ある日突然届いた封筒
朝、机の上にぽつんと置かれていた白い封筒。切手も貼られておらず、手渡しされた様子だった。表には、旧字体で私の事務所名が書かれている。差出人の記載はない。
私は湯呑みに手を伸ばしながら封を切った。中から出てきたのは一通の相続に関する相談書。どこにでもある内容に見えたが、添付された登記事項証明書を見た瞬間、背中にうっすらと汗がにじんだ。
登記の名義が、妙に変だった。文字通り「何か」を隠しているような、不自然な変遷。
無言の封筒と記された住所
サトウさんが封筒の消印を確認し、ぽつりと言った。「この住所、今は空き家のはずですよ」
彼女の言葉に私は小さく頷いた。私も一度だけ訪れたことがある。街外れの、古びた平屋。数年前に火事があり、そのまま放置されていると聞いていた。
火事、そして相続。あまり気持ちの良い組み合わせではない。
書類の違和感に気づいたサトウさん
「これ、押印が違います」サトウさんが言った。目を細めて印影を確認している。さすが元・登記情報マニア。
確かに、登記の申請書に添付された委任状の印影が、不自然にぼやけていた。印鑑証明書と照合してみても、微妙にズレがある。
印鑑の偽造。あってはならないが、ゼロではない話だ。
遺産分割協議の依頼
依頼人は、沈んだ表情の女性だった。喪服のような黒いスーツに身を包み、細い声で話し始めた。
「父が亡くなりまして、兄弟三人で遺産分割をしたいのですが……」
その声には、どこかで「何かを隠している」気配があった。言葉を選んでいるのか、あるいは嘘を並べているのか。
依頼人は控えめな中年女性
名をツジムラと名乗ったその女性は、丁寧で腰が低く、まるで昭和の奥様のようだった。
だが、その目だけは違った。笑っていない。終始、何かを見透かすような冷たい視線。
「司法書士の先生って、探偵みたいですね」と彼女は言った。それ、こっちのセリフだ。
相続人リストに潜む違和感
提出された相続人の一覧には、長男・次女・三男と並んでいた。だが、戸籍を確認すると、四人兄弟のはずだった。
長女の名前が、すっぽりと抜けている。失踪でもしたのかと思ったが、死亡届もない。
この名前の空白、それが事件の始まりだった。
被相続人の経歴を辿る
私は登記簿の履歴を洗い始めた。火事のあった物件が、生前贈与され、さらに譲渡された記録がある。
しかし、譲渡の登記日と贈与の登記日が妙に接近している。二日しか空いていないのだ。
しかも、名義人が途中で一人だけ変わっていた。関係者でもない赤の他人に。
登記簿に記載された不可解な変遷
「これ、時効取得登記のパターンですね」サトウさんが呟いた。
なるほど、占有の実態を装い、書類上だけで名義を手に入れる手口だ。
探偵漫画『金田一少年』でも見たことあるような不動産トリック。まさかリアルで出会うとは。
名義変更が繰り返された家
問題の物件は、短期間で三度も名義変更されていた。いずれも贈与または譲渡。
そして、その名義人は現在、全員所在不明。存在自体が虚構である可能性があった。
やれやれ、、、これは骨が折れそうだ。
サトウさんの地道な調査
「昔の住所に何度も転送記録が出てますね。郵便局の履歴、引っ張れますよ」
彼女は私の倍のスピードで調べものを進めていた。私が四苦八苦してる間に、すでに次の手を打っている。
昭和の探偵ドラマの助手が現代に蘇ったら、きっとこうなるのだろう。
古い戸籍から浮かび上がる名前
戸籍の附票をたどると、確かに長女の存在が記録されていた。だが、ある時点から移転先が「不詳」となっていた。
これは通常の転出では起こらない。本人が届け出を拒否したか、何かの事情で削除されたか。
この長女こそが、事件のキーマンだ。
突然消えた一人の兄弟
ようやく突き止めた長女は、名を「アカネ」といった。現在は地方都市の一人暮らし。
彼女は戸籍から消えていたが、実際には生きていた。ただ、家族とは絶縁していた。
「全部、お母さんのせいなんです」彼女はそう言った。
登記の裏に潜む不正
アカネの証言により、火事が保険金目的だった可能性が浮上した。母と兄が結託し、家を燃やし、その金で登記を操作したという。
その手口は巧妙だったが、登記の微妙な時差と印影の違和感がほころびを生んだ。
それを見逃さなかったのが、サトウさんだった。
時効取得を狙った登記か
相続登記ではなく、占有による取得を装うことで、相続人の一部を排除しようとした形跡がある。
しかし、その主張を成立させるには、占有開始から20年の証拠が必要だ。
それがなかった。法は、それを許さない。
判子が偽造された可能性
さらに問題の委任状には、すでに死亡している人物の署名捺印があった。
亡くなった後の印鑑が登記に使われていた時点で、これは明確な登記詐欺だ。
この瞬間、私は確信した。依頼人は、すべてを知っていたのだと。
司法書士としての判断
依頼人に事実を突きつけた。彼女は黙ってそれを聞き、最後に一言、「そうです」と言った。
私は登記の訂正申請を準備した。嘘の登記は、正されなければならない。
法律は冷たい。でも、その冷たさが、人の温かさを守ることもある。
民法と登記法の狭間で揺れる
サザエさん一家のように仲良くは暮らせない家族もいる。現実は、アニメみたいに笑って終われない。
だからこそ、我々の仕事がある。
私は少しだけ、司法書士という職業が誇らしく思えた。
結論を出すための最後の一手
アカネの協力で、正式な相続登記が可能になった。未登記だった財産をすべて整理し、再び登記簿は整然とした姿を取り戻した。
それでも家族の心までは整えられない。そこまでは、法では踏み込めない。
せめて、登記だけでも正しい形に。それが私の務めだ。
そして次の依頼へ
「先生、次の相談、14時です」サトウさんの声が事務所に響いた。
私は肩をすくめて立ち上がる。「もう少しゆっくりさせてくれてもいいだろ」
「情で仕事しないでくださいよ」彼女の塩対応は、今日も変わらない。