ミスが許されないって知ってたけどさ

ミスが許されないって知ってたけどさ

「ミスが許されない」って言葉、どれだけの重さか知ってる?

司法書士の世界では「ミスが許されない」なんて言葉、もう耳タコになるほど聞いてきた。わかってるよ、命までは取られない。でも、この仕事での“ミス”は誰かの人生を大きく狂わせる。登記一つ取っても、間違えれば不動産の所有者が変わってしまう。冗談じゃなく「たかが事務仕事」とか言われるけど、その裏でどれだけの責任を背負ってるか、知らない人の方が多い。地方でひっそりと事務所を構えてるけど、静かな分、ミスの音だけがやたらと大きく響く気がするんだ。

完璧を求められる仕事の日常

この仕事には“70点”や“まあまあ”なんて存在しない。書類は100点か、ゼロか。その極端さに慣れるのに、時間がかかった。いや、今も慣れちゃいない。提出期限に追われながら、細かい文字を何度も見直す。かすれた印鑑、ちょっとした脱字、それだけで登記が通らない。ある日、土地の地番を一桁間違えたことがあった。幸い提出前に気づいたけど、冷や汗が止まらなかった。たった一文字。けれどその一文字に、何百万円の価値が乗っかってる。それを毎日意識しながら仕事してると、そりゃあ心もすり減るわけです。

登記の一文字で人生が変わる

不動産登記で「丁目」と「番地」を逆に書いたらどうなるか知ってる? 別人の土地に登記されちゃうんだよ。うちの地元は地番がややこしくて、似たような番号の土地が隣り合ってたりする。一度、売買登記で「7番2」と「7番3」を見間違えかけて、ぞっとしたことがある。事務員さんが先に気づいてくれたから助かったけど、もしそのまま出してたら、買主から訴えられてもおかしくなかった。そう、たった一文字で人生が変わるのは、他人だけじゃなく自分も同じなんだ。

誤記訂正にかかる手間とプレッシャー

訂正すれば済む、って話でもない。登記が完了したあとに誤記に気づいたら、もう修正は簡単じゃない。法務局に訂正申請出して、相手方にも頭を下げて、何時間もかけて状況を説明して……。一つのミスが一週間分の時間を奪う。しかもその間も他の案件は進んでいく。土日も関係ない。ミスが「許されない」ってのは、誰かに怒られるって意味じゃなく、取り返しのつかない状況になるってことなんだよ。

「訂正印じゃ済まない」世界

学校の書類なら、訂正印をぽんっと押せば済む。でもこの世界では、それが通用しない。法務局で突っ返されるたびに「なんで自分はこんな仕事を選んだんだろう」って思う。ちょっとの油断が、クライアントの信頼を地面に叩きつける。実際、一度書類ミスした依頼者からは次から音沙汰なくなる。信頼は時間をかけて築くくせに、崩れるのは一瞬なんだ。

一発アウト、信頼をなくす恐怖

誠実に、丁寧にやっていても、一発アウト。それがこの仕事。信頼されるのに何年もかけたのに、一枚の書類で「やっぱり他所にお願いしようか」と言われることもある。信頼って、積み上げるより守る方が難しい。夜中にふと目が覚めて、「あの書類、あの印鑑でよかったよな……」って、確認しないと眠れなくなることもある。大げさに聞こえるかもしれないけど、それくらいの緊張感が、毎日つきまとう。

事務所を一人で切り盛りするということ

事務員さんが一人いてくれるだけでもありがたいけど、最終的な判断や責任は全部こっち。書類作成からチェック、提出、クレーム対応、時には掃除まで、全部自分でやることになる。誰かに相談できれば違うんだろうけど、結局は「自分の仕事は自分でなんとかする」しかない。それが独立したってことなんだろうけど、正直しんどい。何かあっても「所長が悪い」で片づくからな。

事務員さんはいても、責任は全部こっち

事務員さんに任せられることもあるけど、最終的にはこっちが目を通してOK出さないといけない。「見てませんでした」じゃ済まされない。もし事務員さんが書類をミスっても、依頼者が怒るのは自分。自分が事務員時代にどれだけ所長に甘えてたか、今になると身に沁みる。誰かに頼るって、案外怖いことなんだな。

