気づいたらまた補正通知が届いてた──疲弊する現場と僕の心の処理能力

気づいたらまた補正通知が届いてた──疲弊する現場と僕の心の処理能力

また来たか…補正通知の封筒を見るだけで胃が痛い

ある朝、机の上に見慣れた封筒が置かれていた。少し分厚くて、文字が赤くて、何より見た瞬間に「うわ…」と声が漏れた。補正通知。司法書士をやっていれば誰もが経験するものだとはわかっていても、慣れることはない。いや、むしろ年々、胃のあたりがキリキリと締め付けられるようになってきた気さえする。封筒を見るだけで、その日一日のテンションが地に落ちる。大げさじゃなく、それくらい精神にくる。最近は、寝起きにスマホで“登記ねっと”を見るのが怖いのだ。

封筒の色と厚みでわかる“あの”通知

司法書士の方ならわかると思うけれど、補正通知の封筒って、ちょっと独特なんですよね。白に近いグレーで、少しだけ硬くて、開ける前から中身の存在感がある。厚みがあったらなおさら嫌な予感がするし、逆にペラペラだと「いや逆に何かやばいんじゃ…」と不安になる。ある意味、呪いのアイテムみたいなものかもしれない。昔、事務所の事務員さんが「なんか今日は空気重いですね」って言ってきた日があって、まさにその日に2通同時に補正通知が来てたことがある。

何か忘れてるかも、という予感はたいてい当たる

補正通知って、来る前からなんとなく胸騒ぎがある。あの書類、もしかしたら間違えて添付しちゃったかも…とか、あれ、念のための登記原因証明情報、旧版使ったような気が…とか。頭の片隅に浮かんだ不安は、たいてい当たる。だいたい忙しすぎて確認が甘かった日だ。時間がない中、目を血走らせながら提出して、「まあ大丈夫だろ」と自分に言い聞かせたあの時の自分を恨む。ギャンブルじゃないけど、妙な確率の高さに、余計落ち込む。

「前も同じミスしてたよね?」という声が聞こえた気がする

通知書に記された補正内容が「本人確認書類に住民票のコピーを添付してください」だったりすると、もう絶望する。ああ、またやってしまった、と。しかも、それが3ヶ月前にもやったミスだったりすると、自己嫌悪で机に突っ伏したくなる。直接言われていないのに、「またかよ…」って言われたような気になる。法務局の職員さんがそういう声のトーンで通知書を書いてるわけじゃないのはわかってるけど、そう感じてしまう自分がいる。

ミスを防ぐためにやっていることが、むしろ負担に

チェックリストを作って、業務フローを明文化して、事務員さんと何度も確認をして、それでも補正は来る。だんだん、「努力の方向が間違ってるんじゃないか」とすら思えてくる。完璧主義になろうとすればするほど、自分が追い詰められていく。人の脳はこんなに情報を覚えてられないし、感情は処理できない。まるで自転車を全力で漕いでるのに、前に進まないような感覚に陥る。

チェックリストのチェックすら忘れる日々

「ちゃんとチェックしてから出せば防げる」と言われることがある。でもね、そのチェックすら忘れるくらい、頭の中はパンパンなのだ。電話応対、メールの返信、急ぎの相談、法務局とのやりとり…どれも中途半端になって、気づけばチェック項目を飛ばして提出。あとで思い出しても、「あのときは余裕がなかった」で片付けてしまう。自分の脳の処理能力、そろそろ限界なのかもしれない。

事務員さんに頼めることと頼めないことの線引き

事務員さんはよくやってくれている。けれど、最終確認はやっぱり自分の仕事。任せたい、でも任せきれない。この「ちょうどいい距離感」を探すのがまた難しい。任せた結果ミスが出たら、結局「責任者は私です」になる。だから抱え込む。でもそれが余計に業務を圧迫して、さらに補正通知が届くという負のループ。信頼と責任のバランスが、この仕事の一番しんどいところかもしれない。

自分だけが悪いのか?と問われる日常

補正通知が届いたとき、真っ先に思うのは「また自分がやらかしたか…」という自責の念。でも、制度的な問題や曖昧な運用が背景にあることもある。とはいえ、登記の世界では“ミスはミス”。原因や背景よりも「補正に対応したかどうか」が問われる。なんだかんだで、心がすり減る日々だ。

