そもそも「信頼される人」って、誰が決めるのか
司法書士をやっていると「信頼されて当然」みたいな空気を感じることがある。依頼者に対しては取引先や役所の人たちからも、勝手に「間違えない人」「誠実な人」「ちゃんとしてる人」と思われがちだ。だけど、本当に“信頼される人”って、誰がどこで決めるのだろう?実績?資格?それとも人柄?自分で言うのもなんだけど、俺は昔から真面目な方だし、ズルも嘘も嫌いだ。でも、だからといって「信頼されてる」と実感したことはあまりない。むしろ、不安そうな目で見られることの方が多かったりする。
ちゃんとしてる風の人が、実は…ということも多い
以前、一緒に仕事をした弁護士がいた。見た目も立ち居振る舞いもいかにも「できる人」って感じで、周囲からの信頼も厚かった。でも実際には、細かい確認を人任せにしていて、最後にミスを押し付けてきた。信頼って、案外“見た目”や“空気”に騙されてるだけなんじゃないかと思う瞬間だった。俺はというと、正直見た目も地味だし、営業トークも苦手だし、「なんか頼りない」って思われがち。でも、どこにも出せないような失敗をこっそり防いでること、山ほどある。
「あの人は信頼できる」という噂は、本当に事実か?
一度、「◯◯先生は信頼できる」と評判の司法書士と連携する機会があった。紹介者の言葉を信じて安心していたら、連絡は遅いわ、書類に誤記はあるわでヒヤヒヤした。結局、人が人を「信頼できる」と言うとき、その人自身の“期待値”に過ぎないことも多い。信頼という言葉は意外と主観的で、しかも流動的。誰かが「信頼できる」と言ったからといって、自分にも同じように信頼できるかは別の話だ。
司法書士という肩書きは、信頼の材料になるのか
司法書士という肩書きは、ある程度の信頼を生む“スタンプ”のようなものだ。初対面でも「士業だから大丈夫でしょう」と見てもらえる。でもその信頼は、実はものすごく薄い氷の上に立っているような不安定なものでもある。ミスを一つすれば一気に崩れるし、信頼が回復するのは途方もなく時間がかかる。だからこそ、肩書きに胡座をかかず、毎回の仕事で信頼を積み上げるしかない。
名刺を出せば信頼される…なんて時代は終わった
昔は「司法書士です」と名刺を出せば、ある程度の信頼が得られた。けど、最近ではそう簡単にはいかない。ネットで調べられ、口コミが検索され、ちょっとでも悪い評判があれば警戒される。信頼は名刺じゃなく、対応の積み重ねからしか生まれなくなっている。俺も名刺より先に、どれだけ“話を聞けるか”を大事にしてる。肩書きより人柄。そんな時代なのかもしれない。
「専門家=完璧」のプレッシャーに押しつぶされそうになる日々
「先生なんだからミスしないでね」と軽く言われることがある。でも、その言葉がどれだけ重くのしかかるか、想像できるだろうか。司法書士だって人間だし、疲れてるときもある。確認を何重にもして、それでもミスをしてしまうこともある。信頼されるって、つまり「失敗しないでくれ」という無言の圧力でもある。だから、信頼される人って、実は相当きついポジションなのだ。