孤独な判断、逃げ場のない緊張感

司法書士って、最終判断者なんだよね。法律的な判断も、倫理的な判断も、一人で背負わされる。間違っても誰かが助けてくれるわけじゃない。逃げ場がない。たとえば依頼者に「これ、やっても大丈夫ですよね?」って聞かれても、「たぶん」は通用しない。自分の判断一つで、誰かの損得が決まってしまう。正直、怖い。いつからこんなに息苦しい仕事になったんだろう。

「間違えたらどうしよう」が頭から離れない

仕事が終わっても、頭の中ではずっとチェックリストが回ってる。「あの書類、印鑑ちゃんと押したっけ?」「提出期限、今日じゃなかった?」家に帰っても、脳みそだけは事務所に置いてきたまんま。気がつけば、一人で深夜にスマホで地番確認してる。夢の中でも仕事してる。疲れてるって自覚も鈍るほど、張り詰めた日々が続いてるんだ。

睡眠中でも書類のことを考えてる

この前なんて、夢の中で「法務局に書類出しに行く」ってのを3回もループした。しかも全部不備があって、突き返される夢。朝起きたら心臓バクバク。これ、精神的には結構きてる。でも、「あれ?」って不安になるくらいなら、寝る前にもう一回チェックする。じゃないと眠れない。安心って、確認からしか生まれないんだよね、この仕事。

誰にも言えない「怖さ」ってある

事務員さんにも、依頼者にも、友人にも、「この仕事怖いんだよね」って本音は言えない。言ったら負けな気がするし、弱く見られるのも嫌だ。でも本当は、毎日ビビりながらやってる。人に頼られるのはうれしいけど、その重さで潰れそうになるときもある。そんな自分を誰も知らないし、知ってもらう機会もない。だから今日も一人で、黙々と。

同業者にも見せられない弱音

同じ司法書士仲間には、なんとなく強がってしまう。「忙しいよ〜」とか笑いながらも、内心では「もうちょっと気楽に働きたい」と思ってる。でもそれを言うと、「やる気がない」とか思われそうで、言えない。資格って、持った瞬間に“弱音禁止”になるんだろうか。そんな気すらしてくる。

家族がいたら違ってたのかな

もし結婚してて、家に帰ったら誰かが「おかえり」って言ってくれたら、こんなに張り詰めなくて済んだのかな、って思うこともある。正直、ひとりの夜は、仕事の反芻で終わることが多い。自分の選択だったはずなのに、ふと寂しさが刺さる時がある。誰かの声がほしい。そう思ってしまうのは、甘えなのかもしれないけど。

でも、やめない理由がある

ここまで愚痴ばかり並べてきたけど、それでもこの仕事を続けてるのは、誰かに「ありがとう」と言われた瞬間の温かさを知っているからだ。全部が報われるわけじゃないけど、その一言が、次の日のエネルギーになる。誰にも気づかれなくても、誰かの役に立ってるって実感だけで、もう少しがんばろうと思えるんだ。

「ありがとう」の一言に救われる日もある

ある日、亡くなった方の相続登記を手伝った家族が、最後に深々と頭を下げて「本当に助かりました」と言ってくれた。その瞬間だけは、全部が報われた気がした。こんな自分でも、人の役に立てたんだと。華やかさもなければ、目立つこともない仕事だけど、静かに誰かの人生を支えてる。それが、司法書士の一番の誇りかもしれない。

不器用でも、自分にできることをやるしかない

要領がいいタイプじゃないし、ミスを恐れて時間ばかりかかる。でも、それでもいい。自分のペースで、できることを丁寧にやっていくしかないんだ。完璧じゃなくていい。でも、不誠実にはなりたくない。そう思っているからこそ、続けていける。

完璧じゃなくていい、でも誠実でいたい

人に笑われても、不器用だって言われても、せめて目の前の人には真っ直ぐ向き合いたい。失敗するかもしれない。それでも、逃げずに、誠実でありたい。司法書士としての姿勢って、結局はそこに尽きるんじゃないかな。派手さもなければ、高収入でもない。でも、胸を張って「これが自分の仕事です」と言える。それだけでも、十分だと思いたい。

ミスしないために、今日も細かい確認

だから、今日も朝一番に書類を見直す。法務局に行く前にもう一度チェックして、印鑑のズレがないかも見る。そんな地味な作業の積み重ねが、信頼をつくっていく。誰かに褒められるわけじゃないけど、自分のために、そして依頼者のために、ミスしないように今日も祈りながら、書類と向き合っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。