はじまりは仮登記簿の一件
机の上に置かれた分厚い登記簿謄本。表紙には薄く黄ばんだ「仮登記」の文字。ぼんやり眺めながら、俺はコーヒーを啜った。朝からサトウさんは機嫌が悪そうで、話しかける勇気が出なかった。
「先生、この仮登記、昭和の終わり頃のですよ」サトウさんが無表情で言う。まるでサザエさんの波平に説教されるカツオの気分だった。しかもこの仮登記、どうやら普通の手続きじゃなかった。
依頼人は寡黙な老人。土地の名義を移したいと言うが、その理由があまりに曖昧だった。何か隠している。それが直感だった。
古い依頼と古びた書類
依頼されたのは、ある農地の仮登記の抹消登記。しかし所有権移転の理由が一向に見えてこない。提出された書類の中には、印鑑証明書の日付が妙に新しいものが混じっていた。
「これ、昭和の登記なのに、令和の印鑑証明出してきてますけど」サトウさんの指摘は鋭かった。俺は手元の書類をじっと見つめ、ふと違和感を覚えた。
この仮登記は本当に実行されたのか?あるいは、実行されたことにして“何か”を隠そうとしているのか。
沈黙する依頼人の視線
再訪した依頼人は、目を合わせようとしなかった。問いかけにも「古い話でしてな……」と濁す。俺の中で疑念が確信に変わる。
サトウさんがポツリと「こういうときって、だいたいアレですよね。誰か死んでるパターン」と言った。ゾッとするような冗談に思えたが、俺の脳裏に“失踪者”の言葉が浮かんだ。
もしかして、この土地の本当の所有者は……。
消えた所有者と残された印鑑証明書
調べていくうちに、この土地の元々の所有者・山下という人物が行方不明であることが分かった。失踪届は出されていないが、10年以上消息がない。
仮登記をした側とされた側、双方の記録が曖昧だ。さらに不可解なのは、提出された書類にあった署名の筆跡。別人のように感じられた。
俺は市役所へ足を運び、旧住所を調べ、かつての近隣住民に話を聞いた。だが、皆口を揃えて「山下さん?ずっと前に東京行ったっきり」と答えるだけだった。
矛盾する日付と筆跡の謎
再度、サトウさんに筆跡を見せると、「このサイン、最近のボールペンで書かれてますね」と呟いた。昭和の契約書に令和の筆記具。これは完全にアウトだ。
「先生、これ多分、偽造ですね」とサトウさんが言い切る。まるで名探偵コナンの阿笠博士のような声色で。俺の胃がまた痛み出した。
だが、証拠は足りない。俺たちは法的に追い込む手段を探すしかなかった。
登記簿の裏に潜む気配
その日の夕方、事務所のポストに一通の封筒が投函されていた。差出人不明。中には山下のものと思われる遺書のコピーと、仮登記契約書の破片が入っていた。
「誰かがこの件を公にしたがってる」サトウさんが呟く。俺も同感だった。つまりこれは内部告発だ。
この登記は意図的に虚偽の手続きがなされていた。仮登記は単なる形式ではなく、真実を覆い隠す“布”として使われたのだ。
サトウさんの冷たい推理
「山下さん、多分生きてないですね」サトウさんはまるで天気予報のようなトーンで言った。冷たい、でも正しい。俺も同じ結論に達していた。
問題は、その死を“誰が”隠したか。そして、誰がそれを暴こうとしているのか。俺たちは地元の新聞社へ向かった。
数年前に掲載された小さな記事に、山下が不審な状況で失踪した旨が書かれていた。記事を書いた記者に会い、取材ノートを見せてもらうことになった。
事務所に残る小さな違和感
事務所に戻ると、誰かが書類棚を漁った形跡があった。サトウさんが「泥棒が来ても、この空気の冷たさには敵いませんね」と皮肉を言った。
誰かがこの調査を止めさせようとしている。だけど、逆に火がついた。俺たちは調査を続け、ついに一枚の土地売買契約書を発見する。
そこに署名されていたのは――すでに他界したはずの人物の名だった。
一通のファックスが導いた場所
翌朝、事務所に一本のファックスが届いた。差出人不明。そこには「倉庫を調べよ」とだけ書かれていた。
その住所に行ってみると、錆びた倉庫の奥に古い金庫が置かれていた。中には仮登記に使われた印鑑と、山下の失踪に関する日記が残されていた。
やれやれ、、、とうめき声をあげながら、俺は警察に連絡した。ようやく全てが繋がった気がした。
司法書士シンドウの不器用な聞き込み
俺は関係者を訪ね歩き、話を聞いて回った。元の土地所有者の親族は「あの土地はトラブルだらけだった」と話した。
話をまとめると、山下は土地の権利を巡ってトラブルに巻き込まれ、ある人物によって姿を消された。そして、その人物は仮登記制度を悪用し、形だけの手続きを進めたのだった。
まるでブラックジャックによろしくのような、制度の隙間を突いた犯行だった。
元地主が語った嘘と真実
古びた平屋に住む元地主は、しぶしぶと全てを話してくれた。「あいつ、金が絡むと人が変わるんだ」と吐き捨てるように。
俺たちが集めた証拠と告発文をまとめて提出したところ、警察は動いた。そして、仮登記を依頼してきた老人が事情聴取を受けることになった。
あの沈黙の理由。それは、彼自身が罪の共犯者だったからだ。
仮登記の意味を変えた一言
この事件を通して、俺は仮登記という制度の重みを痛感した。たかが形式、されど法的効果。
悪意ある人間が使えば、真実は簡単に覆い隠される。そのリスクと戦うのが、俺たち司法書士の役割だ。
「先生、今日は珍しくまともなこと言ってますね」とサトウさんが言った。……うるさい。
古い契約書に残された名義
問題の仮登記は、無事抹消された。だが、その背後にあった犯罪は記録に残ることになった。
司法書士の仕事は地味だ。だけど、こうして時には“真実の最後の砦”になることもある。
やれやれ、、、こういう事件があると、つい真面目に働いてしまう。
手続きの裏にあった動機
犯人の動機は借金だった。山下の土地に目をつけ、仮登記制度を利用して資産を奪おうとした。
だが、制度は万能じゃない。正しい使い方をする者がいれば、間違った使い方を暴く者もいる。それが今回の俺たちの役目だった。
事件が終わったあと、サトウさんは無言で缶コーヒーを俺に手渡してきた。少しだけ、優しい味がした。
静かな終幕と届出の行方
月末の事務所は忙しい。登記申請書の山、電話の嵐。そして、また一つ、仮登記の相談が入った。
「今度は、ちゃんとした案件ですよね?」とサトウさんが言う。俺は曖昧に笑って「たぶん」と答えた。
日常は戻った。けれど、この事件が残した爪痕は、俺たちの記憶にしっかり刻まれている。
真相にたどり着いた報告書
事件の報告書を法務局に提出し、役所にも連絡を入れた。ひとまず、やるべきことは終わった。
だけど俺の胸の奥には、未だ何かひっかかるものがある。本当に、全て明るみに出たのだろうか。
いや、これ以上は考えないでおこう。また別の事件が、きっとすぐに俺たちを呼ぶ。
依頼人の微笑と司法書士の独り言
後日、依頼人の妻が事務所に現れ、小さく頭を下げていった。「夫の罪を正してくれてありがとう」と。
俺はただ黙ってうなずくしかなかった。こんな俺でも、人の役に立てたのだろうか。そう思いたい。
やれやれ、、、またサトウさんに怒られないよう、書類整理でもしておこう。