やっぱり傷つく。それがわかっているからこそ、目の前の人に全力で向き合いたい。でも現実は、理想通りにはいかない。そんな自分の中の矛盾にも、また疲れてしまう。
司法書士だって人に頼りたい
よく「先生はしっかりしていて安心です」と言われるけれど、本当はそんなに強くない。ただ、人に弱音を吐ける場所が少ないだけだ。士業という立場のせいなのか、プライドなのか、自分でもわからないけど、助けてって言えないのが現実だ。独立してしまえば、なおさら。誰かに頼ることが「負け」のように思えてしまう。だけど、本音を言えば、たまには弱音を吐きたいし、「今日、ちょっとしんどくてさ」と言える相手がいたらどれだけ救われるか。
相談できる相手がいない現実
周りに相談できそうな人がいないわけじゃない。でも「忙しそうだな」とか「こんなこと話していいのかな」とか、余計な気を回して、結局一人で抱え込んでしまう。実際、開業してからずっとそんな感じだ。夜中、コンビニでカップラーメンを買って帰る途中に、ふと涙が出そうになることもある。誰かに「それ、わかるよ」と言ってもらえるだけで、たぶん十分なのに。その「誰か」がいないのが、今の自分の現実だ。
事務員さんには言えないこともある
うちの事務員さんはとてもよくやってくれている。正直、彼女がいなかったら回らないくらい頼りにしている。でも、だからこそ、こっちの不安や弱音を見せてはいけない気がしてしまう。安心して働いてもらいたいし、余計な気を使わせたくない。事務所の雰囲気を壊したくないという思いもある。結果として、また自分の中にため込む。誰かのためを思って飲み込んだ言葉が、自分の中で毒になることもあるんだなと、最近つくづく感じている。
士業同士の壁、けっこう分厚い
士業の世界って、表面上は仲が良さそうに見えて、けっこうドライだ。同業者の飲み会でも、本音を語るというよりは情報交換や自慢話が中心で、弱みを見せる空気ではない。自分も最初は、そんな場で「うち、今月ピンチでさ…」なんて冗談めかして言ってみたことがあるけど、場が一瞬シーンとなった。あれは堪えた。みんなが頑張っているのはわかるけど、その中で孤独を感じているのは、きっと自分だけじゃないと思いたい。
「それくらいのことで」と言われた経験
昔、ある人に仕事の悩みを相談したとき、「そんなのみんな同じだよ」と一蹴されたことがある。それ以来、自分の悩みは小さいものだと思い込む癖がついてしまった。「そんなことで悩んでるの?」って言葉は、本当に人を黙らせる。たとえ善意でも、相手の苦しみを否定することになる。それを言われるくらいなら、最初から相談しない方がマシだと思ってしまう。その結果、人はますます孤立していく。
心がすり減る何気ない一言
「ちゃんとしてそうなのに意外ですね」「先生ってメンタル強そうだから大丈夫でしょ?」そんな何気ない一言が、どれだけ心に刺さるか。こっちは強がってるだけなのに、それを「当然」みたいに言われると、なんだか演じることをやめられなくなる。そうしてどんどん、素の自分がわからなくなっていく。相談したいのに、相談できない。自分で自分にブレーキをかけてしまう。そんな経験、きっと誰にでもあると思う。
無意識に誰かを傷つけていた自分にも気づく
怖いのは、自分が同じようなことを、他人に言ってしまっていたかもしれないことだ。「そのくらいなら大丈夫じゃない?」と軽く返したこと、正直ある。相手の表情が曇ったのに、気づかないふりをしたこともある。今思えば、それもまた自分の余裕のなさだったのかもしれない。だからこそ今は、「どんなことでも気軽に話せる関係性」を、ちゃんと意識してつくっていきたいと思うようになった。自分も、人も、壊れないために。
この事務所が「話せる場所」になれたら
司法書士事務所というと、堅苦しいイメージがあるかもしれない。でも、目指したいのはもっと柔らかくて、人の気持ちがほどけるような場所だ。悩みを抱えたままじゃ、どんな手続きも前に進まないことがある。登記でも相続でも、まずは「話すこと」から始めてほしい。そんなふうに思えるようになったのは、自分自身が「話す場所」を探していたからかもしれない。
悩みを抱えたままの依頼者に寄り添いたい
手続きのことだけ聞かれて終わる関係じゃなくて、その裏にある「しんどさ」や「不安」にも気づけるようでありたい。相続の相談に来た方が、「実は兄弟と関係がこじれてて…」と話し出したとき、心の奥を見せてもらえた気がして、こちらも姿勢が変わった。そういう瞬間に、この仕事をしていて良かったと感じる。だからこそ、自分の心も開いておきたい。そうでなければ、人の痛みになんて寄り添えない。
登記の前に、ため息を受け止める仕事
書類を整える前に、その人が抱える思いを受け止める。そんな司法書士でいたいと思う。すべての相談に応えられるわけじゃない。でも「こんなことで相談していいのかな」と迷っていた人が、「相談してよかった」と思ってくれるような場所をつくりたい。それは、誰かのためであり、自分自身の救いでもあるから。