補正理由が「添付書類の記載ミス」だったときのやるせなさ

例えば、申請書の中に記載した日付が旧住所ベースで、住民票とズレている。そんな細かいこと?と思っても、法務局的には「補正事項」。いや、わかるんですよ、ルールだから。でも、その日、自分は3件の相談を抱えて、電話も鳴りっぱなしで、昼食をコンビニで5分でかきこんで…その中で記載した登記申請書に「記載ミス」と言われると、もうやるせない気持ちになる。

書式のルール、細かすぎるんだよ…

ルールを守ることが大事なのは百も承知。でも、現実には「法務局ごとにニュアンスが違う」「担当者によって許容される範囲が変わる」ことも多い。だから一概に“ミス”とも言い切れない。それでも通知は機械的に届く。まるで、こっちの事情を一切聞かずに「正しさ」を押し付けられているような感覚になる。それがどれだけ心理的に堪えるか、誰かに伝わるだろうか。

“形式不備”って便利な言葉だなとすら思ってしまう

通知文の中でよく見る“形式不備”という文字。これ、便利な言葉ですよね。内容には問題ないけど、書式が違うからダメ。いや、それはわかる。だけど、それなら最初からフォーマットを統一してくれよと思ってしまう。たとえばExcelのマクロで組んでくれたらどれだけ楽か…。でも、それを言ったところで「こちらでご確認ください」の一点張り。結局、現場の負担は減らない。

責任を一身に背負うこの仕事のつらさ

司法書士って、最終的には“私がやりました”って言わなきゃいけない職業なんですよね。どんなに準備しても、どんなに慎重でも、ミスがあれば「自分が確認しなかったから」ですべて終わる。言い訳もできない。だからこそ、しんどい。精神的に、ものすごくしんどい。たまに「自分が全部悪いんじゃないか」と錯覚するほど。

「確認していない私が悪いです」しか言えない世界

補正通知が来たとき、クライアントに説明するとき、たいてい「こちらの確認が甘かったです」と言うことになる。でも内心では、「いや、そもそも提出期限が急すぎたんだ」とか、「途中で書類内容が変更されたじゃないか」とか、いろいろ思っている。それでも、言えない。言ってもしょうがない。謝るしかない。そんな毎日が積み重なると、自信がすり減っていく。

クライアントの前では笑って、裏では深呼吸してる

打ち合わせ中は笑顔で「すぐに対応いたします」と答えて、電話を切った瞬間に机に突っ伏す。深呼吸しながら「よし、切り替えよう」と自分に言い聞かせる。そういう瞬間が、この仕事には多すぎる。でも、誰かが見てくれてるわけでもないし、慰めてくれる人がいるわけでもない。だからせめて、ここにこうして書き残しておきたい。

でも、誰かが読むことで少し救われる

このコラムを書いていて思うのは、誰かが「それ、わかるよ」って言ってくれるだけで、人は少しだけ立ち直れるんじゃないか、ということだ。補正通知が来ても、自分だけじゃない。他にも、苦しんでいる司法書士がいる。そう思えるだけで、また次の登記申請に向かう気力が、ほんの少し戻ってくる。

この文章が誰かの「わかる」に変われば

こんな愚痴のような文章でも、誰かが読んで、「自分もそうだった」と思ってくれるなら、それだけで報われる。僕も、先輩のブログやネットの声に救われたことが何度もある。だから今度は、自分が誰かの背中を押す番なのかもしれない。いや、押すなんて大それたことは言わない。並んで座って、「つらいよな」と言ってあげるくらいで、ちょうどいい。

司法書士の世界にある“共感”と“孤独”

この仕事、誰かと愚痴を言い合う機会が本当に少ない。飲みに行っても、「この話は重いからやめよう」と思ってしまう。でも、こうやって文字にすることで、誰かがそっと共感してくれるなら、それだけで十分だ。人とつながるって、そういうことかもしれない。

独身でもモテなくても、今日も登記は続く

補正通知が来ても、体調が悪くても、恋愛がうまくいかなくても、登記は待ってくれない。それでも、僕はまた書類を作って、法務局に送る。誰かに褒められなくてもいい。誰かの心にちょっとでも届くように、この文章を残しておく。そしてまた、次の申請に向かって、コーヒーを一杯すすろうと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。