季節が変わっていたことに気づけなかった朝
朝の空気に違和感を覚えたのは、もう桜が散ったあとだった。少し冷たい風に、いつの間にか入れ替わった匂いが混ざっていた。ふとカーテン越しに見えた日差しの角度が変わっていることにも気づく。思えば、今年は桜を見に行くどころか、道端の花にも目を向けなかった。机に向かい、依頼書類と登記の入力に追われているうちに、季節のバトンはとうに次へと渡されていたのだ。
ふとした瞬間に感じた空気の違い
季節の変わり目というのは、カレンダーを見て知るものではない。空気の重たさや軽さ、風の匂い、朝の光の柔らかさが教えてくれる。だがその微細なサインを受け取れる感受性は、忙しさにかまけていると失われてしまう。先日、朝のコンビニで温かい缶コーヒーを手に取って、ふと「もう冷たいほうがいい季節なのか」と思った。そんな些細な気づきが、胸のどこかに小さな寂しさを残す。
コンビニの棚が教えてくれた季節の移ろい
コンビニは季節を先取りする。アイスの種類が増えていたり、レジ前に冷やし中華が並び始めると、嫌でも「夏が来るんだな」と思わされる。忙しさにかまけて季節の感覚を失っている自分にとって、もはや一番リアルな季節の情報源かもしれない。自然を感じる余裕はなくても、冷やし中華のラベルは確実に「今」を突きつけてくるのだ。
道端の花に気づけなかった自分
毎朝、事務所までの道を歩く中で、かつては咲いている花の色や匂いに気づけた。けれど今は、スマホを見ながら歩き、頭の中では次の予定のことでいっぱいだ。ある日、事務員さんに「ここのアジサイ、毎年きれいですね」と言われて、初めてその場所に花が咲いていることを知った。こんなに近くにあったのに、目もくれなかった自分に、少し情けなさを感じた。
変化に鈍くなっているのは年齢のせい?
年齢を重ねると感覚が鈍くなると言うけれど、それ以上に日々が単調すぎて、変化を変化と認識できなくなっているのかもしれない。若い頃は、季節のイベントにときめいたり、新しい服を買うだけで気持ちが高揚した。でも今は、春夏秋冬が「ただの背景」にしか見えない。感性が摩耗してしまった自覚がある。日々に追われる生活が、色彩を奪ってしまっているのだ。
毎日が「やらなきゃ」で埋め尽くされる
「今日もまた何かをこなす日」。気づけばそれが毎日の感覚になっている。午前中は法務局、午後はお客様との面談、空いた時間に決済書類のチェック。ToDoリストのチェックボックスを埋めることが生活の中心になっている。充実しているようで、実は“何も感じない”時間の連続。心がどこか麻痺している感覚に陥る。
登記申請と電話と事務所の光熱費
司法書士の仕事は「登記の仕事でしょ」とよく言われる。でも実際は、細々した電話応対や事務処理、事務所の管理まで全部自分でやる。光熱費の支払いや備品の買い出しまで、「誰がやるの?」って言えば、結局俺だ。そうやって雑事に追われて、肝心の書類チェックが後回しになり、気づけば夕方。今日一日、何をやっていたんだろうと思うことも多い。
時間が溶けるように過ぎていく日々
気づけば朝、そしてもう夜。時間が溶けるように過ぎていくとはこのことかと思う。電話と来客に追われ、昼食をとる時間すら忘れてしまう日もある。やっと座ったと思えば、今度はパソコンと睨めっこ。メールの返信に追われて、終わった頃にはもう閉庁時間。結局、書類の見直しは深夜に。そんな日々を繰り返していたら、季節の変化なんて気づけるはずがない。
事務員さんの一言に救われた瞬間
「先生、今日すごく風が気持ちよかったですよ」。そんな事務員さんの何気ない一言に、はっとさせられることがある。外の世界に目を向ける余裕もなかった自分が、ほんの一瞬、風の匂いを感じる。それだけで、なんだか少しだけ人間らしさを取り戻せた気がした。仕事ばかりじゃなくて、こういう小さな会話が、自分を救ってくれている。
「忙しい」と言いながら本当に忙しいのか
「忙しい」が口癖になっている。でも本当に忙しいのか?と自問すると、そうでもない気がしてくる。必要以上に抱え込んで、自分を追い詰めているのは、自分自身なのかもしれない。無駄に完璧主義を発動して、誰にも頼めない、任せられない性格が、首を絞めている。だからこそ、季節を感じる心の余白も、削り取られてしまっていたのだと思う。
言い訳のために使っていた「季節感の喪失」
「忙しいから仕方ない」「時間がないから季節なんて感じられない」。そうやって自分に言い訳していたことに気づいた。でも本当は、自分から季節を感じることを諦めていたのかもしれない。日々に埋もれていく感情や感覚を守ることが、どれほど大切かを、もう一度考えなければいけない時期に来ているように思う。
それでも気づいた時にやれること
気づいたときに戻ればいい。全部を取り返す必要なんてない。たった一つ、今日の風に耳を傾けるだけでいい。人生はリセットできなくても、感覚を取り戻すことはできる。司法書士の仕事は確かに忙しいけれど、それでも「何も感じない人間」にはなりたくないと思う。
一杯の温かいお茶をちゃんと味わう
最近、自分のために急須でお茶を淹れるようにしている。ティーバッグじゃなくて、ちゃんと急須で。熱すぎず、ぬるすぎず、その温度を感じるだけで「今、自分はここにいる」と思える。たったそれだけのことで、心が少しほぐれる。小さな習慣かもしれないが、季節を感じるきっかけとして、大切にしている。
休日に歩く道を変えてみる
休みの日には、あえて違う道を歩いてみる。知らない道、初めて見る家や風景。そういう「ちょっとした冒険」が、固まった思考をほぐしてくれる。司法書士という職業は、ルーティンの塊のような毎日だ。でも、その中にひとつでも“違う景色”を差し込むだけで、世界が少しだけ広がって見えるのだ。
無理に変わろうとしなくてもいい
大きく変わらなくていい。劇的な改革なんて望んでない。ただ、昨日より少しだけましな自分でいられればそれでいい。季節を忘れていた自分に気づけたというだけで、十分前に進んでいる。変化は小さくていい、気づきはゆっくりでいい。自分のペースで、それでいい。
小さな気づきが救ってくれる日もある
今日、風が涼しかった。それだけで、なんだか「生きてるな」と思えた。そんな日は、たとえ仕事がうまくいかなくても、少しだけ自分を許してやれる。大きな成功なんていらない。小さな気づきが、心の深いところを少しずつ耕してくれる。司法書士である前に、自分もひとりの人間なのだということを、忘れないようにしたい。