“依頼者のために”の正体──その言葉に隠れた本音と責任

“依頼者のために”の正体──その言葉に隠れた本音と責任

「依頼者のために」と言えば聞こえはいいけれど

「依頼者のために」と言えば、いかにも正義感に溢れていて、誠実な仕事をしているように聞こえます。そうありたいという気持ちはあります。でも、果たして本当にそうなのか。自分がしんどいときに限って、その言葉が自分を追い詰めるのです。言葉の響きだけが先走って、自分の中身が空っぽに感じることもあります。まるで“依頼者のため”という呪文を唱えることで、自分の疲れや本音をごまかしているような、そんな感覚さえあるのです。

便利な言葉として使ってしまう自分がいる

「依頼者のためにやってますから」と言えば、反論されにくいし、他人にも自分にも納得させやすい。でも実際は、ただ断れなかったり、気が小さくて言いたいことが言えなかったりするだけだったりするんですよね。例えば、無理なスケジュールを引き受けたとき、「依頼者が困ってるから仕方ない」と自分を納得させたけど、内心は「本当は断りたかった」が本音だったりします。

責任逃れの言い訳にもなってしまう場面

たとえば何かトラブルが起きたとき、「いや、自分は依頼者のために最善を尽くしたんだ」と言えば、自分の責任を回避できるような気になってしまうこともあります。でも、それって依頼者にも失礼だし、自分にも誠実じゃない。こういうとき、「誰のための言葉だったんだろう?」と自分に問い返したくなります。

良い人でいたい気持ちが裏目に出る

私自身、人から悪く思われたくないという気持ちが強いです。「感じのいい司法書士でいたい」という見栄が、結果的に変に自分を縛ってしまっている。以前、ある依頼者から無理難題を言われたとき、それでもニコニコして対応してしまった。その結果、さらに要求がエスカレートして…結局、後から断る形になり、関係も悪化してしまいました。

本当に依頼者のためだったのか?と自問する夜

一日の仕事を終え、静かな夜にふと考えるのです。「あれは本当に依頼者のためだったのか?」と。頼まれてやったことでも、結果的に相手のためにならなかったり、自分が疲弊してしまったりしたとき、その「ために」は一体誰のためだったのか、考え込んでしまいます。こういう積み重ねが、精神的に地味に効いてくるんです。

「依頼者のために」は誰のための言葉なのか

気がつけば、「依頼者のために」という言葉が自分の首を絞めていることも少なくありません。それでも言い続けるのは、依頼者を守りたいという想いよりも、むしろ自分を守るためだったのかもしれないと最近思うようになりました。その言葉の中に隠れているのは、自己犠牲の美化か、それとも職業倫理への過剰な期待なのか。考え始めると、なかなか答えが出ません。

自己犠牲を美化してしまっていないか

「自分さえ我慢すれば丸く収まる」と思いがちな私たち。でもその我慢が積もり積もって、いつか心がぽっきり折れる日が来る。以前、土日をつぶして対応した相続の案件がありました。依頼者は感謝してくれたけど、自分の家族との時間は完全に失われた。あの時、何かが間違っていたように今でも思います。

休日返上、夜間対応…限界を超えると何も残らない

たしかに、感謝されると嬉しい。でも、度が過ぎると「ありがた迷惑」になることもある。私の体調が悪くても、電話が鳴れば出てしまうし、返信がないと「まだですか?」と催促が来る。自分の限界を無視してまで続けると、心も体もボロボロになります。

「自分のため」ではいけないのかという葛藤

「仕事は依頼者のため」と言いつつ、「自分の生活のため」でもあるわけです。そのバランスが崩れると、何のために働いているのか分からなくなります。以前、事務員にも「先生、ちょっと無理しすぎですよ」と言われたことがありました。気を遣ってくれたんでしょうけど、図星でした。

依頼者の顔を見た瞬間、気持ちは揺れる

矛盾しているようだけど、依頼者の「お願いします」の一言で、また頑張ろうと思ってしまうんです。あんなに疲れていたのに、顔を見ると「この人をなんとかしてあげたい」と思ってしまう。この感情は、きっと職業的なものではなく、人間としての本能的な共感なのかもしれません。

感謝の言葉が救いになることもある

「本当に助かりました」と言われるだけで、報われた気になります。たった一言で、何日分もの疲れがふっと軽くなるんです。そんな瞬間があるから、続けていけるのかもしれません。

でも、理不尽な要求をされることもある

すべての依頼者が優しいわけではありません。中には、まるでこちらを便利屋のように扱う人もいる。以前、夜10時に「今から書類を取りに行きます」と言われたときは、さすがに心が折れました。依頼者のために、を口実に無理を通す人もいるのです。

「依頼者のため」のバランス感覚とは

結局のところ、「依頼者のために」は大事だけど、そこに振り回されてはいけない。自分のため、事務員のため、家族のため、そして依頼者のため…そのバランスを取ることが、司法書士として長く続けていく秘訣だと今では思います。

全力でやっても空回るときの虚しさ

一生懸命やっても、伝わらなかったり、感謝されなかったり。そんなときは、何のためにやってるんだろう…と本気で悩みます。でも、それでも続けていくには、やっぱり自分なりの“意味づけ”が必要なんでしょうね。

仕事と自分の生活をどう両立させるか

朝から晩まで働いて、家では寝るだけ。そんな生活が何年も続くと、自分の人生がどこかに置いてけぼりになります。最近は意識して、夕食の時間だけはスマホを見ないようにしています。小さなことですが、こういう積み重ねが大切だと思っています。

家庭、健康、時間――全部が犠牲になる前に

結局、どれか一つが壊れてしまえば、全部が崩れます。だから、「依頼者のために」と言いながらも、自分を守るための「線引き」は必要不可欠なんです。

依頼者に振り回されないための「線引き」

断る勇気を持つこと、自分の時間を確保すること、それが結果的に依頼者にとっても良いことになる。依頼者の期待に応えすぎて自分が潰れてしまえば、本末転倒です。

冷たいようでいて誠実な対応とは

全てに「はい」と言うのが誠実ではありません。「それはできません」とはっきり言うことが、信頼関係を築く一歩でもあると思います。

距離を取る勇気が専門家には必要

近づきすぎると感情が絡みすぎて、判断を誤ることがあります。適度な距離感は、冷たさではなくプロとしての覚悟です。

本当の意味で「プロ」であるために

プロフェッショナルとは、誰かに好かれることではなく、冷静に判断できることだと思います。感情に左右されずに、依頼者にも自分にも正直であること。それが本当の“依頼者のため”ではないでしょうか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

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